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この間、A5:SQLを使いました。そして育児や家族のことで大変そうなのは知っていましたが、寄付する気にはなれませんでした。今回この記事を見て、いろいろ考えることはあったのですが、「がんばって」としか言えない自分自身にも嫌悪感というか、残念な気持ちにもなりました。
東日本大震災の被災者への寄付には抵抗がなかったのですが、個人への寄付はハードルが上がる、というのは自分だけではないはずです。なぜハードルが上がるのかというと、同じように困っている人は他にもいるだろうから、平等にしたい、でもすべてに寄付するのは現実的ではない、という気持ちがあるからだと思います。
いいかえれば、特定の誰かを対象とせず、「同じように困っている人」を平等に助けられる仕組みがあれば、寄付は増えるかもしれません。自分の頭で思いつくのは、NPOなどが支援団体として入り、その団体を経由して寄付金を配分するような仕組みですが、これだとハードルが下がりそうな気がしません。何かうまい具合に、支援しやすくなる仕組みを作れないものかなと思いますが、思いつかないものですね。
いま、その状況で手をさしのべたとしたら、次に同じ状況になっても手をさしのべないといけないのでしょうか。もっと困った人が次から次へと100人現れたら、やはり手をさしのべないといけないのでしょうか。
という考えが、いざ寄付しようと思ったときに、頭をよぎってしまうのだと思います。
# 別に最初の一人(または数人)だけでも構わないや、と思えばいいと思うのですが。
もちろん、寄付する代わりに「しくみ」を作る努力をする、というのでもいいかもしれません。根本解決にはこっちのほうが正しいやりかたですが、ハードルは高いですね。
>いま、その状況で手をさしのべたとしたら、>次に同じ状況になっても手をさしのべないといけないのでしょうか。>もっと困った人が次から次へと100人現れたら、やはり手をさしのべないといけないのでしょうか。
なんで"さしのべないといけない"のかな?「今日はそんな気分じゃねえ」「俺にはそこまでの余裕はねえ」でいいんじゃない?それがダメと言うならその理由は何?
気分や余裕程度で断ったら、「じゃあ最初からやるなよ」という、やらなかった時よりも手酷いパッシングに会うからでしょう。
私もソフトウェア開発じゃないですがとある情報の無料提供をしていたことがありまして、それに対する否定意見を頂いたことをきっかけにモチベーションが下がったため提供を止めたのですが、それまで好意的であった方々がみな手のひらを返してパッシングするようになりましたよ。
こういう経験をすると、次からは手を差し伸べようなんて気にはとてもなりませんね。
そう。そういう風潮、有るよね。
「一度なんかを提供してやった時点で、その人間は継続的に同様の提供し続ける義務を負う奴隷に成り下がる」という謎の考え方。馬鹿馬鹿しいにも程が有るよね。
最初からなんもしない人間を増やすだけの誰得思考なのにね。
みな自分だけは得をしたいのさ。謎でも何でもない。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
寄付に対する心理的ハードル (スコア:2)
この間、A5:SQLを使いました。
そして育児や家族のことで大変そうなのは知っていましたが、寄付する気にはなれませんでした。
今回この記事を見て、いろいろ考えることはあったのですが、「がんばって」としか言えない自分自身にも嫌悪感というか、残念な気持ちにもなりました。
東日本大震災の被災者への寄付には抵抗がなかったのですが、個人への寄付はハードルが上がる、というのは自分だけではないはずです。
なぜハードルが上がるのかというと、同じように困っている人は他にもいるだろうから、平等にしたい、でもすべてに寄付するのは現実的ではない、という気持ちがあるからだと思います。
いいかえれば、特定の誰かを対象とせず、「同じように困っている人」を平等に助けられる仕組みがあれば、寄付は増えるかもしれません。
自分の頭で思いつくのは、NPOなどが支援団体として入り、その団体を経由して寄付金を配分するような仕組みですが、これだとハードルが下がりそうな気がしません。
何かうまい具合に、支援しやすくなる仕組みを作れないものかなと思いますが、思いつかないものですね。
Re: (スコア:5, 興味深い)
目の前に困っている人がいる。
そして自分は差し伸べるべき手を持っている。
それが可能な状況にもある。
取り立ててリスクもない。
でも躊躇してしまう、あるいはできない。
これって、どう正当化してもやっぱり不自然だと思うし、それを仕組みのせいにするのもやっぱり変だと思う。
目の前に苦しそうな老人が立っているのに席を譲ることをせず、「そういうことができる仕組みがあればいいのになあ、って思う。」と言ってるみたいな。
Re: (スコア:0)
いま、その状況で手をさしのべたとしたら、
次に同じ状況になっても手をさしのべないといけないのでしょうか。
もっと困った人が次から次へと100人現れたら、やはり手をさしのべないといけないのでしょうか。
という考えが、いざ寄付しようと思ったときに、頭をよぎってしまうのだと思います。
# 別に最初の一人(または数人)だけでも構わないや、と思えばいいと思うのですが。
もちろん、寄付する代わりに「しくみ」を作る努力をする、というのでもいいかもしれません。
根本解決にはこっちのほうが正しいやりかたですが、ハードルは高いですね。
Re: (スコア:1)
>いま、その状況で手をさしのべたとしたら、
>次に同じ状況になっても手をさしのべないといけないのでしょうか。
>もっと困った人が次から次へと100人現れたら、やはり手をさしのべないといけないのでしょうか。
なんで"さしのべないといけない"のかな?
「今日はそんな気分じゃねえ」「俺にはそこまでの余裕はねえ」でいいんじゃない?
それがダメと言うならその理由は何?
Re: (スコア:1)
気分や余裕程度で断ったら、「じゃあ最初からやるなよ」という、やらなかった時よりも手酷いパッシングに会うからでしょう。
私もソフトウェア開発じゃないですがとある情報の無料提供をしていたことがありまして、
それに対する否定意見を頂いたことをきっかけにモチベーションが下がったため提供を止めたのですが、
それまで好意的であった方々がみな手のひらを返してパッシングするようになりましたよ。
こういう経験をすると、次からは手を差し伸べようなんて気にはとてもなりませんね。
Re: (スコア:1)
そう。そういう風潮、有るよね。
「一度なんかを提供してやった時点で、その人間は継続的に同様の提供し続ける義務を負う奴隷に成り下がる」
という謎の考え方。馬鹿馬鹿しいにも程が有るよね。
最初からなんもしない人間を増やすだけの誰得思考なのにね。
Re:寄付に対する心理的ハードル (スコア:0)
みな自分だけは得をしたいのさ。謎でも何でもない。