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どこかの新聞に、そろそろ大人の議論をするべき時期が来た、と書いてあったが、それは言い換えれば今までの議論がいかに幼稚であったかということへの最大の皮肉であろう。
しかし、最大の問題は、日本にリスク評価と十分な知見、科学リテラシーを持ち、「大人の議論」ができる政治家や論客がいないのですよね。 まさに民主党もダメ、臭い物に蓋リスクは先送り文系の巣窟の自民党はもっとダメ。 ただCO2に関しては、京都議定書などからの離脱が許されなければ減らさざるを得ないわけでして、もし脱原発を目指すなら国の仕組み(政治や行政、経済とか)を分散型低エネルギー消費社会に転換した上、国民の意識(スローライフ型ライフスタイルや労働スタイルへの転換)や、日本文化も変革を迫られることになります。これを実現するだけの国民の覚悟とコンセンサスを取りつけることはかなり困難でしょう。 とはいえ、原発依存を続けるならば、CO2削減分+退役原発のリプレース分に関しては、原子力発電所を作りつつけなければならないわけで、リスク評価や安全対策、万が一の事故対策等から逃げることは許されなくなるのは、その通りです。 一番危惧しているのは、どちらからも逃げつづけて無策を続け、結果電力供給力をズルズルと減らし、経済も衰退、企業は海外に逃げ、没落していくことです。 そうなれば、昔のように移民を送り出さざるを得なくなったり、フィリピンのように出稼ぎ者の送金が頼りの国になるのでしょう。
ただCO2に関しては、京都議定書などからの離脱が許されなければ減らさざるを得ないわけでして、もし脱原発を目指すなら国の仕組み(政治や行政、経済とか)を分散型低エネルギー消費社会に転換した上、国民の意識(スローライフ型ライフスタイルや労働スタイルへの転換)や、日本文化も変革を迫られることになります。これを実現するだけの国民の覚悟とコンセンサスを取りつけることはかなり困難でしょう。
「困難」かどうかは、どのくらいの時間と投資を前提としてその方向に持って行くのかに依存する部分が大きいと思います。 半年や1年というスパンで考えると不可能と言うしかありませんが、京都議定書に始まるCO2削減にせよ、当初はニュースにすらならなかったものでも、時間をかけることで多くの成果が出てきています。エコバックにしても出始めは「あんなものカッコワルイ」でしたが、今ではおしゃれなものが多数出てきて何の違和感も無くなっていますし、夏の節電対策で断熱フィルムがオフィスビルの窓に貼られているとも報道されています。 無意識にせよ原発のしがらみがあるせいか、短期間で一気に進めなければと言う雰囲気がありますが、5年、10年かけるのであれば実は驚くほど沢山のことが出来る可能性があるのではないでしょうか。
とはいえ、原発依存を続けるならば、CO2削減分+退役原発のリプレース分に関しては、原子力発電所を作りつつけなければならないわけで、リスク評価や安全対策、万が一の事故対策等から逃げることは許されなくなるのは、その通りです。
長期的には原発依存から脱却できればそれに越したことは無いでしょうが、短期的には非現実的な提案で、その間のつきあい方を考える以外の選択肢はないと考えています。 私は「ピンチはチャンス」という言葉が好きですが、あえてこの状況に当てはめて次の3つのような可能性を考えてみました。 1)当初想定していた以上のCO2削減を可能にするだけの代替エネルギー技術の開発 2)想定可能なあらゆる事象に対して安全と言えるだけの原発技術の開発 3)節電に限らず、一定時間の停電があっても問題なく稼働する機器、工業技術の開発 到底数年で結果が出るようなものではないですが、逆に5年から10年かけてこれらを解決できれば、21世紀の日本の未来は明るいと無邪気に言えるでしょう。 誤解を恐れず書くならば、原発事故と放射性物質の拡散、除染、管理について日本の関係機関は世界に類を見ない技術的、社会的なノウハウを蓄積しつつあるわけで、北朝鮮の原発が暴発した際の具体的な対策という意味では現実的な対応策が整いつつあると言えるかもしれません。 地震と原発で非常に多くの問題が表面化していますが、問題の大きさばかりがクローズアップされ、それぞれの問題の大小からその解決に必要な時間と経費の概念までが一緒くたにされてしまったまま混乱しているようにも見えます。 政治と決断の問題については 決断する政治家 [srad.jp]に書いてみましたので、良かったらご覧下さい。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
問題はそれができるか? (スコア:1)
しかし、最大の問題は、日本にリスク評価と十分な知見、科学リテラシーを持ち、「大人の議論」ができる政治家や論客がいないのですよね。
まさに民主党もダメ、臭い物に蓋リスクは先送り文系の巣窟の自民党はもっとダメ。
ただCO2に関しては、京都議定書などからの離脱が許されなければ減らさざるを得ないわけでして、もし脱原発を目指すなら国の仕組み(政治や行政、経済とか)を分散型低エネルギー消費社会に転換した上、国民の意識(スローライフ型ライフスタイルや労働スタイルへの転換)や、日本文化も変革を迫られることになります。これを実現するだけの国民の覚悟とコンセンサスを取りつけることはかなり困難でしょう。
とはいえ、原発依存を続けるならば、CO2削減分+退役原発のリプレース分に関しては、原子力発電所を作りつつけなければならないわけで、リスク評価や安全対策、万が一の事故対策等から逃げることは許されなくなるのは、その通りです。
一番危惧しているのは、どちらからも逃げつづけて無策を続け、結果電力供給力をズルズルと減らし、経済も衰退、企業は海外に逃げ、没落していくことです。
そうなれば、昔のように移民を送り出さざるを得なくなったり、フィリピンのように出稼ぎ者の送金が頼りの国になるのでしょう。
Re:問題はそれができるか? (スコア:1)
私の見方は(やや楽観的かもしれませんが)それなりの数の政治家や上級官僚には問題の所在がしっかりと見えていて、政治的な立場を別にすればそれぞれが問題意識を持っていると感じています。
ただ一方で、何のリテラシーも持たずに無責任な発言と行動を繰り返す政治家達がしばしばマスコミに取り上げられる結果、感情的な議論に流されてしまうことが多いことが問題と感じています。
「困難」かどうかは、どのくらいの時間と投資を前提としてその方向に持って行くのかに依存する部分が大きいと思います。 半年や1年というスパンで考えると不可能と言うしかありませんが、京都議定書に始まるCO2削減にせよ、当初はニュースにすらならなかったものでも、時間をかけることで多くの成果が出てきています。エコバックにしても出始めは「あんなものカッコワルイ」でしたが、今ではおしゃれなものが多数出てきて何の違和感も無くなっていますし、夏の節電対策で断熱フィルムがオフィスビルの窓に貼られているとも報道されています。
無意識にせよ原発のしがらみがあるせいか、短期間で一気に進めなければと言う雰囲気がありますが、5年、10年かけるのであれば実は驚くほど沢山のことが出来る可能性があるのではないでしょうか。
長期的には原発依存から脱却できればそれに越したことは無いでしょうが、短期的には非現実的な提案で、その間のつきあい方を考える以外の選択肢はないと考えています。 私は「ピンチはチャンス」という言葉が好きですが、あえてこの状況に当てはめて次の3つのような可能性を考えてみました。
1)当初想定していた以上のCO2削減を可能にするだけの代替エネルギー技術の開発
2)想定可能なあらゆる事象に対して安全と言えるだけの原発技術の開発
3)節電に限らず、一定時間の停電があっても問題なく稼働する機器、工業技術の開発
到底数年で結果が出るようなものではないですが、逆に5年から10年かけてこれらを解決できれば、21世紀の日本の未来は明るいと無邪気に言えるでしょう。
誤解を恐れず書くならば、原発事故と放射性物質の拡散、除染、管理について日本の関係機関は世界に類を見ない技術的、社会的なノウハウを蓄積しつつあるわけで、北朝鮮の原発が暴発した際の具体的な対策という意味では現実的な対応策が整いつつあると言えるかもしれません。
地震と原発で非常に多くの問題が表面化していますが、問題の大きさばかりがクローズアップされ、それぞれの問題の大小からその解決に必要な時間と経費の概念までが一緒くたにされてしまったまま混乱しているようにも見えます。 政治と決断の問題については 決断する政治家 [srad.jp]に書いてみましたので、良かったらご覧下さい。