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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
難しい研究だ (スコア:3, すばらしい洞察)
竹の研究をしているようにしか見えない。竹はたくさんあるが、ここで切ると新しい竹筒ができるぞ!とか三節が一番使いやすいなとか。もっと長い竹を用意すればいろいろできるかもしれないとか。
いや、バカにしているわけではなく、発見した後のことをもっと知りたい。
Re:難しい研究だ (スコア:3, 参考になる)
プレスリリースによれば、これまで発見されてきた数百種類の中間子はすべてが一対の
クォーク・反クォークからできていたのに、今回発見された新種の中間子は計4つの
クォークからできている新しい種類である、と。
こういう新しい種類の粒子が見つかると、その存在可能性をちゃんと説明できる理論の
構築が求められるわけです。あるいはそれが既に予言されていた粒子なら、その予言をした
理論が正しいことが裏付けられる。竹の例えで言うなら、「節はこういう理由でできる」
「こういう竹もあるかもしれなくて、それはこういうことに応用できるかも」という
次の一歩を促すのが、こういう新発見だと思うわけです。
「コレとアレをぶつけたらこんなん出ました」というだけではないんです。
Re:難しい研究だ (スコア:1)
「こういう竹もあるかもしれなくて、それはこういうことに応用できるかも」
前半はともかく、後半が聞こえない。
世の中のどういうニーズがあって、素粒子の研究に
繋がるのか説明してくれるひとに会えない。
これは基礎科学一般にいえることで、産業に組み込まれた
多くの普通の人々は、世の中のどういうニーズがあって今の仕事
をするのか考えることをいつも求められています。
そしてそういうシナリオのない仕事は敬遠されるだけでなく、
普通の人は許してもらえないのです。
だから、いつか何かに役に立つかもしれないっていう言い方
だけだと混乱します。
Re:難しい研究だ (スコア:4, すばらしい洞察)
>繋がるのか説明してくれるひとに会えない。
産業的,という意味ではニーズは無いと思います.
もうちょっと広範な意味でのニーズだと,「世の中わからん事があるから知りたい」
という社会のニーズに答えるもの,という事になるんでしょうか.
#基礎科学でもかなり直接的/間接的に産業に結びつくものもありますが,以下ではそういった
#ものとは違う,もう産業でのニーズなんぞには当分(数十年単位)結びつかないものを対象とします.
>そしてそういうシナリオのない仕事は敬遠されるだけでなく、
>普通の人は許してもらえないのです。
で,そういう微妙なニーズに対する研究でも,現代社会ではそれなりに許されている
わけです.それは現代社会がそこそこ余力があり,社会としての趣味,的なものとして
許されているからです.
#社会の中の個々人の趣味,というわけではなく,「社会」という総体が行う趣味,の
#ような意味で言っています.当然,社会に余力がなくなると打ち切られます.
元々先端科学というものは完全に趣味的であり,初期には宗教家の余技として,後には
貴族の嗜みとして,つまり社会的に裕福で金が余っていた存在が趣味的に行っていた
という面があります.これはまあ,自分らの資本で好きなようにやってるんだから好きに
やっていればよかったわけです.
その後,「どうも科学研究は産業育成や国力増大に役に立つらしい」という見方が生じ,
国が科学に金を出すようになりました.これによりそれまで不可能であった規模の研究も
出来るようになり,いわゆるビッグサイエンスが誕生します.
#国威発揚だったりすることもありますが.
こうなったときに問題になるのが,「ではわざわざ国が行うそういう科学はどんなリターン
をもたらすの?」という点です.その時に考慮すべきだと思うのは以下の点でしょうか.
1. 人間の知的好奇心を満たすのにどれほどの価値を認めるか?
単に知的好奇心を満たす研究は企業ではなかなかやれません(やっていないわけではあり
ません.大きな利益を得ている企業は,その余技としてどう考えても役に立たない基礎研究も
やっています).そういうニーズを満たすのには国による科学研究が有効です.ただ,それに
対しどこまで認めるか(知的好奇心を満たすってためには○○円までなら払えるな,というような
限度)は当然人により異なりますし,議論に乗せるべきです.
2. 思わぬところから思わぬ応用が出てくる事がある
革新的なブレイクスルーというものは,思わぬところから予想もできないような方法でやって
きます.そういったものを,結果を予測して研究から生み出すのは困難です.通常,国家による
科学研究で期待されているのはこういったものかもしれません.何せいつどんな驚異的な応用が
生まれるのかもわからない(生まれないかもしれない)研究に金をつぎ込めるほど余裕のある企業は
少ないからです(一部ありますが).そのため,事前の予想で産業的ニーズのない研究を完全に停止
すると,このようなブレイクスルーを見逃す可能性があります.
つまり,今ニーズが無い≠近い将来も使えない.
#一方,当然ながら,今ニーズが無い≠将来役に立つ,でもあります.
ただ,研究する側はこれを免罪符にしてはいけません.「当時何の役に立つかわからないといわ
れていて,今世界を支える研究がこんなにあるんだ」といったところで,実際には「当時何の役に
立つんだと言われて,今やっぱり役に立ってないし見向きもされない」研究も多数あります.
ですから,研究する側の我々も,常に「本当に自分が今やっている研究は意味があるのか」と自問
しながら,無駄は減らすとか,絞り込むとか,そういうのは必要でしょう.
#っても,実際どこから何が飛び出てくるかわからんので,その判断が正しいという保証はどうやっ
#ても出来ないんですが.
要は,ハイリスク・ハイリターンな研究(産業的用途のわからない基礎研究)と,ローリスク・ロー
リターンな研究(用途を見据えた研究)に対し,どういう比率でどの程度投資するか,という選択です.
ここでいうハイリターンとは,研究がうまくいった結果ではなく,そこから生まれる思わぬ発見が
ハイリターンであった場合を指します.
3. 波及効果
ビッグサイエンスのような装置依存型の先端研究の場合,装置作成に要する技術的要請を満たすために
周辺技術が進歩します.まあこれも一応考慮した方が良いかもしれません.
後は,こういった事を勘案して,それぞれがどの程度までを許すか,という議論でしょう.
ある人は知的好奇心を満たすなんぞには価値を見出さないでしょうし,別な人は無制限に近いような価値を
見出すかもしれない.将来のもしかしたら得られるかもしれない革新に賭ける人もいれば,堅実に目の前の
課題のクリアに賭ける人もいる.
Re:難しい研究だ (スコア:1)
とは異なる動機づけの仕方、興味の持ち方が必要だというのは
わかっていますが、それは好きでやってるからいいやということ
でしょうか?
歴史上、それをやらなければ進まなかった分野がいくらかある
、一見直接役に立たない基礎研究のコストは国家規模で長期的に
みたら投資価値とみなせるだけの期待値があるのだという説明
もよくされます。波及効果ってのも予算申請の書類にはよく
書いてある。国家にとってはそれでいいでしょう。
でも、中のひとにとっては下手な鉄砲の玉の役を担当している
ことになるわけで、あまり心地よい説明でもないはずです。
ふつうの思考のひとがそんな世界にほうりこまれたら
きっとすごい混乱すると思うんです。それともなにか、
中毒性があるんですかね???
Re:難しい研究だ (スコア:2, 興味深い)
これが大きな勘違いです.
中の人は,「俺が知りたいことを知るために研究する」という事で,単に知りたい/作りたいもので
計画書を出して,国の裁定を仰ぎます.
国側はまた違う観点から「この研究は役に立ちそうだ」(役に立つ,には単なる利益以外の各種の
役に立つ,が含まれます)と思えば金を出しますし,思わなければ金を出しません.
やってる本人にとってみれば,「気になるから調べてみよう」とかそういう感覚ですので,別に
それ自体は苦になるわけではありません.ほら,新しい事とか珍しい事とか凄いものとか見たり
聞いたり知ったりすると面白いじゃないですか.そういうものと同じです.
適切ではない面もありますが,例えば本好きの人間が面白い本をひたすら捜し歩くとか,ガジェット
好きの人間がいろいろ新製品を買ってはバラしてみる/使い込んでみるとか,変わったものが見たい
からどこか違う国に旅行してみるとか,そういう感覚に近いんじゃないかと思います.
「俺が珍しい遺跡を見たいだけなのに,(発見したものが国の所有になるのと引き換えに)国民が
旅費払ってくれるなんてラッキー」とか,そんな感じです.いやまあ,それは言いすぎですが.
>それともなにか、中毒性があるんですかね???
これはあるかと思います.
価値観が世間一般と異なるところまで行っちゃう人も結構いますし.
「研究と家庭とどっちが大事なの?」とか問われて「研究」と即答して離婚した某氏(……って身近な
ところだけでも何人かいるのが嫌な感じですが)とか,私財を投じて実験器具買って嬉しそうに磨いて
いる某氏とか(何人か(略))とか……
Re:難しい研究だ (スコア:1, すばらしい洞察)
結婚できてただけいいじゃないですか!
#師匠(指導教員)が独身だったのでAC
Re:難しい研究だ (スコア:1)
335さんの言う、社会的な貢献度ってのは、仕事が好きかどうかの判断基準の1つでしかない。
社会的な貢献度など重視しない人もいるでしょう。というか、それを重視する人は逆に少ないと思います。
大抵は、その仕事が自分の興味の対象かどうかで好悪が決まると思います。
さらにいうなら、好きかどうかより、報酬の多寡を重視する人が、大多数なはずです。
だから、好きな分野での知的好奇心が満たされるというだけで、その仕事を好きになる理由としては十分なんですよ。
そのうえで、能力があり、報酬に納得できれば、その仕事をやっていけるはずです。
Re:難しい研究だ (スコア:0)
社会のためにやる
楽しむためにやる
ってやつですね。そういえばLinusの[それがぼくには楽しかったから]
本にそんな意味のコメントがありました。
人の行動基準はそれらの三段階で変わっていくだろうと。