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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
はぁ (スコア:0, オフトピック)
自由に関する一般論的ゴタク (スコア:-1, オフトピック)
社会的な文脈での自由とは他者の行動に対する寛容の別名である。
(ソクラテスが無知の知を唱えた時代からの古いアイディアである。)
これは他者のある行動が社会に及ぼす得失に対してついて社会(あるいは個人が)無知である場合に
社会(あるいは個人が)その行動に干渉してしまうと
社会における問題解決のための並列分散探索が妨げられ社会全体の問題解決能力が落ちるため、これを防ぐという意味がある。
特に社会が組織的に干渉する場合その影響は大きいためより慎重な対応が必要となる。
(ミルの自由論で述べられているようにあの時代にはこのアイディアは既にあった。
並列分散探索には時間的効率だけでなく、探索失敗時のコストを抑えるというリスク管理的な側面もある。)
自由のこのような機能・意義を考えると、その逆の場合があることが分かる。
即ち他者のある行動が社会に及ぼす得失に対してついて社会(あるいは個人が)正しく知っている時は
干渉によって失敗が回避できたり、成功率が向上したりするためむしろ社会における問題解決のための並列分散探索の効率は向上するということである。
これを具体化した社会的な仕組みが権利というイベント駆動で要求の正当性を認定し、支援する仕組みである。
(義務、債務はこの「権利」の行使を要求を受ける側からみた場合の名であると考えられる。)
このように正当であると認められる場合は他者への干渉の要求(推奨、強制、禁止)はむしろ望ましく、社会的に支援を受けられるようになっている。
以上のように自由(他者に対する寛容)とは他者の行為の是非に関する無知に対する戦略であり。
権利(義務)とは無知に由来する自由対する知識獲得による修正であると考えられる。
知識の状態としては無知を初期状態と仮定するのが妥当なのでデフォルトは自由とし
知識増加とともに権利(義務)が増加するのは当然ということになる。
つまり、自由は減り続け規制は増え続けるのが人類の社会の常の在り方ということもできるわけ。
ただ幸いにもある知識が正しいと納得しているとその知識に関連する制約を受けていても心情的に不自由を感じることは少ない。
常時縛られているにもかかわらず重力のため地面から離れられないことを「不自由」と普段は思わないだろうし、
常時規制されているにもかかわらず「殺人」できないことを「不自由」と思うこともそうしょっちゅうあることではない。
</ゴタク>
以上のゴタクに基づいて考えると「自由であるべきインターネット」はあくまでもデフォルトについて言っているんでしかなくて、
いろいろ分かってくると権利(義務)が増えるのは当たり前という気がしてきちゃったりなんかしちゃったりして?
Re:自由に関する一般論的ゴタク (スコア:3, 参考になる)
Re:自由に関する一般論的ゴタク (スコア:2, おもしろおかしい)