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NECは海外ではあまりコンシューマに出てないんでしょうか?
(NECが)国内市場のデファクトスタンダードを確立するためにどのように戦ってきたのか
EPSONユーザーだったから知ってますが、互換機を叩き潰すために訴訟を起こしまくっていた [geocities.co.jp]んですよね。(笑) オープン戦略で世界的に勝利したIBMの真逆を行く、反資本主義的な、 素晴らしいガラパゴス的企業努力の賜物だと思いますよ、ええ。
PC98-NXシリーズをNECがPC/AT互換機と異なる独自の新規格だと言い張っていたという主張は事実なのか
これは他の方も仰られて
EPSON の国民機を2台使いましたけれど、日電に悪いイメージはありませんでしたよ。
1987年頃の状況を思い返すに、PC-9801 が強かったとはいえ、それ以外のアーキテクチャも店頭にデモ機が並ぶぐらいには各社各様だったので、日電仕様以外は商売にならないとまでは思われてなかったはずです。営業的には日電 PC-9801シリーズが強かったですけどね。日電だって、ビジネス向けは 9801 でホビー用は 8801 と位置づけていました。
今日では Windows がソフトウェア動作の互換性基準になっています。開発現場で Windows XP での動作が確認されていれば、そのソフトウェアを入手した人が自分の手元のXP 環境にインストールして使えるのは普通ですし、開発元もそのようになるのを期待しています。
Windows 普及以前は、ハードウェアメーカーのアーキテクチャがソフトウェア動作の互換性基準でした。日本で PC-9801 が強みを持っていたのは、VM2以降対応と謳われたアプリなら、ほぼ問題なく動作するという安心感があったからだと思います。アプリがあるからハードが売れて、ハードが普及しているからアプリが売れるという正のフィードバックが働いていたのが PC-9801 周辺環境で、国内他社との差は開く一方でしたね。
EPSON機が発表されたときの日電の反応は理解できました。EPSONがいうほどには互換性が高くなく、かつ、ソフトウェア開発が EPSON機で行われた場合に、アプリの互換性という利点が崩れて共倒れになってしまうからです。もちろん営業面でEPSONに市場を食われるのを嫌がったからというのはありますが、EPSONが安上がりに参入しようとしたのも事実でしょう。
結果から見ると、俗に言う EPSON チェックの導入は、まあまあな落としどころだったと思います。価格競争でユーザは廉価な新機種が入手しやすくなりましたし、営業的には EPSON 機はあくまでも日電機に似せて作られているものというのをビジネスユーザに具体的に説明できました。
当時の PC-9801 を今日の視点で IBM PC と比較して語ろうとするから違和感があるんですよ。互換機を排斥しながらもユーザに支持されているのは、Apple だって同じです。もし、今日の視点で比較するなら Mac, MacOS X が対応するんじゃないですか?
PC98 云々のところは、セールストークはそんなもんでしょう。DOS/V のセールストークのひとつが「豊富な IBM PC 向けソフトが利用できます」だったのと同じかと。
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最初のバージョンは常に打ち捨てられる。
あれはないの? (スコア:4, 興味深い)
NECは海外ではあまりコンシューマに出てないんでしょうか?
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:-1, フレームのもと)
独占的に日本を牛耳ってたけど、海外(パッカードベル買収)はだめだめだったんだよね。
でも、そもそもあんなガラパゴス文化の必要性ってあったのだろうか・・。
ただ単に独自規格で囲い込むことでNECが楽して儲けて、国民が高いPC買わされ続けただけだと思う・・。
PC-9800シリーズというガラパゴス文化が駆逐された末に出したPC98-NXシリーズ(笑)とかって、
ほとんどグローバルスタンダードであるPC-AT規格なのに、違う独自の新規格だとNECは言い張り、
非常に紛らわしいPC98というネーミングで無意味にユーザーを混乱させてたなぁ。
ガラパゴスの癖にこいつらほんと無駄にプライドが高いんだなぁと痛感したあの頃。
Re: (スコア:4, すばらしい洞察)
なんでPC-9801シリーズが牛耳れたのか(NECは労せずして牛耳ったのか、独占を楽々維持していたのか)、なぜ独自規格が繁栄したのか(ガラパゴスという定義はいつの時期を指すのか、そもそもPC-98がいつ誕生したと思っているのか、PC/AT互換機はいつから日本のデファクトスタンダードとなり得たと考えるのか?PC/AT互換機誕生以前は?)、国民はPC-98を無理矢理買わされていたのか(他に選択肢は無かったのか、それともあったのにPC-98を選んでいたのか、であるならば何故な
Re: (スコア:-1, 荒らし)
EPSONユーザーだったから知ってますが、互換機を叩き潰すために訴訟を起こしまくっていた [geocities.co.jp]んですよね。(笑)
オープン戦略で世界的に勝利したIBMの真逆を行く、
反資本主義的な、
素晴らしいガラパゴス的企業努力の賜物だと思いますよ、ええ。
これは他の方も仰られて
Re:あれはないの? (スコア:0)
EPSON の国民機を2台使いましたけれど、日電に悪いイメージはありませんでしたよ。
1987年頃の状況を思い返すに、PC-9801 が強かったとはいえ、それ以外のアーキテクチャも店頭にデモ機が
並ぶぐらいには各社各様だったので、日電仕様以外は商売にならないとまでは思われてなかったはずです。
営業的には日電 PC-9801シリーズが強かったですけどね。
日電だって、ビジネス向けは 9801 でホビー用は 8801 と位置づけていました。
今日では Windows がソフトウェア動作の互換性基準になっています。
開発現場で Windows XP での動作が確認されていれば、そのソフトウェアを入手した人が自分の手元の
XP 環境にインストールして使えるのは普通ですし、開発元もそのようになるのを期待しています。
Windows 普及以前は、ハードウェアメーカーのアーキテクチャがソフトウェア動作の互換性基準でした。
日本で PC-9801 が強みを持っていたのは、VM2以降対応と謳われたアプリなら、ほぼ問題なく動作する
という安心感があったからだと思います。
アプリがあるからハードが売れて、ハードが普及しているからアプリが売れるという正のフィードバックが
働いていたのが PC-9801 周辺環境で、国内他社との差は開く一方でしたね。
EPSON機が発表されたときの日電の反応は理解できました。
EPSONがいうほどには互換性が高くなく、かつ、ソフトウェア開発が EPSON機で行われた場合に、
アプリの互換性という利点が崩れて共倒れになってしまうからです。
もちろん営業面でEPSONに市場を食われるのを嫌がったからというのはありますが、
EPSONが安上がりに参入しようとしたのも事実でしょう。
結果から見ると、俗に言う EPSON チェックの導入は、まあまあな落としどころだったと思います。
価格競争でユーザは廉価な新機種が入手しやすくなりましたし、営業的には EPSON 機はあくまでも
日電機に似せて作られているものというのをビジネスユーザに具体的に説明できました。
当時の PC-9801 を今日の視点で IBM PC と比較して語ろうとするから違和感があるんですよ。
互換機を排斥しながらもユーザに支持されているのは、Apple だって同じです。
もし、今日の視点で比較するなら Mac, MacOS X が対応するんじゃないですか?
PC98 云々のところは、セールストークはそんなもんでしょう。
DOS/V のセールストークのひとつが「豊富な IBM PC 向けソフトが利用できます」だったのと同じかと。
Re: (スコア:0)
DOS/Vなら486の66MHzのパソコンが30万で手に入るのに、同じスペックの98だとフラッグシップ機で100万もする!
といった声はたくさん聞かれました。
しかし、その30万のパソコンというのは、日本IBMのPS/Vでもなければ、富士通のFMVでもないのです。
初期は、台湾に行ってパーツを買ってきて自分で組んだとか、個人輸入したとか、そういうものと比較されたのです。ナンセンスでしょ?
ほどなくして秋葉原で、いわゆるDOS/Vパーツが買えるようになり、メーカー製のパソコンよりも安くて速いとブームになりましたが、やはり、それと価格を比較するのはナンセンスでしょう。
ついでに新機種が出ても中身が代わり映えしない98に飽きた人たちにとって、DOS/Vパソコンは新天地でしたので、新しいもの好きの人たちは、喜んでDOS/Vを歓迎しましたね。
Re: (スコア:0)
100万もするPCなんて98のかなり初期の頃では…