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おれはそうじゃないのを希望するが。
ひとは、民族で分類することもできるけど、性別で分類することもできるし、職業や年
でも、たとえば先進国の金融関係者の関心事、とかいうふうな限定のしかたをすれば、たぶんどこの国でもよく似たものじゃないだろうか。少なくとも、各々の同一国内における金融関係者と乞食の関心事の差異よりも、ずっと小さいだろう。
「民族の数だけ」あるのは「歴史観」じゃなくて「歴史」だというのは、はいとも言えるしいいえとも言える。そもそも「歴史」は個数を数えられるようなものじゃないと思うし、「これはぜんぶ地球の歴史あるいは人類の歴史だ」と言ってしまうこともできる。
いや、言いたいことはわかります。で、「歴史観」のほうが問題になるのは、複数の民族が共通の歴史を共有するような場面(つまり、民族の数だけ歴史がある、という、たいていは正しい命題における例外的状況)においてだ、ということになります。
それで、「民族の数だけ歴史がある」のはいいとして、「民族の数だけ歴史観もある」という現状認識は、成立しないですか?
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
これでLinuxはソウル市民が作ったと言える (スコア:-1, オフトピック)
歴史はモノガタリだ (スコア:0)
おれはそうじゃないのを希望するが。
モノガタリの数 (スコア:2, すばらしい洞察)
ひとは、民族で分類することもできるけど、性別で分類することもできるし、職業や年
Re:モノガタリの数 (スコア:1)
> 職業や年齢層や所得層や性格などで分類することもできます。そのなかで、なぜ民族だけが特別扱いされるのか。
> 男に特有の歴史観とかモノガタリとか、貧乏人に特有のものの見方とかがあってもいいんじゃないかなあ。
例えば、日本の貧乏人のものの見方と、インドの貧乏
Re:モノガタリの数 (スコア:1, 興味深い)
でも、たとえば先進国の金融関係者の関心事、とかいうふうな限定のしかたをすれば、たぶんどこの国でもよく似たものじゃないだろうか。少なくとも、各々の同一国内における金融関係者と乞食の関心事の差異よりも、ずっと小さいだろう。
「民族の数だけ」あるのは「歴史観」じゃなくて「歴史」だというのは、はいとも言えるしいいえとも言える。そもそも「歴史」は個数を数えられるようなものじゃないと思うし、「これはぜんぶ地球の歴史あるいは人類の歴史だ」と言ってしまうこともできる。
いや、言いたいことはわかります。で、「歴史観」のほうが問題になるのは、複数の民族が共通の歴史を共有するような場面(つまり、民族の数だけ歴史がある、という、たいていは正しい命題における例外的状況)においてだ、ということになります。
それで、「民族の数だけ歴史がある」のはいいとして、「民族の数だけ歴史観もある」という現状認識は、成立しないですか?