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自然言語はいろいろあるので、「日本語能力」が遺伝ではないというのは 明らかですが、じゃあ「言語というものを扱う能力」 ならどうか。
そういう研究って、いまどこまで進んでるんでしょうか?
すべての可能な人間言語の文法を出力するシステムとしてのUGが研究されているのでして、故に現存する言語の因数分解ではなく、初期状態と言ってるんですね。Pinkerの議論は少し文脈が違って、進化論に当てはめたらどうみなせばいいか、というものですね。
現代の認知系研究で完全な汎用処理能力や、タビュラ・ラサを主張している人がいたら、参考までに教えていただけるといいんですが。
>「ある特定の言語クラス」のつもりね。具体的には普遍文法。
生理学の方でタビュラ・ラサに近いことを言う人がいるのは知っていましたが、回路の性質はいわば生得的なわけで、全くの白紙は主張されていないですね。
ヴェルニッケ野やブローカ領域が再生すると言っても、語彙自体は脳全体に散らばっているらしい
うーん。工学系にはまだ居るかも知れないですね。しかし条件付けを実装するときに、実は相当フレームの分かった人間の暗黙の前提が入り込んでて、実際には相当大きな初期状態を与えてしまっ
>「生得的な能力」ってのは要するに人間が「種」として学習した能力なわけだから、「種」として学習できるなら、「個体」として学習できる可能性だってあるんじゃないのか?その可能性をすっぱり諦めていいの?って気もする。
問題となる機能の質によっては問いになりうるかも知れないですね。
しかし、例えば視覚能力/平衡感覚/音楽機
>今までにある言語で生成されたすべての文をサンプルとして与えたとしても、次の1個のサンプルはそれ以前のサンプルから仮定された文法規則では解釈できないかもしれない、という意味では、ある程度以上の複雑さを持つ言語は無限のサンプルからだって学習できない。
これは演繹的方法の基本的な問題点ですね。っていうか、それだからデータベースの統計的方法は人間言語のモデル化としては不適当だと言ってるんですが。
>文脈自由文法のある種のサブセットは多項式時間で学習できるという研究成果はあるし
学
>文脈依存的な規則もある一方で、文脈自由文法の範囲すらカバーしていない部分もあるわけだよね
ドイツ語の例だと、単なる句構造の制約より強いHMCとか呼ばれる強力な制約が基底の構造をoverrideしていると見るのが普通だと思いますよ。
文脈自由文法自体が今の言語理論では廃棄されていて、古典的句構造規則を使わなくなってるわけだから。
ホフスタッターの本は確かに面白いんですが、散発的で実質的な提案がないですよね。いろんな分野に突っ込んだ人だというのは分かるんだけど。あれは一種の「情報科学のキャッチコピー」的本だと思いますよ。
埋め込み関係などを句構造的認識で見ると、確かにさほど難しくは内容ですが、長距離依存関係(色々書こうと思ったけどこれに帰着する)は書きようがないです。特に意味論を視野に入れて、単なる記号列の生成以上のことをしようとしたときにこれは顕著に現れます。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
最初にやらせたいのは (スコア:2, 興味深い)
例えば、チェスや将棋、囲碁でも、人間がプログラムを一から銃まで組むのではなく、ある程度の基本ルールをプログラミングしておいて、後は実戦なり棋譜なりから学習して強くな
どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
自然言語はいろいろあるので、「日本語能力」が遺伝ではないというのは 明らかですが、じゃあ「言語というものを扱う能力」 ならどうか。
そういう研究って、いまどこまで進んでるんでしょうか?
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:2, 興味深い)
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:2, 参考になる)
でも、それに対してSteven Pinkerなんかは、ある社会において通用している言語の文法を、より容易に習得できるような脳の(生得的な)初期状態というのが存在するとすると、そういう初期状態の脳を持っている個体はその社会の中での生存競争において有利なんじゃないか、そう
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
すべての可能な人間言語の文法を出力するシステムとしてのUGが研究されているのでして、故に現存する言語の因数分解ではなく、初期状態と言ってるんですね。Pinkerの議論は少し文脈が違って、進化論に当てはめたらどうみなせばいいか、というものですね。
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
あ、「ある特定の言語」と書いたのは「ある特定の言語クラス」のつもりね。具体的には普遍文法。
そのへんが微妙なところでさ、言語に限った話ではなくて、人間の脳はシンプルな原理に基づく汎用の情報処理機械なのか、それとも特定目的のための専用の情報処理機構が大量に集まったものなのか、っていう根本的な思想の問題になっちゃうんだよね。前者は必然的に経験主義の立場をとるし、後者は先験主義の立場をとる。
先験主義者は人間の言語がどれも似通
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
現代の認知系研究で完全な汎用処理能力や、タビュラ・ラサを主張している人がいたら、参考までに教えていただけるといいんですが。
>「ある特定の言語クラス」のつもりね。具体的には普遍文法。
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
で、文献資料レベルの話じゃなくって、申し訳ないんだが、たとえば脳の言語野。言語野が存在するってのは、あきらかに言語能力が先天的であることを示唆しているようなんだけれども、比較的若い時期に損傷を受けた場合なんかは、他の領域が言語野の機能を肩代わりできち
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
生理学の方でタビュラ・ラサに近いことを言う人がいるのは知っていましたが、回路の性質はいわば生得的なわけで、全くの白紙は主張されていないですね。
ヴェルニッケ野やブローカ領域が再生すると言っても、語彙自体は脳全体に散らばっているらしい
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
そうなかなあ・・・(汗。スキナリアンを称しているヒトは少なくても、実質スキナリアンと等価な考え方をしているヒトって、分野によってはいっぱいいる気が・・・。
>他に視覚野の再生、小脳機能の大脳皮質による再生といった話を聞かないところを見ると、機能的特化はとりあえず妥当な線ではないかと
機能的特化は妥当だと思うんだけど、その内容についてはちょっと留保したい部分があるかなあ。
たとえば1次視覚野が損傷したときに、別の場所にできたってのは聞いたことがないんだけど、1次視覚野の
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
うーん。工学系にはまだ居るかも知れないですね。しかし条件付けを実装するときに、実は相当フレームの分かった人間の暗黙の前提が入り込んでて、実際には相当大きな初期状態を与えてしまっ
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
そうそう。そもそも問題を定式化する時に、「条件付け」なり「ニューラル・ネットワーク」なり「ベイズ推定」なりなんなり、お気に入りの理屈で説明できるように定式化してるんだから、そら説明できるよなって話は多いよねw
もちろん、はじめからすべてを説明できる理論なんて作れるわけないから、どこかで問題を限定しなきゃならないんだけど、それにしても、オマエ、それはないだろ、みたいな。
一方で、現在の
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
>「生得的な能力」ってのは要するに人間が「種」として学習した能力なわけだから、「種」として学習できるなら、「個体」として学習できる可能性だってあるんじゃないのか?その可能性をすっぱり諦めていいの?って気もする。
問題となる機能の質によっては問いになりうるかも知れないですね。
しかし、例えば視覚能力/平衡感覚/音楽機
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
それは言語獲得に限った話じゃないよね。人間が学んでいる大抵の事柄に関して、同じことが言える。こんな簡単な事がって驚くようなことが、学習問題としてはNP完全だったりするわけで。チョムスキー自身、言語に限らず人間の知識そのものの大枠が生
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
その「大量」ってのが最終的にどのくらい大量なのかの下限は、今のところわかんないよね。今までにある言語で生成されたすべての文をサンプルとして与えたとしても、次の1個のサンプルはそれ以前のサンプルから仮定された文法規則では解釈できないかもしれない、という意味では、ある程度以上の複雑さを持つ言語は無限のサンプルからだって学習できない。
でも、理論的にいえるのは今のところそこまで。逆に文脈自由文
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
>今までにある言語で生成されたすべての文をサンプルとして与えたとしても、次の1個のサンプルはそれ以前のサンプルから仮定された文法規則では解釈できないかもしれない、という意味では、ある程度以上の複雑さを持つ言語は無限のサンプルからだって学習できない。
これは演繹的方法の基本的な問題点ですね。っていうか、それだからデータベースの統計的方法は人間言語のモデル化としては不適当だと言ってるんですが。
>文脈自由文法のある種のサブセットは多項式時間で学習できるという研究成果はあるし
学
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
うん。でも、一方で文脈自由文法が許していることすべてが自然言語文法で許されているわけでもないよね。
ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だったかにあった話だと思うんだけど、ドイツ語では従属節においては動詞が一番最後に来るっていう規則があるよね?で、もって、ある時、ドイツ人の大学教授が授業をしていて、どこまでいってもセンテンスが切れない話を延々延々としていて、終業のチャイムがなった瞬間に、それまで完結していなかった従属節の
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
>文脈依存的な規則もある一方で、文脈自由文法の範囲すらカバーしていない部分もあるわけだよね
ドイツ語の例だと、単なる句構造の制約より強いHMCとか呼ばれる強力な制約が基底の構造をoverrideしていると見るのが普通だと思いますよ。
文脈自由文法自体が今の言語理論では廃棄されていて、古典的句構造規則を使わなくなってるわけだから。
ホフスタッターの本は確かに面白いんですが、散発的で実質的な提案がないですよね。いろんな分野に突っ込んだ人だというのは分かるんだけど。あれは一種の「情報科学のキャッチコピー」的本だと思いますよ。
埋め込み関係などを句構造的認識で見ると、確かにさほど難しくは内容ですが、長距離依存関係(色々書こうと思ったけどこれに帰着する)は書きようがないです。特に意味論を視野に入れて、単なる記号列の生成以上のことをしようとしたときにこれは顕著に現れます。
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のほ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
本当に自然言語という言語クラスは、生得的な知識なしに学習不可能なクラスなのか?
という問題に対して、学習不可能なのだという証明は今のところないでしょ?ってことね。
negative sampleが与えられないという問題は、最近の確率的学習手法の発達をみてると、それほど本質的じゃないように見える。境界例に関しては、なにがpositive でなにがnegativeかという判断に、native speakerだっ