アカウント名:
パスワード:
偏った政治信条の人たちの運動じゃないでしょうね。
かえって各国内が混乱するだけ。
比較的一貫性があって論理的に近い
新かなに対応させるのならば旧かなと呼ぶべきでしょう。
現代仮名遣いこそが「正」で、なんか読みにくい妙な仮名遣いが「邪」
自分に取って都合のいいものが「正」都合の悪いものが「邪」
言葉に「正しい」「間違い」を求めるのって、むなしい作業に思います。
でも、その文法を言語の正しい/間違いを見わけるために使うのは、どうかと思う。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
不要なのでは (スコア:5, すばらしい洞察)
Re:不要なのでは (スコア:1, すばらしい洞察)
かえって各国内が混乱するだけ。
まともな識者は参加してるのでしょうか?
偏った政治信条の人たちの運動じゃないでしょうね。
Re:不要なのでは (スコア:0, フレームのもと)
それはともかく、 意外とそんなことはないかもしれませんよ。実際、日本は正字・正仮名遣いを切り替えた経験がありますから。
特に、正仮名遣いについては、新仮名遣いよりも論理的に正しいにもかかわらず。
おふとぴ (スコア:1, すばらしい洞察)
”正”かなと呼んで正しさを主張した上で議論を始めようというのに不満を抱いています。
正に対応する字は邪なり誤なりであって、字面だけですでに議論になりません。
この用語を使っている時点で”偏った政治信条”を自己申告しているようなものです。
新かなに対応させるのならば旧かなと呼ぶべきでしょう。
または歴史的かな遣いと呼ぶとか。
Re:おふとぴ (スコア:2, 興味深い)
歴史的仮名遣いと呼びたければ、そう呼べばいいし、旧仮名遣いと呼ぶ人がいても構いませんよ。少なくともこの場合、人に用語を強制するほど「偏った政治信条」を持ってはいませんから。あなたはどうでしょう?
むしろ論理的には、新仮名遣いを「邪」仮名遣いと呼ぶべきでしょうね。論理的整合性を追及するという立場が論理的に整合しているから。
でもそれでは、話が通じないので、新仮名遣いという用語を使っています。
Re:おふとぴ (スコア:0)
自分に取って都合のいいものが「正」都合の悪いものが「邪」
自分の指示する側を「正」と言い切る連中と建設的な会話は不可。
Re:おふとぴ (スコア:0, 荒らし)
私は戦後生まれで、正仮名遣いでまともに文章をつづれません。どちらの方が都合がいいかといえば、新仮名遣いですが、正しいのは正仮名遣いです。
正邪と都合不都合は別物です。あなたは違うのですか?
Re:おふとぴ (スコア:2, 興味深い)
言葉の第1の目的は、自分の考えをできるだけ正確に、かつできるだけ多く人に伝えること。そして、正確に多くの人に理解してもらうために、なんらかのパターンや慣用表現が決まっていくのは自然の成り行き。また、それを広く効率よく教えるために、「文法」という形でそれらのパターンを整理するというのも、近代的教育システムのためには必要。
でも、その文法を言語の正しい/間違いを見わけるために使うのは、どうかと思う。あくまで文法は、「この規則にのっとってしゃべっていれば、ひどい誤解はうけませんよ」という程度のものと考えるべきではないのかなぁ。
Re:おふとぴ (スコア:1)
一連の議論で、そんなことをした人はいないようですが。
特にこの場合には、正仮名遣いも新仮名遣いも学校で習うのですから、その批判は当たらないと思います。