アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:0)
中学までに頭に叩き込んでおくもの。
高校大学にいって上の教育を受けるにも
中学から就職して仕事に付くうえでも不可欠な能力。
「学力とはなにか?」を議論するなんて末期的だと思う。
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
中卒時点で、英語はすこしは話せるようになるべきだし、法律とか簿記とかそういうのも教えた方がいいのじゃないか。
学問的な学問は、高校以後でやればよいのです。
そうすれば、学力と
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1, 興味深い)
大反対ですね。激しく反対。頭の柔らかいときに、そういういつでもできるようなことをやらせるべきじゃない。簿記や会計なんて、それこそ企業に入ってからだっていい。
小中学生のときには、リテラシーを中心とする基礎学力と、理科の実験やフィールドワークを中心とした「感性を磨く」こと。これは歳食ってから
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
子供のうちに、感性とか言って、理論的・抽象的なことを教え、大人になってから、実学を学ぶというのは、無理があったのでは。
子供が抽象的なことを楽しく学ぶとは、思えない。
具体的で役にたつものを、系統的に教えていくことから、将来抽象的に考える思考能力が芽生える。
英語についても、文法なんて後でいい。
理科でも、理
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:0, オフトピック)
「感性」がどのように「理論的・抽象的」に結びつくのか分かりません。
数学科の人たちはみんな「感性」で研究してると思ってる?
「感性」という認識自体が食い違っていると思いますが。
> 実験をして、何か役に立つもの
その考え方が間違い。実験なんて役に立たないものの連続。
> 数学だって、例えば、確率について教えるなら、ゲームに勝つ方法にそれを使う方法を教えるとか。そういうのがいい。
全然ダメ。
「読み書きソロバン」というのは基礎中の基礎。
高校の微積分や確率統計くらいまでは基礎でしょ。
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
子供の頃はリテラシーを教えることと、学問への興味を持たせることを重視する。
と言うことでしょうか?
そうならば、僕の思っていることと、一緒やん。
あとは、方法論についての違いがあるだけでしょうね。
僕は、身近で、卒業したあとにすぐに役立ちそうな感じのするものを中心に教えることで、
この「リテラシー」と「学問への興味」につながると思っているのです。
例えば、実験なんて役に立たないものの連続と言いますが、身近で、卒業後役に立つなーと思わせる実験をする方が、興味は湧くでしょう。
英語でも、実際に、外国人と英語でコミ
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:0)
だから、この高学歴社会において「卒業後に役に立つかどうか」を
判断するような小中高校生はいないっつの。
大学院生ですら「モラトリアム」と言う御時世ですよ?
新卒だって、別に即戦力を求められてるわけじゃないのに。
それに小学生や中学生に教えた会計やら簿記やらで、
本当に世の中渡っていけると思う?
初等教育の貴重な時期を、実務の真似事で浪費させる気?
「読み書きソロバン
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1, すばらしい洞察)
僕は、実学ってイメージがあるのですよね。
読みの向こうには、たとえば契約書や法的文書、マニュアルの読解があるし、
書きって、それらの作成ですよね。
ソロバンの向こうには、簿記・会計・科学技術計算なんかがあるというイメージです。
向こうにそれらがあるなら、それらを使うための「基礎」だけやるのじゃ無しに、直接それらをやればいいですやん。
(って、小学に微分教えろといってるんちゃうよ。でも、中学生に簿記はできるんちゃう?)
そら、段階を踏んで教えていくというのは理想だけど、そんな風に学
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
学問が好きな人は自分のたどって来た道で考えようとしてしまうでしょうが、大多数の人間はそうではないわけです。
もっというなら、社会と学問知識の関連を学んで行くというところでしょうか。
小学校で7割、中学校で5割、高校で3割しか身に付かない753教育という状態への反省として生まれたゆとり教育ですが、内容を減らすことでは本当のゆとりは生まれないでしょう。
同一の内容をもっとシンプルに効率良く学ぶ必要があると思われます。
そういう意味で生活密着型の知識は有効ではないでしょうか。生活に密着していれば応用も効きます。一度応用できれば、応用の応用もまた見えて来るわけです。
また現状、義務教育の延長としか思えない存在理由が不明確な高等学校にしても、生活密着型教育と大学レベルの学問的教育との橋渡しという重要な役目を得ることになります。
とても有効な話だと思えますね。