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本家記事のタイトルでは信仰(faith)という単語が使われていますね。 ところが、我々が科学に対して持つ気持ちを表すのには、信用(trust)という単語のほうがあっている気がします。 イメージとしては公開鍵暗号の 信用の輪(Web of Trust) [wikipedia.org]です。 権威ある雑誌に何本も論文を載せている研究者の言っていることは、まあ概ね信じられるんじゃないか、などです。
個人的には、信仰というと盲目的に信じる気持ちを表すような感じがしますが、 信用というと合理的に正しそうなものを選択するという行為を表すような気がします。
あと、科学と宗教の最も大きな違いは
個人的な感想でデータは特にないのですが、科学者とかの理系の人の方が信仰が強いという印象がありますね。何か惹かれるものがあるんでしょうか。
科学とは理解する行為だと思います。で、現実では理解が及ばない範囲がどうしても存在します。それを神や人智を超える者の領域と定義します。そのほうが思考を整理しやすいからでしょう。
そこで思考停止に陥ったものを宗教家と呼び、理解する行為を続けるものを科学者と呼ぶのではないでしょうか。
なるほど。例えば不確定性原理は人智の及ばない領域という印象がありますね。個人的には興味ないけど、そういう信仰を持つ人は理解できます。
逆に、これも個人的な感想ですが、いわゆる左巻きな方々に無神論者が多い印象もあります。人間の理性が万能だと思っているからでしょうか…。
科学的態度とは「理解できないもの」を神だの人智を超える者だのの領域に投げ捨ててしまわずに「理解できないもの」として扱う事だ。と、どこかの小説で読んだような。
理系の人の方が信仰が強い?とてもそうは思えんな。別のものを「信仰が強い」と錯覚してるんじゃない?「判断基準が確定してる」とか。
理系でも文系でも、良く考える人の方が信仰が強いんだよその逆が、ルーチンワークで宗教的な行為を行ってるだけの人
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
信仰(faith)と信用(trust) (スコア:1, 参考になる)
本家記事のタイトルでは信仰(faith)という単語が使われていますね。 ところが、我々が科学に対して持つ気持ちを表すのには、信用(trust)という単語のほうがあっている気がします。 イメージとしては公開鍵暗号の 信用の輪(Web of Trust) [wikipedia.org]です。 権威ある雑誌に何本も論文を載せている研究者の言っていることは、まあ概ね信じられるんじゃないか、などです。
個人的には、信仰というと盲目的に信じる気持ちを表すような感じがしますが、 信用というと合理的に正しそうなものを選択するという行為を表すような気がします。
あと、科学と宗教の最も大きな違いは
Re:信仰(faith)と信用(trust) (スコア:0)
個人的な感想でデータは特にないのですが、
科学者とかの理系の人の方が信仰が強いという印象がありますね。
何か惹かれるものがあるんでしょうか。
Re:信仰(faith)と信用(trust) (スコア:2, すばらしい洞察)
科学とは理解する行為だと思います。
で、現実では理解が及ばない範囲がどうしても存在します。
それを神や人智を超える者の領域と定義します。そのほうが思考を整理しやすいからでしょう。
そこで思考停止に陥ったものを宗教家と呼び、理解する行為を続けるものを科学者と呼ぶのではないでしょうか。
Re: (スコア:0)
なるほど。
例えば不確定性原理は人智の及ばない領域という印象がありますね。
個人的には興味ないけど、そういう信仰を持つ人は理解できます。
逆に、これも個人的な感想ですが、いわゆる左巻きな方々に無神論者が多い印象もあります。
人間の理性が万能だと思っているからでしょうか…。
Re: (スコア:0)
科学的態度とは「理解できないもの」を神だの人智を超える者だのの領域に投げ捨ててしまわずに「理解できないもの」として扱う事だ。と、どこかの小説で読んだような。
Re:信仰(faith)と信用(trust) (スコア:1)
理系の人の方が信仰が強い?
とてもそうは思えんな。
別のものを「信仰が強い」と錯覚してるんじゃない?
「判断基準が確定してる」とか。
the.ACount
Re: (スコア:0)
理系でも文系でも、良く考える人の方が信仰が強いんだよ
その逆が、ルーチンワークで宗教的な行為を行ってるだけの人
Re: (スコア:0)