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目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
子供のおもちゃから大衆娯楽へ (スコア:3, 興味深い)
が、今や表現力は他のメディアに引けを取らず、大衆娯楽としての地位を固めつつあります。そういう意味ではゲームはまだまだ移行期ですねぇ。
DSやWiiなんかはその流れにどっかり乗っかってあんだけ売上伸ばしたわけですし。そういう意味では、任天堂はゲームの最先端を走ってるとも言えるんじゃないでしょうか。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:子供のおもちゃから大衆娯楽へ (スコア:0)
物語があることは、このトピックにとって、特に必要なこと、意味があることとは思えません。
逆に、幼すぎるストーリーが大人の参加を阻害することはあると思いますが…。
インベーダーゲームだって、宇宙人の侵略から地球(月面基地だっけ?)を守るという崇高な使命を想像して、胸をときめかせていた人は少数派だったんじゃないでしょうか?
麻雀が嗜む人は、何か西遊記的中華世界の物語を想像して楽しんでいるかというと、そうでもなさげですし。
もしかしたら、私が知らないだけで麻雀には壮大なバックストーリーがあるのかも知れないけれど、寡聞にして聞いたことはないです。
子供のおもちゃと扱われていた理由は、別だと思いますよ。
初期値が鳥瞰的に物事を観察できる大人にはすぐ飽きてしまうほど単純だったことと、「子供が遊ぶ」→「子供向けに作った方が売れる」という子供ループが発生した結果だと思うのです。
当然遊ぶ人も人間、人間は成長するから、「子供向きに作った方が売れる」から「子供向きに作らなくても売れる」へ、時間と共に変化するのは必然です。
また、ゲーム機の販売台数はソフトウェア、つまりゲームタイトルで決まります。
が、同時に、ソフトウェアはハードウェアによって実現可能性に制約を受けます。
DSやWiiが成功したのは、表現力の向上という流れに乗っかったわけではなく、ハードウェアの構造そのものを変化させることによって、新しいソフトウェアの可能性を拓いたことにあるのでしょう。
そしてその変化が良い方に作用した結果、と。
もし、あなたの主張が正しいと仮定するのであれば、特定の素養がない(=想像力が欠如した)大人にとっての魅力は、表現力に依拠することになります。
そうなれば、「今、時代はPS3」ということになり、現実と矛盾しちゃいます。
Re:子供のおもちゃから大衆娯楽へ (スコア:2, 興味深い)
ほとんどのゲームは、記号を動かすことに何らかの意味を見出せなければ、何が楽しいのかサッパリわかんないわけですよ。スペースインベーダーで言えば、自機が砲台で下りてくるのがインベーダーだということが理解できないとゲームの目的が理解できないし「ただ点々が動いてるだけで何が楽しいのこれは?」という話になってしまう。要は記号に意味を見出すための難易度の問題です。子供はその辺の思考が柔軟なので、すぐに対応してしまうんですよ。そして、子供のおもちゃとして進化してしまったが故にゲームは映像以外の部分でもどんどん記号化されていったわけです。
映像表現力としてはPSやサターンの時点で必要十分が確保できていたのではないかと思います。例えば、バイオハザードなんか下手な映画よりも映像に臨場感と迫力がありますよね。けれど、ホラー映画がすきでもゲーム音痴は複雑に記号化されているゲームの操作方法が理解できずまともに遊べません。このあたりの話はべつにゲームに限ったことではなくて、例えばマンガなんかでもいわゆる漫符が理解できないと大半の作品は楽しめません。マンガの場合は長い時間をかけて浸透していった経緯がありますが、ゲームにはまだそこまでの歴史はまだありませんし、一般に浸透するよりもハードウェアの進歩の方が早いというのが現状です。
必要最低限の映像表現力が下地にあれば、あとは入力インタフェース側の記号化難易度を下げてやれば大衆化が可能になります。まさしく、今のWiiやDSがそれですよね。
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