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科学的な方法には、科学なりの長所と限界がある。長所は中世暗黒時代からの幕開け以降、多大な利益をもたらしている。宗教による考え方にも長所と短所がある。そして宗教哲学には、2000年以上にわたって内省し知恵を究めて考え抜かれた論理がある。
知的活動の質としては、双方に上下があるわけではない。とんでもなく頭のいい科学者がいるのと同様に、すばらしい炯眼を持つ宗教者もいる(現在も)。一方で、イタイ宗教者がいるのと同様に、イタイ科学者もいる。科学も宗教も、悲劇的な犠牲者を生むことがある。
…と日々思うけどねぇ。むしろ科学的だと言うだけで盲信する方が(いわゆる)宗教的と言うか。
たとえば,なぜ死ぬのか?は解明できるだろうが,生きている「目的」については科学では「種の保存」以外の答えは得られないのではないだろうか。
だから科学だけが絶対のものとして受け入れるのは論理的でないと言ってみる(汗)
「公理」を論理的証明無しで受け入れるのも科学の手法の一つです。別の公理系との間に矛盾が生じることもありですね。まあ、すべての疑問に答えてくれそうな宗教ならありそうです、その答えに納得できるか否かは措くとして。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
不思議はない。 (スコア:1)
科学的な方法には、科学なりの長所と限界がある。長所は中世暗黒時代からの幕開け以降、多大な利益をもたらしている。
宗教による考え方にも長所と短所がある。そして宗教哲学には、2000年以上にわたって内省し知恵を究めて考え抜かれた論理がある。
知的活動の質としては、双方に上下があるわけではない。とんでもなく頭のいい科学者がいるのと同様に、すばらしい炯眼を持つ宗教者もいる(現在も)。一方で、イタイ宗教者がいるのと同様に、イタイ科学者もいる。科学も宗教も、悲劇的な犠牲者を生むことがある。
…と日々思うけどねぇ。
むしろ科学的だと言うだけで盲信する方が(いわゆる)宗教的と言うか。
科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:0)
たとえば,なぜ死ぬのか?は解明できるだろうが,
生きている「目的」については科学では「種の保存」以外の答えは得られないのではないだろうか。
だから科学だけが絶対のものとして受け入れるのは論理的でないと言ってみる(汗)
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:0)
「公理」を論理的証明無しで受け入れるのも科学の手法の一つです。
別の公理系との間に矛盾が生じることもありですね。
まあ、すべての疑問に答えてくれそうな宗教ならありそうです、
その答えに納得できるか否かは措くとして。