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公共図書館サービスの本質は、学校の図書室のような本の貸し出しや静かな座席提供にあるではなく、市民の知的活動を支援することにあります。
だから、図書館員が利用者のアシスタントをすることも、(決して静かではない)グループでのコミュニティ活動やイベントを行うことも公共図書館のサービスの一つになっているし、その一つには起業支援やネットアクセスを含む情報アクセスへの格差解消も含みます。
この観点では、パブリックビューイングを公共図書館でやる、というのはそれ自体は公共図書館の理念にそこまで反してはいませんし、実際アメリカでは今回もそこそこのの公共図書館でやっています。
だからといって、武雄市図書館がパブリックビューイングを行うことに問題がないか、というわけではないです。彼らのこれまで
もともと「PVの是非」ではなく、「PVを『図書館で行う事』の是非」の話だろ。
そんな御大層な事を考えなくとも、例えば「武雄市文化会館って何だ?」と気軽に異論を挟んでOKだろ?
"公共図書館"でのPVはふさわしくない"ものではない"という話だろ。
公共図書館で公民館の機能をやってもいいってことだよ。公民館があるからそっちで優先しようというのと、公民館があるからやるな、というのはぜんぜん違う。
「図書館に公民館的な機能があってもいい」と、「図書館とは大勢でサッカーのテレビ見て騒いでいい場所である」は別問題とは思いませんか。
それはPVをやることが問題ではなく、「PVのやり方の問題」だということです。
あと図書館と公共図書館では意味が違います。そして図書館の機能は図書室だけでないということです。
そして武雄市図書館の問題の一つは、書架にテレビをおいてやったことです(他にもあるだろうけど)。一方プロを交えてサッカーの解説や議論の場を提供するなどで、学習イベントになった事にかんしては、公共図書館の理念にあっているものなのです。
どう考えても、「図書館でPVをやること」自体の問題だと思うのですが。もちろん、PV会場で声を張り上げて応援することを禁止するなら話は別ですが。
あなたのコメントは「PV会場で声を張り上げて応援することを禁止」すれば「図書館でPVをやること」は問題ないと読めます。そうであれば「図書館でPVをやること自体の問題」ではなく、「やり方の問題」になると思います。
そういうのを覗いても、もっと良い所があるのにも関わらず話題取りの為だけにしか見えない図書館での実施(それも既に指摘されている様に、視聴ホールが有るにもかかわらず書架スペースを使って)が、不適だと言われているのだと思いますが。
要は、「公民館の方がずっと良い環境だってのに、一部の利用者に影響を与えてまで何故そこでする?」って事だわ。視聴ホールであれば少々騒いでも問題にならないし、文化会館のホールならちょっとしたコンサートだって出来る位。たぶんどっちでもTVなんか借りて来ないでも見れるはず(映写設備の無い視聴覚室やホールは作らないだろ)なんで、市民の予算を適正に使っているのか?って点でも疑問が有る。
「PV会場で声を張り上げて応援することを禁止」するなどという制限が必要である時点で、図書館がPV会場としてふさわしくないことは自明でしょう?なぜ「やり方の問題」に収束させたいのか、意図が見えない。
普通にメリットデメリットで比較したほうが素直なんじゃない?そして、私には図書館でPVをやるメリットが思い当たりません。せいぜいが話題性位のもので、市長にとってはそれが凄く重要だったということになるのでしょうか…
文化会舘を使わなかった理由として、市長の選挙公約に「文化会舘を解体して図書館の別館を建てる」というものがあり [saga-s.co.jp]、文化会舘の利用実績を増やすとその妨げになると考えたのでは、との指摘を目にしました。
確かに、先日の将棋名人戦の大盤解説もわざわざ図書館でやってましたしね。
まぁ、仮に「やり方の問題」だったとしても、今回の「やり方」がダメダメだったことに変わりないですけどね。
既に指摘されている通り、同じ図書館を使うにしてもメディアホールで開催すれば今回のような批判は受けず(広報のルール違反とかの件は措いといて)、多少は図書館のアピールにもなったかもしれません。そうではなくわざわざ批判を受けそうなやり方を選んだ時点で、市長の政治的能力の程度が知れるというものです。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
パブリックビューイングを行うこと自体ではなく、そのやり方を問うべき (スコア:3, 興味深い)
公共図書館サービスの本質は、学校の図書室のような本の貸し出しや静かな座席提供にあるではなく、
市民の知的活動を支援することにあります。
だから、図書館員が利用者のアシスタントをすることも、(決して静かではない)グループでのコミュニティ活動やイベントを行うことも
公共図書館のサービスの一つになっているし、その一つには起業支援やネットアクセスを含む情報アクセスへの格差解消も含みます。
この観点では、パブリックビューイングを公共図書館でやる、というのは
それ自体は公共図書館の理念にそこまで反してはいませんし、
実際アメリカでは今回もそこそこのの公共図書館でやっています。
だからといって、武雄市図書館がパブリックビューイングを行うことに問題がないか、というわけではないです。
彼らのこれまで
Re:パブリックビューイングを行うこと自体ではなく、そのやり方を問うべき (スコア:0)
もともと「PVの是非」ではなく、「PVを『図書館で行う事』の是非」の話だろ。
そんな御大層な事を考えなくとも、例えば「武雄市文化会館って何だ?」と気軽に異論を挟んでOKだろ?
Re: (スコア:0)
"公共図書館"でのPVはふさわしくない"ものではない"という話だろ。
公共図書館で公民館の機能をやってもいいってことだよ。
公民館があるからそっちで優先しようというのと、公民館があるからやるな、というのはぜんぜん違う。
Re: (スコア:0)
「図書館に公民館的な機能があってもいい」
と、
「図書館とは大勢でサッカーのテレビ見て騒いでいい場所である」
は別問題とは思いませんか。
Re: (スコア:0)
「図書館に公民館的な機能があってもいい」
と、
「図書館とは大勢でサッカーのテレビ見て騒いでいい場所である」
は別問題とは思いませんか。
それはPVをやることが問題ではなく、「PVのやり方の問題」だということです。
Re: (スコア:0)
あと図書館と公共図書館では意味が違います。
そして図書館の機能は図書室だけでないということです。
そして武雄市図書館の問題の一つは、書架にテレビをおいてやったことです(他にもあるだろうけど)。
一方プロを交えてサッカーの解説や議論の場を提供するなどで、学習イベントになった事にかんしては、
公共図書館の理念にあっているものなのです。
Re: (スコア:0)
どう考えても、
「図書館でPVをやること」自体の問題だと思うのですが。
もちろん、PV会場で声を張り上げて応援することを禁止するなら話は別ですが。
Re: (スコア:0)
あなたのコメントは「PV会場で声を張り上げて応援することを禁止」すれば「図書館でPVをやること」は問題ないと読めます。そうであれば「図書館でPVをやること自体の問題」ではなく、「やり方の問題」になると思います。
Re: (スコア:0)
そういうのを覗いても、もっと良い所があるのにも関わらず話題取りの為だけにしか見えない図書館での実施
(それも既に指摘されている様に、視聴ホールが有るにもかかわらず書架スペースを使って)
が、不適だと言われているのだと思いますが。
要は、「公民館の方がずっと良い環境だってのに、一部の利用者に影響を与えてまで何故そこでする?」って事だわ。
視聴ホールであれば少々騒いでも問題にならないし、文化会館のホールならちょっとしたコンサートだって出来る位。
たぶんどっちでもTVなんか借りて来ないでも見れるはず(映写設備の無い視聴覚室やホールは作らないだろ)なんで、
市民の予算を適正に使っているのか?って点でも疑問が有る。
Re: (スコア:0)
「PV会場で声を張り上げて応援することを禁止」するなどという制限が必要である時点で、
図書館がPV会場としてふさわしくないことは自明でしょう?
なぜ「やり方の問題」に収束させたいのか、意図が見えない。
普通にメリットデメリットで比較したほうが素直なんじゃない?
そして、私には図書館でPVをやるメリットが思い当たりません。
せいぜいが話題性位のもので、市長にとってはそれが凄く重要だったということになるのでしょうか…
Re: (スコア:0)
文化会舘を使わなかった理由として、市長の選挙公約に「文化会舘を解体して図書館の別館を建てる」というものがあり [saga-s.co.jp]、文化会舘の利用実績を増やすとその妨げになると考えたのでは、との指摘を目にしました。
確かに、先日の将棋名人戦の大盤解説もわざわざ図書館でやってましたしね。
Re: (スコア:0)
まぁ、仮に「やり方の問題」だったとしても、今回の「やり方」がダメダメだったことに変わりないですけどね。
既に指摘されている通り、同じ図書館を使うにしてもメディアホールで開催すれば今回のような批判は受けず(広報のルール違反とかの件は措いといて)、多少は図書館のアピールにもなったかもしれません。そうではなくわざわざ批判を受けそうなやり方を選んだ時点で、市長の政治的能力の程度が知れるというものです。