アカウント名:
パスワード:
わたしも、この「量子力学」の解釈はおかしいと、最初は思った。量子力学における確率密度関数は、3次元的な位置や速度に関して不確定性を持つというのに、この「量子将棋」の設計は、「水素原子核の中心にあるのは、電子か?陽子か?」レベルの設計に見えた。それはともかく、駒を動かした時点で、観測者が観測しているのだから、どれかひとつに収束すべき、と思われる。
しかし、この違和感は、観測者(量子将棋で言えば「指し手」)に絶大な権力を与えている、コペンハーゲン解釈だからだ。
エヴェレット解釈で考えれば、観測者自身が確率の重ね合わせになるのだから、ある駒を一マス前に進めて打ったとき
>「コペンハーゲン解釈な量子将棋」とか
量子論では、違う解釈であっても結果(測定可能な結果)は一切変わらないから、そういうものがあったからといってルールが変わるわけはない。#解釈の違いを区別できない(区別できる実験が考案できていない)から、「○○解釈」がいろいろ生き残っているわけで。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
宛部門名 (スコア:0)
わたしも、この「量子力学」の解釈はおかしいと、最初は思った。
量子力学における確率密度関数は、3次元的な位置や速度に関して不確定性を持つというのに、
この「量子将棋」の設計は、「水素原子核の中心にあるのは、電子か?陽子か?」レベルの設計に見えた。
それはともかく、駒を動かした時点で、観測者が観測しているのだから、どれかひとつに収束すべき、と思われる。
しかし、この違和感は、観測者(量子将棋で言えば「指し手」)に絶大な権力を与えている、コペンハーゲン解釈だからだ。
エヴェレット解釈で考えれば、観測者自身が確率の重ね合わせになるのだから、
ある駒を一マス前に進めて打ったとき
Re:宛部門名 (スコア:0)
>「コペンハーゲン解釈な量子将棋」とか
量子論では、違う解釈であっても結果(測定可能な結果)は一切変わらないから、そういうものがあったからといってルールが変わるわけはない。
#解釈の違いを区別できない(区別できる実験が考案できていない)から、「○○解釈」がいろいろ生き残っているわけで。