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アレゲか、この人?
# で、同じようにマイナスモデされて# 同じようなコメントが付く、と。
アンパンマンはSFなのでアレゲでいいんじゃないかなぁ
>アンパンマンはSFなので
まず、よく取り上げられる「なぜ、首から上を挿げ替えても記憶が保存されて連続された自己なのか」がある。もしかして、この漫画は人間機械論や唯脳論への反駁を意図しているのか?たとえば、節足動物のように中枢神経を頭部以外に分散させている可能性なら首を挿げ替えても自己は連続する。いわば、Gが頭をもいでもしばらく(ry------------------------
食べ物関連のすれなのに不適切であった。
では、「ミサカネットワーク」のように、仮想電脳空間で分散処理させているような形態の可能性はどうだろう。ジャムおじさ
本体はやはり身体ではないかな。本体はケイ素生物のような人類の想像もつかなないような生命体を、人間に似せた形状に封印したものと考えるのが良いのでは。生命体本体はそれほどエネルギーを使用しないが、ある種のエネルギーを入れるとそれを変換する能力を持っている。それを利用して身体を駆動し、戦うのではないだろうか。
そのような特殊な本体に供給するエネルギー源があんパンであり、この特殊なあんパンは水分量などが厳密に管理されなければならない非常に厳密な者で、これが破損するとエネルギー吸収ができない、故に常に交換が必要なのではないか。つまり、パンの中に脳がはいっているのではなく、パンはあくまでもエネルギー源なのではないだろうか。
やなせ氏(「鬼畜米英」を頭脳にたたきこまされて負けて復員した兵士)的には、「和魂」=「脳みそとしての餡」+「洋才」=「皮としてのパン」である「あんぱん」がアンパンマンの主体であるといわざるをえないだろう。
その上で「アンパンマンの頭部」が「只の燃料補給機関」であるという貴君の指摘は興味深いが「只の燃料補給機関」を「飢えた人に分け与える」というのはやなせ氏的に意味のあることなのだろうか?「飢え」の経験があってこそ、アンパンマンの「自己犠牲」をあれだけ演出して絵本にしていたのに「あの頭は『只の燃料補給機関』」はないと思う。
ただの燃料補給期間ではない。頭が外れるとすぐに動けなくなることから、身体の方にはエネルギーを蓄えるものがないか、あるいは非常にわずかしかないので、エネルギー源として常に接続しておけないとならぬという、命を繋ぐ大切なものなのではないのか。つまり、内臓の消化器官、及びそれをエネルギーとして使える腎臓、肝臓などの機能を丸ごと搭載したようなものだ。
それほどまでに大切な自分の食料を他人に渡すのは自己犠牲であると言えるのでは。
食料が厳しい戦時中を生き延びた人ほど食料の大切さを身に染みて分かっているからこそ、食料とは命に等しいものであり、それを分け与えることは自己犠牲の一番分かりやすい象徴であるとも言える。
#っていうか現実存在するとしたらどう考えられるかというSF的考察をしているのに#そこに作者の心情やら背景論とか感情論とかぶち込むのは微妙じゃね?
>#っていうか現実存在するとしたらどう考えられるかというSF的考察をしているのに>#そこに作者の心情やら背景論とか感情論とかぶち込むのは微妙じゃね?
本筋から外れるけど、それば文学論としての「物の見方」の話でどっちもありじゃね?
小説の「タイムマシン」の話をするときに、H.G.ウェルズ当時の時間論(相対論以前)の認識で、H.G.ウェルズがどう見ていたかを論じるのも今の平行世界論ありきの世界観でH.G.ウェルズの作品を解釈するのもどちらもありじゃね、と私は思う。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
この手の記事にはいつも思うんだが (スコア:0)
アレゲか、この人?
# で、同じようにマイナスモデされて
# 同じようなコメントが付く、と。
Re: (スコア:1)
アンパンマンはSFなのでアレゲでいいんじゃないかなぁ
Re: (スコア:3, おもしろおかしい)
>アンパンマンはSFなので
まず、よく取り上げられる「なぜ、首から上を挿げ替えても記憶が保存されて連続された自己なのか」がある。
もしかして、この漫画は人間機械論や唯脳論への反駁を意図しているのか?
たとえば、節足動物のように中枢神経を頭部以外に分散させている可能性なら首を挿げ替えても自己は連続する。
いわば、Gが頭をもいでもしばらく(ry------------------------
食べ物関連のすれなのに不適切であった。
では、「ミサカネットワーク」のように、仮想電脳空間で分散処理させているような形態の可能性はどうだろう。
ジャムおじさ
Re: (スコア:0)
本体はやはり身体ではないかな。本体はケイ素生物のような人類の想像もつかなないような生命体を、人間に似せた形状に封印したものと考えるのが良いのでは。生命体本体はそれほどエネルギーを使用しないが、ある種のエネルギーを入れるとそれを変換する能力を持っている。それを利用して身体を駆動し、戦うのではないだろうか。
そのような特殊な本体に供給するエネルギー源があんパンであり、この特殊なあんパンは水分量などが厳密に管理されなければならない非常に厳密な者で、これが破損するとエネルギー吸収ができない、故に常に交換が必要なのではないか。
つまり、パンの中に脳がはいっているのではなく、パンはあくまでもエネルギー源なのではないだろうか。
Re: (スコア:0)
やなせ氏(「鬼畜米英」を頭脳にたたきこまされて負けて復員した兵士)的には、
「和魂」=「脳みそとしての餡」+「洋才」=「皮としてのパン」である「あんぱん」が
アンパンマンの主体であるといわざるをえないだろう。
その上で「アンパンマンの頭部」が「只の燃料補給機関」であるという貴君の指摘は興味深いが
「只の燃料補給機関」を「飢えた人に分け与える」というのはやなせ氏的に意味のあることなのだろうか?
「飢え」の経験があってこそ、アンパンマンの「自己犠牲」をあれだけ演出して絵本にしていたのに
「あの頭は『只の燃料補給機関』」はないと思う。
Re: (スコア:0)
ただの燃料補給期間ではない。頭が外れるとすぐに動けなくなることから、身体の方にはエネルギーを蓄えるものがないか、あるいは非常にわずかしかないので、エネルギー源として常に接続しておけないとならぬという、命を繋ぐ大切なものなのではないのか。
つまり、内臓の消化器官、及びそれをエネルギーとして使える腎臓、肝臓などの機能を丸ごと搭載したようなものだ。
それほどまでに大切な自分の食料を他人に渡すのは自己犠牲であると言えるのでは。
食料が厳しい戦時中を生き延びた人ほど食料の大切さを身に染みて分かっているからこそ、食料とは命に等しいものであり、それを分け与えることは自己犠牲の一番分かりやすい象徴であるとも言える。
#っていうか現実存在するとしたらどう考えられるかというSF的考察をしているのに
#そこに作者の心情やら背景論とか感情論とかぶち込むのは微妙じゃね?
Re:この手の記事にはいつも思うんだが (スコア:0)
>#っていうか現実存在するとしたらどう考えられるかというSF的考察をしているのに
>#そこに作者の心情やら背景論とか感情論とかぶち込むのは微妙じゃね?
本筋から外れるけど、それば文学論としての「物の見方」の話でどっちもありじゃね?
小説の「タイムマシン」の話をするときに、
H.G.ウェルズ当時の時間論(相対論以前)の認識で、H.G.ウェルズがどう見ていたかを論じるのも
今の平行世界論ありきの世界観でH.G.ウェルズの作品を解釈するのもどちらもありじゃね、と私は思う。