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http://diamond.jp/articles/-/14075?page=7 [diamond.jp] > 実は、自然エネルギーの政策は、もはや、原子力エネルギーを選ぶか、>自然エネルギーを選ぶか、という選択の問題ではないのですね。>なぜなら、福島原発事故の結果、我が国は、遅くとも2050年には、>原発ゼロの社会になってしまうからです。
>原発の寿命を40年とすると、現在稼働中の原発が次々と寿命を迎え、>遅くとも2050年には、すべての原発がなくなるからです。
>福島事故よりも数段軽微なものであったスリーマイル島事故でさえ、>その後30年間、全米で原発の新設が止まったわけです。
いいかげん、原
>技術擁護な人たちは、なんで「ここまで育ててきた技術を世論の敵にまでしてしまった」>運営会社に恨みを向けないんだろう。あれが不思議でしょうがない。
福島第一原発事故以後、東京電力本社経営陣やいわゆる原発村の人々を擁護している論調って見たことありますか?この連中がダメ野郎共なのは今更わざわざ言うまでもない大前提でしょう。
社会的リスクが一切許容されない社会的論調においては、「万が一なにかあったらどうしてくれる」で一切の抗弁を封じられるのでどうしようもありません。むやみに抗弁すれば、ピンポン玉のネックレスをかけられて罵声を浴びせられるので、陰謀論が幅をきかす内は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つほうが得策です。
>社会的リスクが一切許容されない社会的論調においては、「万が一なにかあったらどうしてくれる」で一切の抗弁を封じられるのでどうしようもありません。
社会的リスクが許容されるためには、事故を起こしたときに被害が弁済できるだけの保険に事業者が加入していることが最低限必要でしょう。そのために費用が爆発するのであれば、それは安全のコストがビジネスに合わなかったというだけのことです。保険に加入できない、誰も保証できないなら、「万が一なにかあったらどうしてくれる」というのは至極当然のことです。
ましてや安全のコストを事業者が負担していなかった、一旦事故が起これば国民負担、ということが明確な実績になってしまえば、競合する発電事業が投資先として吟味されることは当然ですし、代替事業に投資したり、代替事業を好む人から、特定の事業の安全のコストを税金や国の信用でまかなうことが不公平、不必要だと主張されるのはもっともなことです。
現行の制度下、すなわちリスクを国民が負担させながら原発を維持するという前提で「嵐が過ぎ去る」と期待するのは楽観的すぎでしょう。
社会的リスクが許容されるためには、事故を起こしたときに被害が弁済できるだけの保険に事業者が加入していることが最低限必要でしょう。
原発が存在しなかった場合のリスクを想定して、比較しないとな。これから原発を無くしていくとして、原発なしの社会がどんなリスクを抱えるのか、話をしようとしても聞く耳を持った人が極端に少なくて話にならん。
事業者がまともに保険に加入しないってことは、事業者がリスク評価を独占しているってこと。それはリスク評価がないのと同じ。
それじゃリスクの比較しようがないよね。ちゃんと保険に入って価格に乗っけたら、保険会社と電力会社と利用者が全力で比較するでしょ。電力会社は保険料を安くするために全力で安全性を高めようとするし、保険会社はリスクを見極めるために全力で問題を探すでしょう。それで割が合わなかったら別の発電にシフトするだけのこと。
比較の前に安全性のコストとしての評価が進まない構造がそこにあったということを認めないと。
話を聞いてもらえないのは、君の話がおかしいからだとなぜ気がつかないのか?
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
テンプレなのか議論のための議論なのか (スコア:0)
http://diamond.jp/articles/-/14075?page=7 [diamond.jp]
> 実は、自然エネルギーの政策は、もはや、原子力エネルギーを選ぶか、
>自然エネルギーを選ぶか、という選択の問題ではないのですね。
>なぜなら、福島原発事故の結果、我が国は、遅くとも2050年には、
>原発ゼロの社会になってしまうからです。
>原発の寿命を40年とすると、現在稼働中の原発が次々と寿命を迎え、
>遅くとも2050年には、すべての原発がなくなるからです。
>福島事故よりも数段軽微なものであったスリーマイル島事故でさえ、
>その後30年間、全米で原発の新設が止まったわけです。
いいかげん、原
Re: (スコア:0)
>技術擁護な人たちは、なんで「ここまで育ててきた技術を世論の敵にまでしてしまった」
>運営会社に恨みを向けないんだろう。あれが不思議でしょうがない。
福島第一原発事故以後、東京電力本社経営陣やいわゆる原発村の人々を擁護している論調って見たことありますか?
この連中がダメ野郎共なのは今更わざわざ言うまでもない大前提でしょう。
Re:テンプレなのか議論のための議論なのか (スコア:0)
社会的リスクが一切許容されない社会的論調においては、「万が一なにかあったらどうしてくれる」で
一切の抗弁を封じられるのでどうしようもありません。むやみに抗弁すれば、ピンポン玉のネックレスを
かけられて罵声を浴びせられるので、陰謀論が幅をきかす内は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つほうが得策です。
Re:テンプレなのか議論のための議論なのか (スコア:2)
>社会的リスクが一切許容されない社会的論調においては、「万が一なにかあったらどうしてくれる」で一切の抗弁を封じられるのでどうしようもありません。
社会的リスクが許容されるためには、事故を起こしたときに被害が弁済できるだけの保険に事業者が加入していることが最低限必要でしょう。そのために費用が爆発するのであれば、それは安全のコストがビジネスに合わなかったというだけのことです。保険に加入できない、誰も保証できないなら、「万が一なにかあったらどうしてくれる」というのは至極当然のことです。
ましてや安全のコストを事業者が負担していなかった、一旦事故が起これば国民負担、ということが明確な実績になってしまえば、競合する発電事業が投資先として吟味されることは当然ですし、代替事業に投資したり、代替事業を好む人から、特定の事業の安全のコストを税金や国の信用でまかなうことが不公平、不必要だと主張されるのはもっともなことです。
現行の制度下、すなわちリスクを国民が負担させながら原発を維持するという前提で「嵐が過ぎ去る」と期待するのは楽観的すぎでしょう。
Re: (スコア:0)
原発が存在しなかった場合のリスクを想定して、比較しないとな。
これから原発を無くしていくとして、原発なしの社会がどんなリスクを抱えるのか、
話をしようとしても聞く耳を持った人が極端に少なくて話にならん。
Re:テンプレなのか議論のための議論なのか (スコア:2)
事業者がまともに保険に加入しないってことは、事業者がリスク評価を独占しているってこと。それはリスク評価がないのと同じ。
それじゃリスクの比較しようがないよね。
ちゃんと保険に入って価格に乗っけたら、保険会社と電力会社と利用者が全力で比較するでしょ。電力会社は保険料を安くするために全力で安全性を高めようとするし、保険会社はリスクを見極めるために全力で問題を探すでしょう。それで割が合わなかったら別の発電にシフトするだけのこと。
比較の前に安全性のコストとしての評価が進まない構造がそこにあったということを認めないと。
Re: (スコア:0)
話を聞いてもらえないのは、君の話がおかしいからだとなぜ気がつかないのか?