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葬式の棺を担いでいる人がバナナを踏んで転ぶのをある男が目撃する。 笑ってはいけないと思いつつ笑いがこみあげてきてついに大笑いしてしまう。 周囲の目を気にして手近の映画館に飛びこむとちょうどコメディアンがバナナを踏んで転ぶ場面だった。 男は深い悲しみに襲われる。
これ、すごく共感できる話なんですが、この笑いは「誤った推理と現実の隙間を警告するよう脳を誘惑するためのもの」とは違いますよね。どういうメカニズムなんでしょう? # 引用の後半は悲しみの話だけど、これがないとオチがつかない。
誤った推測:葬式では厳粛に立居ふるまうべきである現実:バナナで転んでずっこける
笑いはすべて、あるべき姿と現実との差、端的に言えばすべて差別であるというのを聞いたことがある。
>>誤った推測:葬式では厳粛に立居ふるまうべきである>それは社会人}的には正しい推測ではないかと。
ここで言っている誤った推測とは、以下のような事を言っているのでは?
推測する事象Aに対して、事象Aが起こる時点をA'とし、A'より以前の時点で推測した事象Aの結果をBとします。そして、実際の事象Aの結果をCとした時、『BとCのギャップがあり、その補正される値が大きければ大きい程(あまりにも大きいのはダメなのかな?)、笑いにつながるよ~。』と言っているのでは無いでしょうか?
なので、推測の妥当性ってのはあまり関係がないように思います。なぜなら、正しいと思われる推測であろうとなかろうと、推測した当人が干渉しないかぎり、結果は『フタを開けるまで解らない』でしょう?
この場合、単純に「推測が誤っている」=「誤った推測」だね。「誤った考え方に基づく推測」は限定しすぎで、一般論にまではなれないと思う。
葬式のような厳粛な雰囲気が要請される場で、派手な音を立てて失敗するのは笑えるかもしれないが、逆に皆が楽しく騒いでいるパーティーで根暗に押し黙る人がいても陰気に感じるだけで笑えない、という非対称性から考えると単なる推理と現実のギャップというよりはいわゆる緊張と緩和のほうがあたってると思う。
それは、取りようと状況次第だと思う。厳粛の中でのずっこけも、本人が厳粛にしようと必死になっている中なら笑えるが、こいつを出席させたらまずいだろうと思えるほどいいかげんな奴ならば気まずく、怒りに満ちた空気になる。楽しいパーティでも、連れてくるんじゃなかったと思えるような人が暗ければ、陰気になるけれど、必死に笑顔を作ろうとして明るくしようとしても、オーラが真っ暗、頑張っているけど口を付くのは暗い話題という人ならば、笑えると思う。
葬式で変な奴がふざけてても笑える(葬式コントやどっきりに多い)し、必死に明るくしようとして失敗するのが笑えるってのは、その悲壮な努力が(本人にとっては)緊張の場面だからでしょ。そりゃ状況を作れば葬式もパーティも笑いの場面にも怒りの場面にもなるだろうけど、要は緊張した場面に不意に緩和が導入されるのと、緩和した場面に不意に緊張が導入されるのでは笑いの効果には差があるという話。笑いの場面の例を考えると葬式という緊張の場面がまず浮かぶ事自体その証左ではないかな。
>不意に緩和が導入緊張の中で失敗が起きて、さらなる緊張を緩和するために「笑い」が導入されるんじゃない?緊張+緩和で「笑い」になるんじゃなく、過度の緊張を緩和する安全機構として「笑い」があって、「笑い」の効果で緩和が起こると思うんだが。「笑い」を発生させた最後の「緊張」を、結果としての「緩和」とごっちゃにしてるような。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
笑いの根源はひとつではない (スコア:1)
星新一氏のエッセイにあった話(記憶モード)で、フランス映画の一こまだそうですが
これ、すごく共感できる話なんですが、この笑いは「誤った推理と現実の隙間を警告するよう脳を誘惑するためのもの」とは違いますよね。どういうメカニズムなんでしょう?
# 引用の後半は悲しみの話だけど、これがないとオチがつかない。
Re:笑いの根源はひとつではない (スコア:0)
誤った推測:葬式では厳粛に立居ふるまうべきである
現実:バナナで転んでずっこける
笑いはすべて、あるべき姿と現実との差、端的に言えばすべて差別である
というのを聞いたことがある。
Re: (スコア:0)
それは社会人}的には正しい推測ではないかと。
Re: (スコア:0)
>>誤った推測:葬式では厳粛に立居ふるまうべきである
>それは社会人}的には正しい推測ではないかと。
ここで言っている誤った推測とは、以下のような事を言っているのでは?
推測する事象Aに対して、事象Aが起こる時点をA'とし、A'より以前の時点で推測した事象Aの結果をBとします。
そして、実際の事象Aの結果をCとした時、
『BとCのギャップがあり、その補正される値が大きければ大きい程(あまりにも大きいのはダメなのかな?)、笑いにつながるよ~。』
と言っているのでは無いでしょうか?
なので、推測の妥当性ってのはあまり関係がないように思います。
なぜなら、正しいと思われる推測であろうとなかろうと、推測した当人が干渉しないかぎり、
結果は『フタを開けるまで解らない』でしょう?
Re: (スコア:0)
この場合、単純に「推測が誤っている」=「誤った推測」だね。
「誤った考え方に基づく推測」は限定しすぎで、一般論にまではなれないと思う。
Re: (スコア:0)
葬式のような厳粛な雰囲気が要請される場で、派手な音を立てて失敗するのは笑えるかもしれないが、
逆に皆が楽しく騒いでいるパーティーで根暗に押し黙る人がいても陰気に感じるだけで笑えない、という
非対称性から考えると単なる推理と現実のギャップというよりはいわゆる緊張と緩和のほうがあたってると思う。
Re: (スコア:0)
それは、取りようと状況次第だと思う。
厳粛の中でのずっこけも、本人が厳粛にしようと必死になっている中なら笑えるが、
こいつを出席させたらまずいだろうと思えるほどいいかげんな奴ならば気まずく、怒りに満ちた空気になる。
楽しいパーティでも、連れてくるんじゃなかったと思えるような人が暗ければ、陰気になるけれど、
必死に笑顔を作ろうとして明るくしようとしても、オーラが真っ暗、頑張っているけど口を付くのは暗い話題
という人ならば、笑えると思う。
Re: (スコア:0)
葬式で変な奴がふざけてても笑える(葬式コントやどっきりに多い)し、必死に明るくしようとして失敗するのが笑えるってのは、その悲壮な努力が(本人にとっては)緊張の場面だからでしょ。
そりゃ状況を作れば葬式もパーティも笑いの場面にも怒りの場面にもなるだろうけど、要は緊張した場面に不意に緩和が導入されるのと、緩和した場面に不意に緊張が導入されるのでは笑いの効果には差があるという話。笑いの場面の例を考えると葬式という緊張の場面がまず浮かぶ事自体その証左ではないかな。
Re:笑いの根源はひとつではない (スコア:1)
>不意に緩和が導入
緊張の中で失敗が起きて、さらなる緊張を緩和するために「笑い」が導入されるんじゃない?
緊張+緩和で「笑い」になるんじゃなく、過度の緊張を緩和する安全機構として「笑い」があって、「笑い」の効果で緩和が起こると思うんだが。
「笑い」を発生させた最後の「緊張」を、結果としての「緩和」とごっちゃにしてるような。
the.ACount