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ひとつは、日本人開発者がローカリゼーションばかりやっていて、Linux開発の中央から遠いため、欧米語使用者以外にとって必要な機能を実現するようなシステム的変更に携われないこと。これはLinuxだけではなく、Xとかその他のUNIX標準環境についても当てはまります。
昔は、欧米で作られたアプリは、文字コード(これは日本人にとっても頭の痛い問題)、マルチバイト文字、などの扱いがなっていない場合が多かったかも知れませんが、最近はローカライゼーションといえば、メニューやヘルプの日本語化が殆どです。 そして、その対応が、「システム的な変更に携われない」、という事の直接の原因では無いと思います。 モチベーションが上がらない、開発者とのやりとりが英語だけど英語
モチベーションが上がらない、開発者とのやりとりが英語だけど英語が苦手、といった原因により、日本人のボランティア開発者が入り込まないのだと思います。
従来のボランティアに頼りきった状態からフルタイムの雇用者が参加する体制へと変化し、状況は良くなってくるんじゃないかと考えます
理屈ではそうなんですけどね、、、 実際英語の読み書きが出来て、かなりの量のドキュメントを読破して、独特のコミュニケーションの取り方を理解しなければ入り込めない世界を目の前にして「これは入り込めないな」と感じるのは自分だけなのかなぁ?
さらにDistroWatchの記事にも日本語の入力やフォント関連のコスト(単に開発だけではなく特許関連とかも)がプロプラエタリでなければ支えきれないレベルになっていることを示唆する部分もあります。そういうわけで、オープンソースを本気で普及させたいなら、少なくとも技術者や研究者だけでも英語力の底上げが近道のような気がします。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
非商用の弱味 (スコア:5, 興味深い)
日本でのLinuxの現状を考えた場合、ふたつの次元があると思います。ひとつはサーバー用途であり、ひとつはパソコン用途であります。これはここで取り上げられているTurbolinuxとVinelinuxの方向にもだいたい重なります。サーバーとしては、日本でもLinuxは好調で、それはかつてのUNIX標準SUNがどんどん使われなくなり、青息吐息なのからもわかります。対して、個人用途のパソコンOSとしては、伸び悩んでいます。
けれども、これは日本でのLinux普及の初期から予想できたことだと思います。日本
Re:非商用の弱味 (スコア:1, 参考になる)
昔は、欧米で作られたアプリは、文字コード(これは日本人にとっても頭の痛い問題)、マルチバイト文字、などの扱いがなっていない場合が多かったかも知れませんが、最近はローカライゼーションといえば、メニューやヘルプの日本語化が殆どです。 そして、その対応が、「システム的な変更に携われない」、という事の直接の原因では無いと思います。
モチベーションが上がらない、開発者とのやりとりが英語だけど英語
Re:非商用の弱味 (スコア:2, 興味深い)
入りこまないのでしょうか、入りこめないのでしょうか。
たとえばWindowsが嫌われる理由のひとつは、独占的にいろいろな規格が決められて、他の人はこれにかかわれない。迎合するしかないという点。
しかし、もしX環境の開発において、日本人やその他の非欧米人が規格の面でたずさわれない、顧慮されないなら、WindowsとXもあまりかわらないような気もします。こちらは迎合するしかないという点で。
むしろ商用のWinやMacの方が非欧米人フレンドリーだとも言えます。オープンソースといったって、われわれが無視された形でいくらオープンでもしょうがないわけで。
おそらく、今もってXでは縦書きは実現できないのではないでしょうか?そういう関数がもともとないと聞いたことがあります。Winや旧Mac、Aquaではもともとそういう機能が用意されてるらしいんですよね。
日本人はハードの開発では成功しているけど、ソフト開発がいまいちというのは、この基準や規格を決めるところには携われないという点も大きいのでは。英語という言語問題以外にも。(だってプログラミング言語は共通でしょう?)
TRONが登場してきたとき、その開発を押し進めるなら、Windowsを日本メーカーには卸さないと脅されたそうですが、どうもUNIXの世界でも事情があんまり違わないような気がするのですが。結局、向こうから来たものを加工するだけという点では。
一転して、日本人あるいは非欧米人が開発に貢献した例としては、Muleやnemacsが挙げられるでしょう。でも、この場合も、ローカリゼーションとして出発したものが、独自の実装となり、それがしまいには本家に統合されることになった。これはこれで貢献ではあるけれど、やはりローカリゼーションでやらないと無理なのかなぁ。TRONみたいなOSの開発やXという共通環境の規格開発には日本人は携われないのでしょうか?
こうした疑問からは、新聞などに話が出ていた日本、中国、韓国を中心にして、Linuxを元にしたOSの開発うんぬんというのは期待できるのでしょうか?
私の感じでは、中国は意外とレベルが高いような気がするのですが。初期からインターネットには国家的に取り組んでいたようですけど・・・
これもフリーソフトウェアのむつかしいところで。
GNUなんかでフリーでやってる人って大抵大学のポストをもってる人なんですよね。だから、給料をもらってるので、ソフトを売らなくても食える。
対して、大学人ではない場合、フリーでかつ質の高いソフトの開発というのは無理だと思います。じゃ、どうやって食うんだと?
だから、大学人以外で個別にソフト開発やってる人って、シェアウェアにならざるをえないと思います。
Mac OS Xのソフトだと、LightWayTextという半ワープロが、機能が高くて、安くて、とてもよいです。こんなのをフリーで、給料なしでって言ってもそれは無理だと思います。逆にいうと、フリーソフトにこだわっている限り、大学人御用達の計算ソフト以外では、使い勝手のいい高機能なものは望めないことになる。
UNIXのフリーは、大学人フリーなんです。つまり税金で給料が出てるのでフリーなわけです。だから、よく考えるとこれもフリーではない。
Re:非商用の弱味 (スコア:0)
>文字通り「入り込まない」です。開発者は自発的に「入り込まない」ことを選択している、ということです。
>> もしX環境の開発において、日本人やその他の非欧米人が規格の面でたずさわれない、顧慮されないなら
>こんなことは断じて無いです。殆どのオープンソースソフトウェアの開発は、メーリングリスト、IRC、フォーラムを通じて行われ、それらは誰でも参加できます。
理屈ではそうなんですけどね、、、
実際英語の読み書きが出来て、かなりの量のドキュメントを読破して、独特のコミュニケー
日本語のコスト (スコア:0)
さらにDistroWatchの記事にも日本語の入力やフォント関連のコスト(単に開発だけではなく特許関連とかも)がプロプラエタリでなければ支えきれないレベルになっていることを示唆する部分もあります。
そういうわけで、オープンソースを本気で普及させたいなら、少なくとも技術者や研究者だけでも英語力の底上げが近道のような気がします。
Re:日本語のコスト (スコア:1)
英語力よりはメンタリティの方が重要だと思います。
欧米(特に米国)では自分の意見を表明することが推奨されますし、また教育でもそれをちゃんと訓練として授業に組み込まれています。そういうなかで議論する技術とともに、議論で戦うことは普通のことという感覚がついているのだと思います。
一方、日本では、(今現在はどうなのか知りませんが)議論を戦わせ、相手を理解したり相手を納得させることが組み込まれたカリキュラムになっていないと思います。
特にソフトウェアは概念設計が大事なので、そういう議論・討論の訓練を受けていないと、コミュニティに入り込んでそれなりのポジションを得ることは難しいのではないかと。