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導入部で自然科学の歴史やら、科学をどう考えるかといった章があることが多いですね。で、今でもアメリカ社会ではキリスト教の影響が強いとわかります。。
ちょうど、リサ・ランドール著『宇宙の扉をノックする』を読んでるけど、六分立てのうち第一部はキリスト教と科学について論じてますが、極めつけは、第三章で一例としてあげられる自然を理解するのに自然学ではなくキリスト教の教義を持ち出す「分子生物学の専門教育を受けた」青年俳優でしょう。その青年俳優は、「科学と科学的手法を教える学校を開きたい」という一方、人間の祖先はアダムであってサルではない」、「科学も論理も人間の思考の整理法でしかない」という人物です。おそらく、こういう状況はこれからも続くだろうし、アメリカの国力が衰えてきて国民の生活水準が下がってくると、こういった人たちの勢いが増してくるかもしれないとすら感じます。ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
クーンや村上陽一郎によると、キリスト教が近代科学の母体であることが指摘されていますが、それとも違った方向の思考法ですよね。
/* 日本でこういうアンケートをしたらどうなるのか興味あるなぁ。 以外と惨憺たる結果になったりして。*/
「血液型は性格に影響する」だとか「水にやさしい言葉をかけるときれいな結晶ができる」だとかに置き換えてみればよその国のことを笑ってる場合じゃないって理解できると思うけど。
> ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
むしろ
> 人間の祖先はアダムであってサルではない
これは宗教的思考ではなく疑似科学的思考と言うべきものですし
> 科学も論理も人間の思考の整理法でしかない
こちらは全くその通りで、もし「科学や論理は人間の思考の整理法以上のものである」と主張するのであれば、まさに宗教になってしまいます
要するに、「神が人間を作った」といった文句を形而下で捉えてしまうお頭の弱さは甲乙つけがたいということですね
>思考の整理法でしかない創造の道具をずいぶん後ろ向きにしか捉えてないんだな。自分が使わない事は分からんのだろうが。
思考の整理が後ろ向き?創造のためのほとんど唯一の道具を研ぎ澄ます超前向きな行為だと思いますが、あなたはいったい普段どういう生活をなさってるんでしょうか
整理法って書いてるのに、なぜ「整理すること」に置き換えるの?あなたはいったい普段どういう生活をなさってるんでしょうか
ある意味> 人間の祖先はアダムであってサルではないは正しい。人もサルも同じものから分かれて進化していったものであって、いわば進化上の又従兄弟ぐらいの存在だ。田舎の大叔父さんはあなたの親戚ではあるがご先祖様ではないのと一緒だ。サルを何万年飼っていてもヒトにはならない。Superサルにはなるかもしれないが。
>ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
創造論者や例に出てくる青年など多くの人は、超越的ではないものも当然宗教の範囲に含むと信じているでしょう。
昔はそっちが普通だったのではないかな。
そもそもそっちのほうが自然です。それとこれとは話が別、と言う制限をつけるのは不自然な話。特に必要でもない時にそれをやると、簡単にダブルスタンダートになってしまいます。
ただ現代は、超越的ではないものの解釈には、科学のほうがよほど信頼できるという話が広まっているので、特に必要があって、それはそれこれはこれ、といわざるを得なくなっている状況でしょう。
映画でもコンタクトなんかは科学と宗教を軸にして描いてますよね。最後は狂信者がテロリストになってたけど
最後は神の存在証明で終わってたと思うんだけど。電波望遠鏡からのデータの中から異星人からの信号を見つける計算機を、円周率に適用してました。映画だと違うのでしょうか。
# 映画は見てません。原作を読みました。
円周率の中に見つけた、偶然ではありえそうもないパターンは、「宇宙には目的がある」と言っている、というふうな言い方をしてました。科学は、宇宙の構造や成り立ちを調べることはできますが目的を調べることはできません。それは宗教の範疇ですね。
なるほど、救いがたい駄作だった映画よりはるかにまともそうですね
しかしコメントを読む限りでは、神の存在ではなく、この宇宙に外部があることを証明しただけのように思えます
この宇宙(において有効な物理法則)を作る際になんらかの知能(意図)が関与した、ということが言えます。「神の存在証明」という表現は原作には出てきません。私がそう表現しただけです。この宇宙を作った存在なら、この宇宙の住人から見て「神」と呼んで差し支えないだろう、と思いました。あまり厳密でない言い方であるのも確かです。原作者をおとしめる意図はありませんでしたが、誤解を生む表現でした。
ただし、物語の中で、宗教の指導者と科学者との討論がおこなわれていて、神の存在証明も話題になっています。最後の円周率のくだりは、それに対するひとつの答えになっていると思います。
>ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
全ての宗教と科学が両立しないとは限らない。でもキリスト教は科学と両立しない事が分かっている。
>クーンや村上陽一郎によると、キリスト教が近代科学の母体であることが指摘されていますが、それとも違った方向の思考法ですよね。
村上は宗教的情熱に燃えまくっててキツイ。ニュートンはキリスト教徒であるからキリスト教は近代科学の母体であるとか馬鹿も休み休み。
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人生unstable -- あるハッカー
アメリカの科学者の書いた本を読むと (スコア:2)
導入部で自然科学の歴史やら、科学をどう考えるかといった章があることが多いですね。
で、今でもアメリカ社会ではキリスト教の影響が強いとわかります。。
ちょうど、リサ・ランドール著『宇宙の扉をノックする』を読んでるけど、六分立てのうち第一部はキリスト教と科学について論じてますが、極めつけは、第三章で一例としてあげられる自然を理解するのに自然学ではなくキリスト教の教義を持ち出す「分子生物学の専門教育を受けた」青年俳優でしょう。
その青年俳優は、「科学と科学的手法を教える学校を開きたい」という一方、人間の祖先はアダムであってサルではない」、「科学も論理も人間の思考の整理法でしかない」という人物です。
おそらく、こういう状況はこれからも続くだろうし、アメリカの国力が衰えてきて国民の生活水準が下がってくると、こういった人たちの勢いが増してくるかもしれないとすら感じます。
ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
クーンや村上陽一郎によると、キリスト教が近代科学の母体であることが指摘されていますが、それとも違った方向の思考法ですよね。
/*
日本でこういうアンケートをしたらどうなるのか興味あるなぁ。
以外と惨憺たる結果になったりして。
*/
Re:アメリカの科学者の書いた本を読むと (スコア:1)
「血液型は性格に影響する」だとか「水にやさしい言葉をかけるときれいな結晶ができる」だとかに置き換えてみればよその国のことを笑ってる場合じゃないって理解できると思うけど。
Re: (スコア:0, 興味深い)
> ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
むしろ
> 人間の祖先はアダムであってサルではない
これは宗教的思考ではなく疑似科学的思考と言うべきものですし
> 科学も論理も人間の思考の整理法でしかない
こちらは全くその通りで、もし「科学や論理は人間の思考の整理法以上のものである」と主張するのであれば、まさに宗教になってしまいます
要するに、「神が人間を作った」といった文句を形而下で捉えてしまうお頭の弱さは甲乙つけがたいということですね
Re:アメリカの科学者の書いた本を読むと (スコア:1)
>思考の整理法でしかない
創造の道具をずいぶん後ろ向きにしか捉えてないんだな。
自分が使わない事は分からんのだろうが。
the.ACount
Re: (スコア:0)
思考の整理が後ろ向き?
創造のためのほとんど唯一の道具を研ぎ澄ます超前向きな行為だと思いますが、あなたはいったい普段どういう生活をなさってるんでしょうか
Re: (スコア:0)
整理法って書いてるのに、なぜ「整理すること」に置き換えるの?
あなたはいったい普段どういう生活をなさってるんでしょうか
Re: (スコア:0)
ある意味
> 人間の祖先はアダムであってサルではない
は正しい。人もサルも同じものから分かれて進化していったものであって、いわば進化上の又従兄弟ぐらいの存在だ。
田舎の大叔父さんはあなたの親戚ではあるがご先祖様ではないのと一緒だ。
サルを何万年飼っていてもヒトにはならない。Superサルにはなるかもしれないが。
Re: (スコア:0)
>ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
創造論者や例に出てくる青年など多くの人は、
超越的ではないものも当然宗教の範囲に含むと信じているでしょう。
昔はそっちが普通だったのではないかな。
そもそもそっちのほうが自然です。
それとこれとは話が別、と言う制限をつけるのは不自然な話。
特に必要でもない時にそれをやると、簡単にダブルスタンダートになってしまいます。
ただ現代は、超越的ではないものの解釈には、
科学のほうがよほど信頼できるという話が広まっているので、
特に必要があって、それはそれこれはこれ、といわざるを得なくなっている状況でしょう。
Re: (スコア:0)
映画でもコンタクトなんかは科学と宗教を軸にして描いてますよね。
最後は狂信者がテロリストになってたけど
Re: (スコア:0)
最後は神の存在証明で終わってたと思うんだけど。
電波望遠鏡からのデータの中から異星人からの信号を見つける計算機を、円周率に適用してました。
映画だと違うのでしょうか。
# 映画は見てません。原作を読みました。
円周率の中に見つけた、偶然ではありえそうもないパターンは、「宇宙には目的がある」と言っている、
というふうな言い方をしてました。科学は、宇宙の構造や成り立ちを調べることはできますが目的を
調べることはできません。それは宗教の範疇ですね。
Re: (スコア:0)
なるほど、救いがたい駄作だった映画よりはるかにまともそうですね
しかしコメントを読む限りでは、神の存在ではなく、この宇宙に外部があることを証明しただけのように思えます
Re: (スコア:0)
この宇宙(において有効な物理法則)を作る際になんらかの知能(意図)が関与した、ということが言えます。
「神の存在証明」という表現は原作には出てきません。私がそう表現しただけです。
この宇宙を作った存在なら、この宇宙の住人から見て「神」と呼んで差し支えないだろう、と思いました。
あまり厳密でない言い方であるのも確かです。
原作者をおとしめる意図はありませんでしたが、誤解を生む表現でした。
ただし、物語の中で、宗教の指導者と科学者との討論がおこなわれていて、神の存在証明も
話題になっています。最後の円周率のくだりは、それに対するひとつの答えになっていると思います。
Re: (スコア:0)
>ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
全ての宗教と科学が両立しないとは限らない。
でもキリスト教は科学と両立しない事が分かっている。
>クーンや村上陽一郎によると、キリスト教が近代科学の母体であることが指摘されていますが、それとも違った方向の思考法ですよね。
村上は宗教的情熱に燃えまくっててキツイ。
ニュートンはキリスト教徒であるからキリスト教は近代科学の母体であるとか馬鹿も休み休み。