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最近のネットの議論とかを見ていると思うのですが、「受け取る側が(今まで以上に)客観性を意識するべき」なのだと思います。私も含めてですが、自分に都合の良いソースだけを見ようとする傾向が出やすい。自分の主張を相容れないニュースをわざわざ探す人は少ないのではないでしょうか(批判することを目的として探す人は居そうですが)。
また、ネットでよく見かける「あいつは偏ってる」とか「あの社は(右|左)寄りだ」などの論調を見ていると、その半数以上が「情報を受け取る側としての」客観性を失っているように思えます。挙げ句の果てには、同じ通信社発の記事でも朝日(産経)掲載なら批判するが産経(朝日)掲載なら同調する、etc...。自分の気に入らない方向性の記事だからと言って「あいつは偏っている」などと批判するような向きもあるように感じます。記事を署名入りにしろという主張もよく見かけますが、その主張を見ていると「あいつの記事は俺の主張とは相容れない(これを「偏っている」と称する)から見たくない。だからフィルタする情報をくれ」というような暴論である場合すらあります。
# ちなみに私は署名記事を増やすことには賛成です。# アホな記者が淘汰されるし、右でも左でもそれぞれの主張がより明確になってきちんとした議論も成り立ちやすい(書き逃げできないもんね)。# 結局は全体のレベルアップに繋がると思うから。
TVや新聞などの既存マスコミの言っていることを無批判に受け入れてしまう人たちを「主体性がない」と批判することは別に構わないでしょう。実際にそういう面もあるでしょうし、何らかの情報操作を受けやすいというような危険性もありますから。でも、逆にWebでは自分の好きな、受け入れやすい方向性のニュースを無意識のうちに探してしまっている、つまり書く側の人が既に取捨選択している情報をさらに受け取る側で取捨選択するという二重のフィルターを掛けやすくなる(=主体性がありすぎて客観性が失われる)ことを意識している人がどれくらい居るでしょうか。勿論、TVや新聞でも同じように受け取り側のフィルター(どのチャンネルを見るか/どの新聞を取るか)は働きますが、それがより強く出てしまう場合があるのがWebという媒体なのではないでしょうか。
情報を受動的に受け取るのではなく能動的に受け取りにく媒体だからこそ、受け取る側の客観性がより一層求められるし、そこから派生する「主体性の強すぎる取捨選択が起こり得る」という危険性を認識する必要があると私は考えています。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
受け取る側の客観性が重要 (スコア:3, 興味深い)
最近のネットの議論とかを見ていると思うのですが、「受け取る側が(今まで以上に)客観性を意識するべき」なのだと思います。
私も含めてですが、自分に都合の良いソースだけを見ようとする傾向が出やすい。
自分の主張を相容れないニュースをわざわざ探す人は少ないのではないでしょうか(批判することを目的として探す人は居そうですが)。
また、ネットでよく見かける「あいつは偏ってる」とか「あの社は(右|左)寄りだ」などの論調を見ていると、その半数以上が「情報を受け取る側としての」客観性を失っているように思えます。
挙げ句の果てには、同じ通信社発の記事でも朝日(産経)掲載なら批判するが産経(朝日)掲載なら同調する、etc...。
自分の気に入らない方向性の記事だからと言って「あいつは偏っている」などと批判するような向きもあるように感じます。
記事を署名入りにしろという主張もよく見かけますが、その主張を見ていると「あいつの記事は俺の主張とは相容れない(これを「偏っている」と称する)から見たくない。だからフィルタする情報をくれ」というような暴論である場合すらあります。
# ちなみに私は署名記事を増やすことには賛成です。
# アホな記者が淘汰されるし、右でも左でもそれぞれの主張がより明確になってきちんとした議論も成り立ちやすい(書き逃げできないもんね)。
# 結局は全体のレベルアップに繋がると思うから。
TVや新聞などの既存マスコミの言っていることを無批判に受け入れてしまう人たちを「主体性がない」と批判することは別に構わないでしょう。
実際にそういう面もあるでしょうし、何らかの情報操作を受けやすいというような危険性もありますから。
でも、逆にWebでは自分の好きな、受け入れやすい方向性のニュースを無意識のうちに探してしまっている、つまり書く側の人が既に取捨選択している情報をさらに受け取る側で取捨選択するという二重のフィルターを掛けやすくなる(=主体性がありすぎて客観性が失われる)ことを意識している人がどれくらい居るでしょうか。
勿論、TVや新聞でも同じように受け取り側のフィルター(どのチャンネルを見るか/どの新聞を取るか)は働きますが、それがより強く出てしまう場合があるのがWebという媒体なのではないでしょうか。
情報を受動的に受け取るのではなく能動的に受け取りにく媒体だからこそ、受け取る側の客観性がより一層求められるし、そこから派生する「主体性の強すぎる取捨選択が起こり得る」という危険性を認識する必要があると私は考えています。