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そういう行為が可能な実装を行った運営側もどうなんでしょうね。
他人のいる空間に行き、映像・音などで迷惑行為を実行することは、 たいていのオンライン3Dゲームであれば可能です。 Second Lifeのみの問題ではなく、実行可能な実装を批判するなんてのは本末転倒です。(例:某Ragnarok Onlineでは日常茶飯事。)
本当に必要なのは、事後のきちんとした対応です。Second Lifeの場合、公共の場での銃の発砲が禁止されていますので、 発砲した者が問答無用でアカウント停止されるようだと、ちゃんと正常化が機能していることになります。
どうせ物理的な被害のない純粋な表現行為なのだから、一般的な表現行為と同列に扱えるのではないですか?つまり、言葉による暴力と同じだと思う。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
最後の一行がネタとなるのは伝統なのか? (スコア:4, 参考になる)
他人のいる空間に行き、映像・音などで迷惑行為を実行することは、 たいていのオンライン3Dゲームであれば可能です。 Second Lifeのみの問題ではなく、実行可能な実装を批判するなんてのは本末転倒です。(例:某Ragnarok Onlineでは日常茶飯事。)
本当に必要なのは、事後のきちんとした対応です。Second Lifeの場合、公共の場での銃の発砲が禁止されていますので、 発砲した者が問答無用でアカウント停止されるようだと、ちゃんと正常化が機能していることになります。
All your base are belong to us
Re:最後の一行がネタとなるのは伝統なのか? (スコア:0)
一般的な表現行為と同列に扱えるのではないですか?
つまり、言葉による暴力と同じだと思う。
たとえば相手を殺すという意味の表現をしたいという
需要があるのなら、たとえその直接的な表現を禁止したり
取り締まったところで、別の方法で同じ意味を表現する
手法が出てくる。言葉狩りといっしょですよ。
Re:最後の一行がネタとなるのは伝統なのか? (スコア:0)
全然違うでしょう。自分のキャラクターで閉じた範囲内での表現だったら「言葉によるものと同じだ」と言えるのかもしれません。しかし、仮想空間内とはいえ、他人の持ち物に対してアクションを起こしているわけで、それまでを「純粋な表現行為」と言えるんでしょうか。
タレこみには建物に放火したとありますが、それは、その建物で何かを表現したい持ち主の権利を侵害していませんか?なんか「物理的被害がなけりゃ、なにやってもいい」みたいな乱暴な議論です。
Re:最後の一行がネタとなるのは伝統なのか? (スコア:1)
あくまでも仮想の持ち物です。「怪盗ルパンが金塊を盗んでいきました」という表現がされたのと同様に、現実の誰の何も消失していない作り話です。
ローカルPCのデータを消されたわけでは無く、SLという演劇のなかで事件という表現がなされたに過ぎません。
Re:最後の一行がネタとなるのは伝統なのか? (スコア:1, 参考になる)
Second Life内での金やモノが現実の金と交換可能であるなら、法律上の財産として扱われてもおかしくない。
ある意味、銀行の預金口座の通帳に書かれている数字と同じ価値を持ち得る。
Re:最後の一行がネタとなるのは伝統なのか? (スコア:0)
個人的にはギャンブルを思い出します。ゲームで負ければ自分が「持ち込んで(=賭けて)」いたリアルマネーを奪われます。個人的にはギャンブルは全く好きじゃないので、パチンコなんかを見ても「よくやる気になるもんだ」と呆れて見てたりするのですが、まあそれと似たようなものかなと。