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日本においては、編集著作物と言って、他人の著作物、あるいはパブリックドメインのものであったとしても、それを編纂し創作的な形で並べたものは、その全体として著作物として保護されます。 文化庁の著作権テキスト [bunka.go.jp]、平成25年版、9ページ、4-2-ウには以下の様にあります
詩集,百科事典,新聞,雑誌のような「編集物」は,そこに「部品」として収録されている個々の著作物などとは別に,「全体」としても「編集著作物」として保護されます(第12条)。したがって,こうしたものの「全体」をコピーするような場合には,「部品」である個々の著作物すべての著作権者の了解を得るとともに,全体(編集著作物)の著作権者の了解も得なければなりません。
ただし
こんな風に言い切れないから訴訟に至ってんだろうに、ググレカス、ググった結果はこうだ!と無駄に言い切る奴、どうにかなりませんかね。
親コメは、誤解を生まないように配慮されてんだけど、その下にこんな脊髄反射か。#ちなみに俺の目の前にはパネルと呼ぶしかないようなものしか無いが・・・箱とはねえ。
誤解しか生まないコメントと、情報も生まないと1人の人間が強弁しているコメント仮にどちらもゴミだとしたら、二次被害がないだけ誤解しか生まないコメントの方がより悪質だろ。
腐って腐臭を放つ生ゴミと、ある人はゴミだと認定したが、他人が見ればお宝かも知れない粗大ゴミぐらいの違いは少なくともあるわな。
一つ目は「誤解しか生まないコメント」ではないし二つ目は「誤解しか生まないと1人の人間が強弁しているコメント」だろ。つまり二つ目のコメントの方が極めて悪質。
DQN脳な人間はとうしてこうも自分の知識に過信できるのか。だからこそDQN脳と言えるのかもしれんが。
これぞ見事なブーメラン。まるで「投げる方はともかく一体どうやって受け取っているのか謎」でおなじみ、やいばのブーメランですね。
一つ目、二つ目、とは何を指しているか明確ではなく、他人に伝える能力に乏しい所を推察させる所から始まって、自分の事を棚上げしようとして見事に棚から転落した様子がありありと思い浮かびます。「ああ、力一杯棚上げするために脚立の天板にのっちゃったんですね」とほほえましくも、できるだけ離れて遠くから眺めて間違っても助けたくない、落ちた瞬間には気付かないふりをしながら心の中でよしっと拳を握りたくなる、そんな感情を呼び起こさせます。
さらに、「DQN脳」。正直意味がわからなくて思わずヤフーでググってしまいましたが、なるほど突撃ドキュンというテレビ番組が元祖となった言葉なんですね。それに脳という言葉をつけた。この時点でヤンキーと呼ばれる人々を指す言葉なのに意味が通じなくなっているなと素朴に思いますが、ここはこれが通じた時代があったと言う事に敬意を表したいと思います。いやあ、それにしても、DQN脳、DQN脳。思わず反芻したくなる日本語ですね。DQN脳。前時代の煽り言葉が今でも通じるとおもって反射的に使ってしまう様は、悲哀すら感じさせます。惨めな自分を晒してでも伝統を絶やさない、そんな方が生息するスラドというのもはいいもんですね。
彼が初めて煽ったと思われるコメントから観察してみると、ソースをあたれと煽ったものの自らは一回もソースをだしていません。その様子からどこから余所から仕入れた知識である事が推測できます。そのように他人のフンドシを使って脊髄反射で煽ってみたのに、逆に煽り返された後の耐性の低さ、近頃なかなか見かけなくなった「DQN脳」という用語、そして「箱」、それらを考えると著者のステータスが少なくとも40代以上、古くから2ちゃんねるなどで自分の居場所を求めるものの、近頃のあたらしいSNSにはついて行けない…さらに中身が全くないまさにゴミと形容するのがぴったりな手慣れた風のブーメランは、昔から直前に仕入れた知識を適当にひけらかし、浅いが故に指摘されると思考停止、反論もろくにできなくなりDQN脳などと言った安易な煽りを繰り返していることを思い起こさせます。
この僅かな文章に著者の生き様まで感じさせる、素晴らしい文章です。ビジュアルすら想像できそうな気がします。箱と形容するのがぴったりの巨大な自作マシンの前に鎮座する40代…むせかえる悪臭すら香ってきそうです。惜しいのはこれが匿名であることですね。実名あるいはハンドル等を名乗っていれば優良な知ったか自爆系煽られウォッチ物件となってくれそうなのに。でも匿名だからこそ作り上げられた一つの文化であると考えればこれでよいとも言えるのかもしれません。最後に、彼が適当にどこからか拾ってきた又聞き情報を偉そうに語っても自分は偉くもなっていない、それは知識でも何でも無いと言う事に早く気付けますように、お祈りしながら投稿ボタンを押したいと思います。
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人生unstable -- あるハッカー
編集著作物にあたるか否か (スコア:1)
日本においては、編集著作物と言って、他人の著作物、あるいはパブリックドメインのものであったとしても、それを編纂し創作的な形で並べたものは、その全体として著作物として保護されます。
文化庁の著作権テキスト [bunka.go.jp]、平成25年版、9ページ、4-2-ウには以下の様にあります
詩集,百科事典,新聞,雑誌のような「編集物」は,そこに「部品」として収録されている個々の著作物などとは別に,「全体」としても「編集著作物」として保護されます(第12条)。
したがって,こうしたものの「全体」をコピーするような場合には,「部品」である個々の著作物すべての著作権者の了解を得るとともに,全体(編集著作物)の著作権者の了解も得なければなりません。
ただし
Re: (スコア:-1)
そう思うんならソースあたれよ。目の前の箱は何なんだよ。
ちなみにベルヌ条約では「文学的又は美術的著作物の編集物」としているし、英国著作権法では編集著作物について「演劇又は音楽の著作物以外」と条件づけているから、どちらもプレイリストは編集著作物にはなりえない。
Re: (スコア:1)
こんな風に言い切れないから訴訟に至ってんだろうに、ググレカス、ググった結果はこうだ!と無駄に言い切る奴、どうにかなりませんかね。
親コメは、誤解を生まないように配慮されてんだけど、その下にこんな脊髄反射か。
#ちなみに俺の目の前にはパネルと呼ぶしかないようなものしか無いが・・・箱とはねえ。
Re: (スコア:-1)
日本の国内法は今回の問題とは何の関係もないだろ?
Re: (スコア:0)
誤解しか生まないコメントと、情報も生まないと1人の人間が強弁しているコメント
仮にどちらもゴミだとしたら、二次被害がないだけ誤解しか生まないコメントの方がより悪質だろ。
腐って腐臭を放つ生ゴミと、ある人はゴミだと認定したが、他人が見ればお宝かも知れない粗大ゴミぐらいの違いは少なくともあるわな。
Re: (スコア:0)
一つ目は「誤解しか生まないコメント」ではないし
二つ目は「誤解しか生まないと1人の人間が強弁しているコメント」だろ。
つまり二つ目のコメントの方が極めて悪質。
DQN脳な人間はとうしてこうも自分の知識に過信できるのか。
だからこそDQN脳と言えるのかもしれんが。
Re:編集著作物にあたるか否か (スコア:0)
これぞ見事なブーメラン。
まるで「投げる方はともかく一体どうやって受け取っているのか謎」でおなじみ、やいばのブーメランですね。
一つ目、二つ目、とは何を指しているか明確ではなく、他人に伝える能力に乏しい所を推察させる所から始まって、自分の事を棚上げしようとして見事に棚から転落した様子がありありと思い浮かびます。「ああ、力一杯棚上げするために脚立の天板にのっちゃったんですね」とほほえましくも、できるだけ離れて遠くから眺めて間違っても助けたくない、落ちた瞬間には気付かないふりをしながら心の中でよしっと拳を握りたくなる、そんな感情を呼び起こさせます。
さらに、「DQN脳」。正直意味がわからなくて思わずヤフーでググってしまいましたが、なるほど突撃ドキュンというテレビ番組が元祖となった言葉なんですね。それに脳という言葉をつけた。この時点でヤンキーと呼ばれる人々を指す言葉なのに意味が通じなくなっているなと素朴に思いますが、ここはこれが通じた時代があったと言う事に敬意を表したいと思います。
いやあ、それにしても、DQN脳、DQN脳。思わず反芻したくなる日本語ですね。DQN脳。前時代の煽り言葉が今でも通じるとおもって反射的に使ってしまう様は、悲哀すら感じさせます。惨めな自分を晒してでも伝統を絶やさない、そんな方が生息するスラドというのもはいいもんですね。
彼が初めて煽ったと思われるコメントから観察してみると、ソースをあたれと煽ったものの自らは一回もソースをだしていません。その様子からどこから余所から仕入れた知識である事が推測できます。
そのように他人のフンドシを使って脊髄反射で煽ってみたのに、逆に煽り返された後の耐性の低さ、近頃なかなか見かけなくなった「DQN脳」という用語、そして「箱」、それらを考えると著者のステータスが少なくとも40代以上、古くから2ちゃんねるなどで自分の居場所を求めるものの、近頃のあたらしいSNSにはついて行けない…さらに中身が全くないまさにゴミと形容するのがぴったりな手慣れた風のブーメランは、昔から直前に仕入れた知識を適当にひけらかし、浅いが故に指摘されると思考停止、反論もろくにできなくなりDQN脳などと言った安易な煽りを繰り返していることを思い起こさせます。
この僅かな文章に著者の生き様まで感じさせる、素晴らしい文章です。ビジュアルすら想像できそうな気がします。
箱と形容するのがぴったりの巨大な自作マシンの前に鎮座する40代…むせかえる悪臭すら香ってきそうです。
惜しいのはこれが匿名であることですね。実名あるいはハンドル等を名乗っていれば優良な知ったか自爆系煽られウォッチ物件となってくれそうなのに。
でも匿名だからこそ作り上げられた一つの文化であると考えればこれでよいとも言えるのかもしれません。
最後に、彼が適当にどこからか拾ってきた又聞き情報を偉そうに語っても自分は偉くもなっていない、それは知識でも何でも無いと言う事に早く気付けますように、お祈りしながら投稿ボタンを押したいと思います。