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入試などの国語の試験に出された「作者の気持ちを答えよ」に、当の作者が正解を答えられないのと同じ?
野坂昭如の話?Wikipediaの火垂るの墓 [wikipedia.org]から引用。
> 娘の学校での宿題の、「火垂るの墓の作者は、どういう気持ちでこの物語を書いたでしょうか」という問いに対し、「締め切りに追われ、ヒィヒィ言いながら書いた」と答えた
清水義範も書いていました。
自分の作品が試験に出たと聞いて問題を見てみたが正解が分からない、と。どの本だったか失念しましたが。
学校教育、特に国語科では唯一無二の正解ではなく最も妥当と思われる答えを導くことを教えるわけですし、たいていの人はそのことになんとなく気づいているのですが、野坂といい清水といい(ここの記述だけを見る限り)彼ら自身が歪んだ学校教育像に囚われているとしか思えません
> 野坂といい清水といい(ここの記述だけを見る限り)彼ら自身が歪んだ学校教育像に囚われているとしか思えません
野坂は完全にジョークでしょ。
あえていえば国語の試験に文学作品を出題するのが間違っている。
文学的な要素は「文芸」として音楽や美術と同じ扱いにして国語は実用文を主体とした教科にしたほうがいい。
そのとおり。音楽鑑賞や美術鑑賞で、どんな感想をいっても不正解ではない。文芸作品鑑賞も本来そう有るべき。
ついでにいうと、評論を題材とするのもどうかと思う。「難解な文章の読解能力」の究極のテストのようなものを、標準の題材として扱い、試験にもよく出るのは、単に国語問題を作る人の怠慢としかいいようながい。評論などがあるせいで、難解な文章をつくるのがまるで高尚なことのように感じている人もいる気がする。
逆の話として、高校の頃、古文の先生が、「君ら、受験が終わって大人になったら、もう一度教科書に出てきた作品を、文芸作品として読んでください。本当は味わい深いものですから」と言っていたのが思い出深いです。たしかに、古文・漢文は、古典を読み解く技術に特化した授業だったなぁ。(その分、点は取りやすかった)
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
本職の歌手も (スコア:1)
Re: (スコア:5, おもしろおかしい)
入試などの国語の試験に出された「作者の気持ちを答えよ」に、当の作者が正解を答えられないのと同じ?
Re: (スコア:5, おもしろおかしい)
野坂昭如の話?
Wikipediaの火垂るの墓 [wikipedia.org]から引用。
> 娘の学校での宿題の、「火垂るの墓の作者は、どういう気持ちでこの物語を書いたでしょうか」という問いに対し、「締め切りに追われ、ヒィヒィ言いながら書いた」と答えた
清水義範も (スコア:1)
清水義範も書いていました。
自分の作品が試験に出たと聞いて
問題を見てみたが正解が分からない、と。
どの本だったか失念しましたが。
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/* SHADOWFIRE */
Re: (スコア:0)
学校教育、特に国語科では唯一無二の正解ではなく最も妥当と思われる答えを導くことを教えるわけですし、たいていの人はそのことになんとなく気づいているのですが、
野坂といい清水といい(ここの記述だけを見る限り)彼ら自身が歪んだ学校教育像に囚われているとしか思えません
Re: (スコア:0)
> 野坂といい清水といい(ここの記述だけを見る限り)彼ら自身が歪んだ学校教育像に囚われているとしか思えません
野坂は完全にジョークでしょ。
あえていえば国語の試験に文学作品を出題するのが間違っている。
文学的な要素は「文芸」として音楽や美術と同じ扱いにして
国語は実用文を主体とした教科にしたほうがいい。
Re:清水義範も (スコア:2)
そのとおり。
音楽鑑賞や美術鑑賞で、どんな感想をいっても不正解ではない。文芸作品鑑賞も本来そう有るべき。
ついでにいうと、評論を題材とするのもどうかと思う。「難解な文章の読解能力」の究極のテストのようなものを、標準の題材として扱い、試験にもよく出るのは、単に国語問題を作る人の怠慢としかいいようながい。
評論などがあるせいで、難解な文章をつくるのがまるで高尚なことのように感じている人もいる気がする。
逆の話として、高校の頃、古文の先生が、「君ら、受験が終わって大人になったら、もう一度教科書に出てきた作品を、文芸作品として読んでください。本当は味わい深いものですから」と言っていたのが思い出深いです。たしかに、古文・漢文は、古典を読み解く技術に特化した授業だったなぁ。(その分、点は取りやすかった)