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大昔、誰か忘れた人から聞いた事。
子供の頃は、「自分」というのが「体の中」にある。中って言うか体の一部しか自分じゃない。だから、おなかが痛くなるまでカキ氷を食べちゃったり、甘いものを食べて歯を磨かなかったりする。ようするにお腹や歯はまだ「自分」じゃないんだね。大きくなってくると、「自分」が大きくなる。「お腹が痛くなるから、これぐらいでやめておこう」とか「後で歯が痛くなるとイヤだから歯を磨こう」とかするようになる。これは「自分」が大きくなってきて、「体」と同じぐらいの大きさになったって事だ。だから、体の別のところが「もっとカキ氷が食
子供の頃は、「自分」というのが「体の中」にある。中って言うか体の一部しか自分じゃない。だから、おなかが痛くなるまでカキ氷を食べちゃったり、甘いものを食べて歯を磨かなかったりする。ようするにお腹や歯はまだ「自分」じゃないんだね。
大きくなってくると、「自分」が大きくなる。「お腹が痛くなるから、これぐらいでやめておこう」とか「後で歯が痛くなるとイヤだから歯を磨こう」とかするようになる。これは「自分」が大きくなってきて、「体」と同じぐらいの大きさになったって事だ。だから、体の別のところが「もっとカキ氷が食
コメントありがとうございます。
大人になってくると考え方が変わるということなんですね。大人だったら、自分の感情に振り回されてイライラしなさんな、ってことですね(反省)。
ちなみにokkyさんの専制君主構想(野望?)は子供の頃からのものなんですか、それとも大人になってから「俺がやるしかねえだろ」なんですか?#ネタにマジレスなのでID
大人だったら、自分の感情に振り回されてイライラしなさんな、ってことですね(反省)。
いやいや、イライラするのも含めて、感情の内ですから。
イライラしてる部分が「ごく一部」になるぐらい大きくなりなさい、って事で (^o^)。そうすれば「わき腹が痒い」と言うのと同じレベルの問題になりますから (ぇ…
ちなみにokkyさんの専制君主構想(野望?)は子供の頃からのものなんですか、それとも大人になってから「俺がやるしかねえだろ」なんですか?
子供の頃からですね。
そもそも、民主主義って結構「悲壮な覚悟」の上に成り立ってるんですよ。
「このまま、暴君のような専制君主の下で奴隷のように働くなどという屈辱には耐えられない。」「たとえ俺が死んでも、俺の子供たちが自由に生きられるようになるなら、俺は喜んで死ぬ」
という人達が勝ち取ったんだぞ、というプライドと責任感の上に成り立っている。要するに「不幸になりたくなかったら、専制君主を打破しなくてはいけない」が大前提。
ところが、これって実は西洋型専制君主主義なんですね。中国とかの専制君主は、「天命を実現するため」の存在で、「人々を幸せにするための存在が専制君主」と言うのが儒教とかの考え方。当然、その分賢くなくてはいけない。身勝手ではいけない。
.
昔、アメリカに住んでたことがあって、その時にアメリカの歴史を習ったんですが、その時に一番驚いたのがこの「専制君主」が「為すべき事」の差。専制君主が一般人と同じように「利己的に」行動していて、そのこと自体は否定されていない。そうじゃなくて、そういう利己的な個人である事は当然だが、そんな奴に全権委任するのは間違っている、「幸せを一部放棄してでも、自分の手元に権利を保持する」という覚悟のようなものを感じた。その時、ずーっと感じてたのは「お前ら、それで本当に幸せなのか?」と言う事。「覚悟はある」って言ってるから、まぁ、いいか、とは思ってましたが。
が、日本に戻ってきて、日本人ってそんな覚悟、全然無いじゃないですか。
それ以来、「民主主義」は「利己的な専制君主」に抵抗するためのもので、そのための責任とコストを払うつもりが無いなら、民衆にとって民主主義は全然幸せをもたらさない。なら日本においては民主主義よりも、私のような者が専制君主になったほうがまだましなんじゃないか、と考えるようになったわけです。少なくとも民主主義の覚悟をみんなが持つようになるまでは。
昭和天皇も特に世界大戦前までは同じような考え方をしていたようなので、これ自体は特に特異な考え方ではないと思います。日本はいまだかつて「制度はともかく、思想として民主主義国家だったことは無い」と考えても構わないと思う。
天皇家がそれをやらないなら、俺がやっても良いんじゃね? という感じ。
民主主義の大いなる闘争の経緯。。確かにあまり日々の生活の中からは感じないですね。戦時中の軍国主義から解放されるためのひとつの方法としての民主主義、という感じはします(こういう思考パターンは義務教育の賜物かもしれませんが)。
君主や政治リーダー「プライドと責任」の裏側にある苦悩を想像したら、私ももうちょっと大人力を発揮する努力をしてみてもいいかもしれないと思いました。
さ、仕事行ってきます~
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
「自分」というものが「体の外」に出てきたと言うことでしょう (スコア:1)
大昔、誰か忘れた人から聞いた事。
fjの教祖様
Re: (スコア:1)
コメントありがとうございます。
大人になってくると考え方が変わるということなんですね。
大人だったら、自分の感情に振り回されてイライラしなさんな、ってことですね(反省)。
ちなみにokkyさんの専制君主構想(野望?)は子供の頃からのものなんですか、それとも大人になってから「俺がやるしかねえだろ」なんですか?
#ネタにマジレスなのでID
Re:「自分」というものが「体の外」に出てきたと言うことでしょう (スコア:1)
いやいや、イライラするのも含めて、感情の内ですから。
イライラしてる部分が「ごく一部」になるぐらい大きくなりなさい、って事で (^o^)。
そうすれば「わき腹が痒い」と言うのと同じレベルの問題になりますから (ぇ…
子供の頃からですね。
そもそも、民主主義って結構「悲壮な覚悟」の上に成り立ってるんですよ。
「このまま、暴君のような専制君主の下で奴隷のように働くなどという屈辱には耐えられない。」
「たとえ俺が死んでも、俺の子供たちが自由に生きられるようになるなら、俺は喜んで死ぬ」
という人達が勝ち取ったんだぞ、というプライドと責任感の上に成り立っている。
要するに「不幸になりたくなかったら、専制君主を打破しなくてはいけない」が大前提。
ところが、これって実は西洋型専制君主主義なんですね。中国とかの専制君主は、
「天命を実現するため」
の存在で、
「人々を幸せにするための存在が専制君主」
と言うのが儒教とかの考え方。当然、その分賢くなくてはいけない。身勝手ではいけない。
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昔、アメリカに住んでたことがあって、その時にアメリカの歴史を習ったんですが、その時に一番驚いたのがこの「専制君主」が「為すべき事」の差。専制君主が一般人と同じように「利己的に」行動していて、そのこと自体は否定されていない。そうじゃなくて、そういう利己的な個人である事は当然だが、そんな奴に全権委任するのは間違っている、「幸せを一部放棄してでも、自分の手元に権利を保持する」という覚悟のようなものを感じた。その時、ずーっと感じてたのは「お前ら、それで本当に幸せなのか?」と言う事。「覚悟はある」って言ってるから、まぁ、いいか、とは思ってましたが。
が、日本に戻ってきて、日本人ってそんな覚悟、全然無いじゃないですか。
それ以来、「民主主義」は「利己的な専制君主」に抵抗するためのもので、そのための責任とコストを払うつもりが無いなら、民衆にとって民主主義は全然幸せをもたらさない。なら日本においては民主主義よりも、私のような者が専制君主になったほうがまだましなんじゃないか、と考えるようになったわけです。少なくとも民主主義の覚悟をみんなが持つようになるまでは。
昭和天皇も特に世界大戦前までは同じような考え方をしていたようなので、これ自体は特に特異な考え方ではないと思います。日本はいまだかつて「制度はともかく、思想として民主主義国家だったことは無い」と考えても構わないと思う。
天皇家がそれをやらないなら、俺がやっても良いんじゃね? という感じ。
fjの教祖様
Re:「自分」というものが「体の外」に出てきたと言うことでしょう (スコア:1)
コメントありがとうございます。
民主主義の大いなる闘争の経緯。。確かにあまり日々の生活の中からは感じないですね。
戦時中の軍国主義から解放されるためのひとつの方法としての民主主義、という感じはします(こういう思考パターンは義務教育の賜物かもしれませんが)。
君主や政治リーダー「プライドと責任」の裏側にある苦悩を想像したら、私ももうちょっと大人力を発揮する努力をしてみてもいいかもしれないと思いました。
さ、仕事行ってきます~