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「『目安』の方が強くなっている」ということではなく、「目安」でしかありえない、のでしょう。はじめから。告示は、別個に独立して存在する法的拘束力のある行為を補完する場合を除けば、単に事実の公示でしかなく、訓令と同様に行政規則として公務員を拘束できる可能性はありえますが、その範囲を超えて、一般民間人を法的に拘束する力はありません。ですから、「過去の著作や文書における漢字使用を否定するものではない」とか、「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」などと「前書き」で冗長に書いていること自体が、言及するまでもなく自明のことであり、そのような言及は単なる文体上一種の権威主義の表現に過ぎない、とも解釈できるでしょう。
他方で、常用漢字表が法的拘束力のある統制ではなく「目安」以上にも以下にもなりえないことは、その内容の妥当性・機能性に対する評価、恣意性の有無についての評価を、それを「目安」として「一般の社会生活において,現代の国語を書き表す」国民に委ねる必要性を回避し、かつ、統制である場合にはそれによって拘束されるであろう個々人の同意を不要とし、制定者の一存で決定することを正当化できる仕組みとして機能しています。つまり、このような告示の利用は、それが法的な拘束力をもたないことによって、かえって恣意的・裁量的な行政行為に余地を与えるものとなっているとも言えるでしょう。
そのように考えたとしても、そのような告示に存在意義がない、ということでは必ずしもありません。なぜなら、文部科学省設置法が定める所掌事務の一つである「国語の改善及びその普及に関すること」として常用漢字が決定されたことを、内閣が告示するのであれば、必ずしも合理性がないとは言えないからです。しかし、その場合には、きわめて怪しげな「国語の改善」という行為の妥当性を詳しく検証することが必要になるでしょうし、内容の妥当性を検証する術を国民もしくは各個人が持たないことには変化がありません。そのため、訓令によって、本来常用漢字を尊重すべき公文書等が、現実にはさほど常用漢字を用いていないのであれば、常用漢字表の「存在意義」自体の妥当性を厳しく精査する必要がでてくるのは当然と言えましょう。
この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
なんですけど、むしろ前半の方が問題で、実は「法令」ってのは、すでにこの「各種専門分野」になっちゃったんじゃないかと。少なくとも法務省は、たとえば平成7年の刑法改正の時点では、法律という「専門分野」における「専門用語」は常用漢字を逸脱してもいい、と考えてたフシがある。で、その結果が「禁錮」とか「賭博」とか「姦淫」とかいう「専門用語」として現れてるんじゃないかと思えるわけです。まあ、当時はさすがにルビ付きですけどね。
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
新常用漢字表 (スコア:1)
Re:新常用漢字表 (スコア:1)
「『目安』の方が強くなっている」ということではなく、「目安」でしかありえない、のでしょう。はじめから。告示は、別個に独立して存在する法的拘束力のある行為を補完する場合を除けば、単に事実の公示でしかなく、訓令と同様に行政規則として公務員を拘束できる可能性はありえますが、その範囲を超えて、一般民間人を法的に拘束する力はありません。ですから、「過去の著作や文書における漢字使用を否定するものではない」とか、「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」などと「前書き」で冗長に書いていること自体が、言及するまでもなく自明のことであり、そのような言及は単なる文体上一種の権威主義の表現に過ぎない、とも解釈できるでしょう。
他方で、常用漢字表が法的拘束力のある統制ではなく「目安」以上にも以下にもなりえないことは、その内容の妥当性・機能性に対する評価、恣意性の有無についての評価を、それを「目安」として「一般の社会生活において,現代の国語を書き表す」国民に委ねる必要性を回避し、かつ、統制である場合にはそれによって拘束されるであろう個々人の同意を不要とし、制定者の一存で決定することを正当化できる仕組みとして機能しています。つまり、このような告示の利用は、それが法的な拘束力をもたないことによって、かえって恣意的・裁量的な行政行為に余地を与えるものとなっているとも言えるでしょう。
そのように考えたとしても、そのような告示に存在意義がない、ということでは必ずしもありません。なぜなら、文部科学省設置法が定める所掌事務の一つである「国語の改善及びその普及に関すること」として常用漢字が決定されたことを、内閣が告示するのであれば、必ずしも合理性がないとは言えないからです。しかし、その場合には、きわめて怪しげな「国語の改善」という行為の妥当性を詳しく検証することが必要になるでしょうし、内容の妥当性を検証する術を国民もしくは各個人が持たないことには変化がありません。そのため、訓令によって、本来常用漢字を尊重すべき公文書等が、現実にはさほど常用漢字を用いていないのであれば、常用漢字表の「存在意義」自体の妥当性を厳しく精査する必要がでてくるのは当然と言えましょう。
法律という「専門分野」 (スコア:1)
なんですけど、むしろ前半の方が問題で、実は「法令」ってのは、すでにこの「各種専門分野」になっちゃったんじゃないかと。少なくとも法務省は、たとえば平成7年の刑法改正の時点では、法律という「専門分野」における「専門用語」は常用漢字を逸脱してもいい、と考えてたフシがある。で、その結果が「禁錮」とか「賭博」とか「姦淫」とかいう「専門用語」として現れてるんじゃないかと思えるわけです。まあ、当時はさすがにルビ付きですけどね。
Re:法律という「専門分野」 (スコア:1)