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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
誰か、見かけた人いませんか? (スコア:0, オフトピック)
ところで、データ―ベースって、結局のところストレージの上で B-tree とかをやってるだけなんでしょ?
なんで、そのアルゴリズムそのものを直接、提供できないのかな?
最近、ストレージそのものを弄るコード書いてないんですよね……
なんだか、データベースの後ろには“間接性の悪”っていうのが見え隠れしている気がします。
Re:誰か、見かけた人いませんか? (スコア:0)
適切な抽象化を提供する間接性は、トレードオフはありますが基本的に善です。
例えばクエリ言語によって(少なくとも名目上は)データ操作を宣言的に指示できる
メリットは、たいていの場合パフォーマンス低下やクエリ言語の学習コストを
補って余りあります。
パフォーマンス最優先なら間接層であるDBはデメリットが多いのかもしれませんが、
それをもって悪とするのは言い過ぎでしょう。
# あえて真面目に反応してみる
Re:誰か、見かけた人いませんか? (スコア:1)
たとえば、分散トランザクションの概念を咀嚼することもせずに“テクニカルな呪文”としてコミット/ロールバックを使いわけているだけのSEを現場で見かけたりします。そして、見かけ上のスループットを向上させるためにトランザクションの分割をする段になって揉めに揉めていました…(もぅ、ヤダ)。
最近のユーザ要件を満たすために処理すべき事柄は古典的なデータ処理から逸脱したものが増えてしまっているので、性能が優先というのはもちろんのことですし、便利な抽象性をあえて捨象した要素技術の地平にまで立ち戻らないとユーザの望みを機械が満たせるかどうかを判断することも難しくなっているように感じています。
抽象的表現・宣言記述とそれを機械の動作に射影するための要素技術、その両方をムリなく考える枠組みを提示できるのでなければ“善”とはいえないと思います。“アイデアとしては悪くない”程度だと思っています。
Re:誰か、見かけた人いませんか? (スコア:0)
> 抽象的な宣言より先(SQLステートメントからネットワークとを介して実際のストレージの動作に到るまでの事柄・成り立ち)を考える能力が育ちにくいという危惧があります。
同意しますが、教育の話だったのなら先に言ってください。元レスはパフォーマンス至上としか読めません。
また、maoyamさんは抽象性を「わかったつもりになれる気安さ」と表現(批判?)していますが、私は、抽象を理解するということを、ただ単にその抽象度で物事を理解したということだと考えています。そもそも、具象を考えずに済ませるのが