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保安院「絶対大丈夫と信じたが…」 [msn.com]
「絶対大丈夫だと信じてやってきたが、こういう事態になった」。国内の原発の安全規制を担当する経済産業省の西山英彦官房審議官(原子力安全・保安院担当)は9日の記者会見で、これまでの規制に甘さがあったことを認め、見直す姿勢を示した。
よりにもよって日本全体の原発の安全を管理する保安院が、盲目的に「原発は絶対大丈夫だと信じること」で、今回の事態を招いてしまった。見直すといっても、今回の教訓はあまりにも高くつきすぎた。
> 対策したから、「絶対大丈夫と信じた」> 何もおかしなところはありません。
現在の地震学を基にしているから、まあ確かに科学的だとは言えますが、その地震学ってのはまだまだの分野でしょ。当たらぬも八卦外れるも八卦って感じ。神戸には地震は起こらない、三陸沖にM9は起こらないと、言っていたし。
そんな程度のものを信じて、原発は安全だと言い張っていた。ってのは、やはりおかしいと言うべきだろう。
>神戸には地震は起こらない、三陸沖にM9は起こらないと、言っていたし。ここには反応しておくと、地震学者で神戸に地震が無いなんて思ってた人は誰一人いないでしょう。三陸沖のM9は起らない、、、これは、起らないと思ってた人の方が多いでしょうね。貞観地震規模のが起こりえるというのはかなりコンセンサスをここ数年で得ていたと思いますが、それでも推定された貞観地震の規模はM9まではいかないですし。#正確には、津波堆積物の分布の調査が進んで、貞観地震の規模が宮城〜福島沖連動しないと説明つかないという事が分かって来ていました。
以前知り合いの研究者から聞いた話
地震あるいは地質学はまだまだ未解明な部分が多く様々が説があるらしく、地震の後、諸説の中で該当あるいは類似する説があることは珍しくないらしい。大震災のあとなんかでは、TVなんかが該当した説や学者を取り上げると、ここぞとばかり自説を主張し次はどこそこが危ないとか言いはじめたりすて不安を煽ることもあるらしい。今回そのような学者がいるかは知らないが、過去の例からはそれ以降は当たることはまず無いので、信じない方が良いと。一度当てはまったくらいで説が正当化できるくらいなら苦労しないと。教授とかの肩書きがあるので始末が悪いらしい。
そう言えば、低い被曝線量の影響も明確に判っていないので諸説有るうえ、学者によって原発推進派、反対派、中立派があってその違いによっても見解が異なってくるだろう。明確になっていないので当然ではあるが。今回、様々な学者の見解をTVやネットで知ることができてしまうことで、見解の違いが明らかになり、何を信じれば良いのか判らず不安を煽っている面もありそうな気がする。
今朝のテレビで地震学者的な肩書きがついてたヒトが貞観地震のときの津波を予測して東電に伝えたが「専門家の見解が一致しない」ということで無視されたとか言ってましたね。で、そのときの議事録だかの資料が大写しになって
今までにない規模の津波が来るおそれがある
とかいう部分がハイライトされてた。具体的にどの程度という資料については映ってなかったから他に資料があったのかなかったのかそれはわからないけどたしかにこれだけじゃ「見解が一致しない」となっても仕方ない。「今までにない規模」では見積りようがないしなあ…。その危険性を伝えるための科学が足りなかったんじゃないかという印象をもっただけでした。
>「今までにない規模」では見積りようがないしなあ…。
そうだろうか、機械工学的に「前例がある程度」しか対策をとらないというのはあまりに安全率が低すぎだと思います。まるで建築物のような設計
だからあ「1.2倍の」とか「5倍の」とかなら数式たてて十分な堅牢性を準備するとかコストと比較してこっから上は諦める、とか計算できるけど「今までにない規模の災害が起こるので対策たててね」じゃあ今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだから前例に基づいた対策しか取れないって話でしょ?
だからさぁ、今までにあった例に対応するだけでは不十分だってのは明らかでしょう?>今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだから前例に基づいた対策しか取れないって話でしょ?
今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだったら、モノ作っちゃダメだよね。ましてや想定外だからといって、許容できないモードで破壊してしまっちゃダメだよね。
今までの何倍以上のコトが起こる確率がの上限が何%、最大被害がいくらだという正確な見積もりをもって安全率を設定し、その範囲外の事象が起こったときに100%責任が果たせるだけの保険を掛ければよいでしょう。それをしないで安全で経済的であると主張していたんだから、無保険で自動車運転するくらい無責任ですよ。
機械設計において、安全率が上位から与えられないから設計できないなんて言えるのは設計業務だけを請け負う下請けだけです。根拠をもって安全率を設定するのは当然のこと
たかだか世界に400基強しかない原発が、人類を脅かすほどの事故を複数回やってるのは、自動車や航空機の品質よりはるかに水準が低いところで話をしていると言わざるを得ないよ。
今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだったら、モノ作っちゃダメだよね。
「想定外の災害が起こるおそれがある」と指摘した側がそれを数値で示さないと無理って話で。それもその指摘をしたのが建設前ではなく近年ボーリング調査をした結果だということでして。原発建設時には「ここ数百年に大災害があった記録がない」ということでこの場所に決定したのがボーリング調査で1000年以上前に津波を被ったと思しき地層が出てきた、と。
今までの何倍以上のコトが起こる確率
>その見積りを誰も出せなかった(出さなかった)ために対策できなかったのではないか、ということ。んなこたぁない。通常の産業ならば、見積もりを出せないなら信用できない物という前提で保険会社が保険金額を算定するだけ。「想定外の災害が起こるおそれがある」と指摘した側がそれを数値で示さないと無理なんて馬鹿げた話には決してならない。
通常の産業なら、保険をかけるべき側と対等以上のコストをかけて本来保険会社が危険を見積もる。例えば湾岸戦争の時にペルシア湾を航行する一般船舶には、50%の掛け率が設定されていた。それでもビジネスになると考える人は、半分の確率で船舶が撃沈される可能性を想定してビジネスを継続した。保険を掛けなくて、撃沈されて、想定外の攻撃だからごめんなさいじゃ、単に無責任というもんだ。
もちろん、そんな非常時でもコストはある程度正しく価格に反映された。航空機でも建築物でも、自動車の安全性能でも一緒。保険コストが高すぎるならば保険会社を納得させるだけの証拠集めと改善を継続しないといけない。他の産業、例えば自動車産業ならば、可能性が示唆されるだけでリコールするし、可能な改修をすることも当たり前。
原発の場合は、何かあったら政府が補償するという法制度を作り上げたことで資本主義における正しいリスク抑制機構、保険制度によるリスク算定とフィードバックによる改善を棄てたわけだ。結果的に本来だったら取り除かれたリスクは取り除かれなかった。誰も見積もれなかったのではなくコストを掛けて正確に見積もることで利益を得る自由(すなわち保険参入の十分な余地)が予め無い状態で原発は作られたから、誰も見積もらなかっただけ。
「大規模災害のときは国が補償」しなきゃいけない段階でリスクの塊だということを証明しているようなもんだ
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
原発の安全は「絶対大丈夫だと信じること」 (スコア:-1, オフトピック)
保安院「絶対大丈夫と信じたが…」 [msn.com]
よりにもよって日本全体の原発の安全を管理する保安院が、盲目的に「原発は絶対大丈夫だと信じること」で、今回の事態を招いてしまった。
見直すといっても、今回の教訓はあまりにも高くつきすぎた。
Re: (スコア:0, オフトピック)
盲目的というのは余計な修飾というか、為にする書き方ですね。
過去の事例から15mの津波は来ないと信じたから、それなりの
津波対策をした。
対策したから、「絶対大丈夫と信じた」
何もおかしなところはありません。
今度は15mの津波は想定するだろうし、外部電源の遮断も想定するでしょう。
そうやってリスクを減らして、原発と付き合っていくわけです。
Re: (スコア:0)
> 対策したから、「絶対大丈夫と信じた」
> 何もおかしなところはありません。
現在の地震学を基にしているから、まあ確かに科学的だとは言えますが、
その地震学ってのはまだまだの分野でしょ。当たらぬも八卦外れるも八卦って感じ。
神戸には地震は起こらない、三陸沖にM9は起こらないと、言っていたし。
そんな程度のものを信じて、原発は安全だと言い張っていた。ってのは、やはりおかしいと言うべきだろう。
Re: (スコア:0)
>神戸には地震は起こらない、三陸沖にM9は起こらないと、言っていたし。
ここには反応しておくと、
地震学者で神戸に地震が無いなんて思ってた人は誰一人いないでしょう。
三陸沖のM9は起らない、、、これは、起らないと思ってた人の方が多いでしょうね。
貞観地震規模のが起こりえるというのはかなりコンセンサスをここ数年で得ていたと思いますが、それでも推定された貞観地震の規模はM9まではいかないですし。
#正確には、津波堆積物の分布の調査が進んで、貞観地震の規模が宮城〜福島沖連動しないと説明つかないという事が分かって来ていました。
Re: (スコア:1)
以前知り合いの研究者から聞いた話
地震あるいは地質学はまだまだ未解明な部分が多く様々が説があるらしく、地震の後、諸説の中で該当あるいは類似する説があることは珍しくないらしい。大震災のあとなんかでは、TVなんかが該当した説や学者を取り上げると、ここぞとばかり自説を主張し次はどこそこが危ないとか言いはじめたりすて不安を煽ることもあるらしい。今回そのような学者がいるかは知らないが、過去の例からはそれ以降は当たることはまず無いので、信じない方が良いと。一度当てはまったくらいで説が正当化できるくらいなら苦労しないと。教授とかの肩書きがあるので始末が悪いらしい。
そう言えば、低い被曝線量の影響も明確に判っていないので諸説有るうえ、学者によって原発推進派、反対派、中立派があってその違いによっても見解が異なってくるだろう。明確になっていないので当然ではあるが。今回、様々な学者の見解をTVやネットで知ることができてしまうことで、見解の違いが明らかになり、何を信じれば良いのか判らず不安を煽っている面もありそうな気がする。
-------- izyu
科学はヒトにモノを伝えるための道具 (スコア:0)
今朝のテレビで地震学者的な肩書きがついてたヒトが貞観地震のときの津波を予測して東電に伝えたが
「専門家の見解が一致しない」ということで無視されたとか言ってましたね。
で、そのときの議事録だかの資料が大写しになって
今までにない規模の津波が来るおそれがある
とかいう部分がハイライトされてた。
具体的にどの程度という資料については映ってなかったから他に資料があったのかなかったのか
それはわからないけどたしかにこれだけじゃ「見解が一致しない」となっても仕方ない。
「今までにない規模」では見積りようがないしなあ…。
その危険性を伝えるための科学が足りなかったんじゃないかという印象をもっただけでした。
Re: (スコア:0)
>「今までにない規模」では見積りようがないしなあ…。
そうだろうか、機械工学的に「前例がある程度」しか対策をとらないというのは
あまりに安全率が低すぎだと思います。まるで建築物のような設計
Re:科学はヒトにモノを伝えるための道具 (スコア:0)
だからあ
「1.2倍の」とか「5倍の」とかなら数式たてて十分な堅牢性を準備するとか
コストと比較してこっから上は諦める、とか計算できるけど
「今までにない規模の災害が起こるので対策たててね」じゃあ
今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだから前例に基づいた対策しか取れないって話でしょ?
Re:科学はヒトにモノを伝えるための道具 (スコア:2)
だからさぁ、今までにあった例に対応するだけでは不十分だってのは明らかでしょう?
>今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだから前例に基づいた対策しか取れないって話でしょ?
今までの1.1倍なのか100倍なのか分からないんだったら、モノ作っちゃダメだよね。
ましてや想定外だからといって、許容できないモードで破壊してしまっちゃダメだよね。
今までの何倍以上のコトが起こる確率がの上限が何%、最大被害がいくらだという正確な見積もりをもって
安全率を設定し、その範囲外の事象が起こったときに100%責任が果たせるだけの保険を掛ければよいでしょう。
それをしないで安全で経済的であると主張していたんだから、無保険で自動車運転するくらい無責任ですよ。
機械設計において、安全率が上位から与えられないから設計できないなんて言えるのは設計業務だけを請け
負う下請けだけです。根拠をもって安全率を設定するのは当然のこと
たかだか世界に400基強しかない原発が、人類を脅かすほどの事故を複数回やってるのは、自動車や航空機の
品質よりはるかに水準が低いところで話をしていると言わざるを得ないよ。
Re: (スコア:0)
「想定外の災害が起こるおそれがある」と指摘した側がそれを数値で示さないと無理って話で。
それもその指摘をしたのが建設前ではなく近年ボーリング調査をした結果だということでして。
原発建設時には「ここ数百年に大災害があった記録がない」ということでこの場所に決定したのが
ボーリング調査で1000年以上前に津波を被ったと思しき地層が出てきた、と。
Re:科学はヒトにモノを伝えるための道具 (スコア:2)
>その見積りを誰も出せなかった(出さなかった)ために対策できなかったのではないか、ということ。
んなこたぁない。通常の産業ならば、見積もりを出せないなら信用できない物という前提で保険会社が
保険金額を算定するだけ。「想定外の災害が起こるおそれがある」と指摘した側がそれを数値で示さ
ないと無理なんて馬鹿げた話には決してならない。
通常の産業なら、保険をかけるべき側と対等以上のコストをかけて本来保険会社が危険を見積もる。
例えば湾岸戦争の時にペルシア湾を航行する一般船舶には、50%の掛け率が設定されていた。それでも
ビジネスになると考える人は、半分の確率で船舶が撃沈される可能性を想定してビジネスを継続した。
保険を掛けなくて、撃沈されて、想定外の攻撃だからごめんなさいじゃ、単に無責任というもんだ。
もちろん、そんな非常時でもコストはある程度正しく価格に反映された。航空機でも建築物でも、
自動車の安全性能でも一緒。保険コストが高すぎるならば保険会社を納得させるだけの証拠集めと改善
を継続しないといけない。他の産業、例えば自動車産業ならば、可能性が示唆されるだけでリコールす
るし、可能な改修をすることも当たり前。
原発の場合は、何かあったら政府が補償するという法制度を作り上げたことで資本主義に
おける正しいリスク抑制機構、保険制度によるリスク算定とフィードバックによる改善を棄てたわけだ。
結果的に本来だったら取り除かれたリスクは取り除かれなかった。誰も見積もれなかったのではなく
コストを掛けて正確に見積もることで利益を得る自由(すなわち保険参入の十分な余地)が予め無い状態
で原発は作られたから、誰も見積もらなかっただけ。
Re: (スコア:0)
「大規模災害のときは国が補償」しなきゃいけない段階で
リスクの塊だということを証明しているようなもんだ