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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
知識っていうか (スコア:2, すばらしい洞察)
学までで終わるわけじゃないのだな、ってのも。
おかげで今でも自分の専攻に関連する本を読んだりしてますし、
大学のゼミに飛び入りで参加させてもら
(I can't get no) satisfaction
一反論 (スコア:2, すばらしい洞察)
適切な指導であれば、学生が興味を持っていない、あるいは知らなかったその分野における基礎知識や周辺知識などある程度の強制力をもって誘導させることが可能です。知識は他でも言われているように、興味さえあれば高校生でも十分蓄えることが出来ます。学生にとって面白くない、しかし重要な常識を取得することも大学では必要だと思います
Re:一反論 (スコア:0)
> 自分で興味をもつべきだ、という論調が多く見られますが、私はこれだけでは足りないと思います。
僕は、自分から興味を持て、では言葉足らずだと思います。
- 自分の学習を自分で決定し、それに責任を持て -
大学の勉強ってのはそういうのを要求されるモノなんだと思います。
Re:一反論 (スコア:0)
> - 自分の学習を自分で決定し、それに責任を持て -
それは研究であって、大学教育とは関係のない話です。
大学教育では、その研究分野での知識の取得、周辺知識の取得、それに基づいた研究、他の研究者(指導教官など)からの評価などを通して訓練することだとおもいます。「自分の学習を決定」できるまでの知識と表現力は、大学卒業時までにでも身につくものではと思います。
例えば、学生の偉大なる成果とも言えるLinuxの開発は、開発時におけるある研究者との徹底的な議論がありました。これはおそらくLinusにその分野における知識と(打ち破るべき)常識を与えたと思われます。これはごく少数の「自分の学習を自分で決定し」た成功例であって、それにしても多くの影響を受けていると思われます。
私が思うのは、こういった学生に好きなように学習をさせるだけではなく、不足している知識などを指摘したり評価できる機会を提供するのが大学の役割なのでは、と思います。
そうかな (スコア:0)
研究に限定されるべきじゃない。
人は死ぬまで自分の学ぶべきものを自分で決定し、それに責任を持つものではないか。
Re:そうかな (スコア:0)