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図形の面積に関する問題を作り、それを自分で解け。
結局、何を教えるか、と言う問題に戻ってくる訳ですが。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
私の考える学力の定義 (スコア:4, すばらしい洞察)
そういった、いわば基礎体力のようなものは学んでいても楽しくないものです。だからこそ、強制力が必要になるのだと考えます。それを「児童の自主性に任せる」だの何だの……。国を潰す気かと言いたい。
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
「考える」には知識も必要。いまの教育を見ていると、知識を否定してまで独創性「のみ」を追っかけているようにも見える。「考えること」と「考えるために必要な知識」は教えるべきだと考えてます。
Re:学力=知識+something? (スコア:0)
知識のみに偏った教育に対する(自己)批判はよく分かるのだけど
最近の傾向は少々反動的に思えます。
ある命題に対して挑む権利を持っているのは、その命題に対する正確な知識を
持ってる人だけではないかな。命題に日常の仕事を当てはめれば実感出来ると
思うのですが。私にはJavaは使えないし、経理も出来ません。少なくとも、
勉強してない今現在は。
知識だけでない、知恵みたいなものを評価するとしたら、それはある
知
Re:学力=知識+something? (スコア:1)
>ある種のパズルのような物以外思いつくことが出来ません。
こういう出題はどうでしょうか。中学時代の数学の宿題から引用します。
#図形の面積の定義くらいは前提ですよね。 知識が無いことを前提とするのではなく当人が既に持っている知識だけを前提とするのなら、「知識を前提にしない知恵」を評価することになると思います。
Re:学力=知識+something? (スコア:0)
つまり、図形の面積の定義を知っている、と言うことに対する
評価が否応なく入ってくる訳ですね。
それはさておき教育の一つの問題は、その当人が持っている知識を、どう大きく
してやるかと言うことだと思います
Re:学力=知識+something? (スコア:2, すばらしい洞察)
#それはさておき。
知識として教えるのならどんなに難しい内容でも可能ですが、 進化論や近現代史と世界地理程度まで教えれば充分だと思います。 それに、読み書き算盤のような技術も教えるべきです。
しかし、それらは生活に必要な知識としての例です。 問題の解決能力は高めるためには、ある程度は生徒自身が修練する必要があります。この場合には思考のヒントを出したり、生徒自身が考えた解法が間違っていればその間違いを修正したり、そういった補助的な手法によって教えるしかないと思います。
前述の「図形の面積に関する問題を作り、それを自分で解け。」という出題に対する回答例を挙げてみましょうか。どれも昔は図形の面積から求めていた問題です。
A.「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺をそれぞれ二乗したものの和に等しい」(ピタゴラスの定理)を証明せよ。
B.円周率を小数点以下5桁まで求めよ。
Re:学力=知識+something? (スコア:0)
つまり、知識は問題解決の前提能力ではないだろうか、ということで。
どういった知識が必要で、何を要求するのか、という議論がなされるべきに
思えます。こないだの進化論の議論のように。
どこまで教えるかという点については、また違う議論になるので私見は 差し控えますけど。
一点、kilrey.jpさんの例でも、その問題作成や回答
Re:学力=知識+something? (スコア:0)
「回答者の知識レベルが*高いほど*高度な問題設定ができる」
&
「回答者の知識レベルが*低くても*高度な問題設定ができる」
ということじゃない?
Re:学力=知識+something? (スコア:0)
回答せよ、と入ってる以上。
問題設定だけならいくらでも難しくできるが、解けなきゃ意味はない。
Re:学力=知識+something? (スコア:0)
> 図形の面積に関する問題を作り、それを自分で解け。
問題: 半径1の円を2個の連続した平面図形に分割し、
それを組み合わせた図形の面積が常に1になることを示せ。
Re:私の考える学力の定義 (スコア:0)