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国粋主義が大手を振っている、という観点では日本より米国のほうが ずっとひどい状況にあるけど、それに対して戦ってでも自由を勝ち取る、 という動きがある (そして、その戦いが国をも動かすことができる) のが米国の救いどこ
この斉唱を強制させるっていうのは、いやがる生徒の口をおしあけて強引に歌わせる事例があるとおっしゃってます?
口をおしあけた事例があるかどうかは知りませんが、教育指導要領で、国歌を斉唱するよう指導するものとなっています [mext.go.jp]。
国旗・国歌の扱いについていつも思うのは、わたしたちが「××人」であるというのは星の数ほどある事実のひとつに過ぎないことなのに、なぜその事実だけをことさらに取り上げる必要があるのか、ということです。市町村の旗や歌や、都道府県の旗や歌などは、なぜ取り上げないのでしょうか。世界の旗や歌や、人類の旗や歌や、哺乳類の旗や歌や
事実上は黙っているという選択肢があるし、認められているわけですよね。
これは、正しくない側面があります。義務教育を考えてみてください。「子供は教育を受ける義務がある」とは言わずに「子供に教育を受けさせる義務がある」という言い方をしますが、これによって子供に「教育を受けない自由」がある、と言うことはできません。 指導教員には、児童・生徒に国家を斉唱させる義務があります(指導要領に従わなかった教員がどうなったか、言うまでも無いと思います)。
国歌だとすると...好きな国歌のある国ですとか、国歌への拒絶感が日本以上に強い国に移
押しつけ
そんなこと、太字で書かなくても百も承知です。 国歌を歌う自由と、その他の歌を歌う自由は、 同時には満たすことはできません。
つまり、国歌を歌う自由は、その他の歌を歌う自由を侵害 することなしには成立しないし、その逆も真なのです。
そのとき、国歌を歌う自由のほうを、いつもいつも優先させる のはなぜですか、と
そのとき、国歌を歌う自由のほうを、いつもいつも優先させる のはなぜですか
それは国民の大多数の支持を受けて法律によって制定された国歌だからです。まあ式典なんていうものは、多かれ少なかれ強制されるものでしょう。 逆にどのような条件の元であれば式典のなかに歌をうたうという行為を盛り込むことができるのでしょうか。一人の反対者もいないという条件ですか? 例えが悪いかも知れませんが、周りの過半数以上の人が支持してるなか「俺は校長先生のお
この手合いは いつも いつも「デマ」を書くんだなぁ。
いきなりレッテル貼り? それはともかくとしてジャズアレンジ事件(?)が起きたのは法制化される以前だったと言うのは、指摘されるまで気づきませんでした。謝罪します。 ただそれをもってしてジャズアレンジを正当化されるのはどうかとおもいます。もう一つの流れ [srad.jp]の方で書いたのですが、国歌を批判することを批判しているのではなくて、その方法が問題だと思うのです。この教師は自分のイデオロギーなり思想信条なりのためにいわば顧客である生徒や保護者を犠牲にしたわけですよね?その行為に対してはそれなりのペナルティが与えられるのは当
「法的な後ろ盾がなく、様々な問題を抱えている 君が代」を 卒業式に演奏させようとした「カルトな校長や 教育委員会」達が最初に 「自分のイデオロギーなり 思想信条なり」で 生徒や保護者を犠牲にしているじゃない。
「君が代・日の丸を強制する無神経さ」
う~ん...
いずれも大変重い罪です(クーデターは、それ自体は国家法益というささやかな法益を害するにすぎませんが、その過程で人身が害され得ることは意識すべきです)。
さて、生命の自由に比べれば小さなものですが、精神の自由は憲法上これに次ぐ優先順位の高い価値を有するものとされています。これと風俗秩序が対立するとき、風俗秩序を重視すべきだとは、私には思えません。
そう言う意味では、「作る会」教科書を持ち込んで授業するのも、正当な行為だと思いますよ。これを禁止する行為に対して、その地域から反対の声を上げる団体が出るかどうかは、分かりませんが。(あ、でも某政党の支持は強かったですね。ってことはあり得るかな?)
※もちろん、元の話に合わせて、観念的な次元で語っています。適正手続を度外視しています(適正手続も意識した話は別の枝で書きましたんでね)。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
親が子供に与えられるもの (スコア:1)
大体数が盲目的に受け入れてしまっているようなことに対して、意義を述べるのは勇気のいることだし、今回のようにいろいろな反発を招くことも多いけれど、それを避けてしまってはいけないと思う。
「先生の言うことをよく聞きいていい子にしなさい」みたいな
自由への戦い (スコア:1, すばらしい洞察)
国粋主義が大手を振っている、という観点では日本より米国のほうが ずっとひどい状況にあるけど、それに対して戦ってでも自由を勝ち取る、 という動きがある (そして、その戦いが国をも動かすことができる) のが米国の救いどこ
Re:自由への戦い (スコア:0)
> 対しても、ぜんぜんその訴えが通る気配もない。 反対のやりかたが
> 悪いのか、政府や裁判所にろくな人がいないのが 悪いのか、それは
> 分かりませんが。
Re:自由への戦い (スコア:0)
この手の「表現の自由」「内心の自由」を蔑ろにする 思慮の浅い人が多いからでしょうね。
「君が代」や「国歌
Re:自由への戦い (スコア:0)
> 「君が代」や「国歌」なんてモノに さしたる価値を見出さない場合は代案そのものも不要。
> そんなコトとは別に「斉唱を強制するコト」への厚顔無恥に 嫌悪が募るって判ってなんだろうな。
って言うく
Re:自由への戦い (スコア:0)
・なんの後ろ盾もない「君が代」「日の丸」をあたかも 国歌・国旗のごとく使いつづける。
・その問題点の指摘には ウヤムヤにごまかし続ける。
・他の楽曲、デザイン案とのコンペなど一切行わない。
・教育現場の儀礼では執拗に掲示、斉唱を強制させる。
・政策の
Re:自由への戦い (スコア:0)
この斉唱を強制させるっていうのは、いやがる生徒の口をおしあけて強引に歌わせる事例があるとおっしゃってます?
少なくとも日の丸と君が代は国民の半数以上の支持 [nikkei-r.co.jp]があり、国旗国歌法で法律まで制定されたわけですから公共の教育機関で掲示されるのは問題無いし、斉唱するのも問題無いと思います。
勿論歌う歌わないは各人の自由ですし、各人に歌うことを強引に強制するのであれば私も反対します。ただ、国歌を歌う自由というものもあるという
歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:1)
口をおしあけた事例があるかどうかは知りませんが、教育指導要領で、国歌を斉唱するよう指導するものとなっています [mext.go.jp]。
国旗・国歌の扱いについていつも思うのは、わたしたちが「××人」であるというのは星の数ほどある事実のひとつに過ぎないことなのに、なぜその事実だけをことさらに取り上げる必要があるのか、ということです。市町村の旗や歌や、都道府県の旗や歌などは、なぜ取り上げないのでしょうか。世界の旗や歌や、人類の旗や歌や、哺乳類の旗や歌や
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:0)
なるほど。確かにそこには議論の余地はあるかもしれません。とはいえ、事実上は黙っているという選択肢があるし、認められているわけですよね。
>市町村の旗や歌や、都道府県の旗や歌などは、なぜ取り上げないのでしょうか。
同様にお聞きしたいのは、例えば生徒の中で一人でも「俺この校歌思想信条上の理由から嫌いなんだよね」という人がいたら卒業式で校歌斉唱したらいけなくなるのかということです。校歌はオーケーだとした
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:1)
これは、正しくない側面があります。義務教育を考えてみてください。「子供は教育を受ける義務がある」とは言わずに「子供に教育を受けさせる義務がある」という言い方をしますが、これによって子供に「教育を受けない自由」がある、と言うことはできません。
指導教員には、児童・生徒に国家を斉唱させる義務があります(指導要領に従わなかった教員がどうなったか、言うまでも無いと思います)。
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:0)
言うまでも無いと言うことですが、その教員というのは式典で国旗の掲揚と国歌の斉唱を妨害した教員のことでは?誰か生徒が歌ってなかったのがバレて免職になったとか言う事例があるのでしょうか。
もしあったとしたら、私としても反対します。
>国歌に対する好き嫌いを行為に反映できる自由があれば、こんな話をする必要は無いのですが。
他の皆が国歌を歌っている時間黙っているのがどうしても耐えられないということであれば、他に手段がないと思います (式典参加の拒否という手もありますね)。無論大抵の人は移住するリスクが高すぎるので歌うな
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:1)
そんなこと、太字で書かなくても百も承知です。 国歌を歌う自由と、その他の歌を歌う自由は、 同時には満たすことはできません。
つまり、国歌を歌う自由は、その他の歌を歌う自由を侵害 することなしには成立しないし、その逆も真なのです。
そのとき、国歌を歌う自由のほうを、いつもいつも優先させる のはなぜですか、と
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:0)
それは国民の大多数の支持を受けて法律によって制定された国歌だからです。まあ式典なんていうものは、多かれ少なかれ強制されるものでしょう。
逆にどのような条件の元であれば式典のなかに歌をうたうという行為を盛り込むことができるのでしょうか。一人の反対者もいないという条件ですか?
例えが悪いかも知れませんが、周りの過半数以上の人が支持してるなか「俺は校長先生のお
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:0)
この手合いは いつも いつも「デマ」を書くんだなぁ。
「国歌」として法によって制定されるきっかけのひとつには
「卒業式での 君が代・日の丸強制での混乱が原因(とされる) 校長の自殺事件」
があったわけだ。
法制化される以前に「法的な根拠なく 卒業式で強制する事態」があったコト、
それが99年以前は頻発し
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:0)
いきなりレッテル貼り?
それはともかくとしてジャズアレンジ事件(?)が起きたのは法制化される以前だったと言うのは、指摘されるまで気づきませんでした。謝罪します。
ただそれをもってしてジャズアレンジを正当化されるのはどうかとおもいます。もう一つの流れ [srad.jp]の方で書いたのですが、国歌を批判することを批判しているのではなくて、その方法が問題だと思うのです。この教師は自分のイデオロギーなり思想信条なりのためにいわば顧客である生徒や保護者を犠牲にしたわけですよね?その行為に対してはそれなりのペナルティが与えられるのは当
Re:歌うも歌わないも見せ掛けだけの自由 (スコア:0)
> いわば顧客である生徒や保護者を犠牲にしたわけですよね?
やっぱり カルト教団系な発想だな。
「法的な後ろ盾がなく、様々な問題を抱えている 君が代」を
卒業式に演奏させようとした「カルトな校長や 教育委員会」達が最初に
「自分のイデオロギーなり 思想信条
クーデターの容認? (スコア:0)
法的な後ろ盾がなく、様々な問題を抱えてい(と担当者が認識)さえすれば校歌や、仰げば尊しを事前のコンセンサスを得ることなくジャズ風にアレンジして式典で演奏 [fenet.or.jp]しても許されるとお考えですか?
また少なくとも教育委員は議会によって選任されています。そのことの重さを御理解ください。
あなたは現場の一担当者のクーデターを容認されるわけではないですよね?もし今後教育委員会の決定により採択されなかった「作る会の教科書」を現場の教師が勝手に使用しても許してもらえますか?あるいは青年将校が彼の良心を発揮して起こしたクーデターなども認めてくださいますか?
あなたが問題にしている強制は教職員に対してですか?生徒に対してですか?生徒に対してであれば私も相当に無神経だと思いますので、ソースの提示をお願いします。
教職員であれば、校長なり、教育委員会なりに自由を強制なり制限なりされるのは当然。
例えば、私が輸血を拒否する宗教の信者だとします。私が患者だとしたら輸血を拒否する自由はあるでしょう。「私が死んでもいいけど輸血しないでね」と。ただし、私が国立なんたら病院の看護師だったとしたら、上長の「患者に輸血しろ」という指示を拒否することはできません。拒否する場合にはそれなりのペナルティを覚悟します。
例えば御自身の家族が輸血を受けれなかったために犠牲になってしまうということも考えられるわけですよ。そういう認識のもとにこのような看護師に対しても、あなたは彼(女)の自由を認めていただけますか?
Re:クーデターの容認? (スコア:1)
う~ん...
いずれも大変重い罪です(クーデターは、それ自体は国家法益というささやかな法益を害するにすぎませんが、その過程で人身が害され得ることは意識すべきです)。
さて、生命の自由に比べれば小さなものですが、精神の自由は憲法上これに次ぐ優先順位の高い価値を有するものとされています。これと風俗秩序が対立するとき、風俗秩序を重視すべきだとは、私には思えません。
そう言う意味では、「作る会」教科書を持ち込んで授業するのも、正当な行為だと思いますよ。これを禁止する行為に対して、その地域から反対の声を上げる団体が出るかどうかは、分かりませんが。(あ、でも某政党の支持は強かったですね。ってことはあり得るかな?)
※もちろん、元の話に合わせて、観念的な次元で語っています。適正手続を度外視しています(適正手続も意識した話は別の枝で書きましたんでね)。