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こういう時にこぞってマスコミやコメンテーターな人は女性の割合が少ないのが問題とか言い出すなぜなのでしょうか…
確かに平等に能力を評価されていないとすれば問題ですけど、平等に評価した上で少ないのなら仕方がないかと思います。評価に下駄を履かせて入社させてもついて来れないでしょうに。
それとも蝶よ花よとしなければならないのか気になります。
能力のある女性はそんなことしなくても上に登っていくでしょうし…
俺はこの、能力を評価されるのがよいことだというところがピンとこない他人から評価されたいとう欲求のこと?
俺は自分の能力は個人的なこと、あるいは慈善に使いたいと思っているので、そこを邪魔されると抵抗するけど「能力を評価」と言われると押しつけがましく感じるし、社会全体がそういう論調になっているのは非常に気持ちが悪いとくに、多様性を重視しているはずの人々がきわめて無頓着だったりするのは悲しいね
能力を生かす場が与えられないってことにイラつくということではないでしょうか。他から見た場合には有効に生かされておらず社会的に損失という観点で見ているのかもしれません。
債権しかできない天才トレーダーみたいに、能力を生かす場が職場しかないのならそうなんでしょうけど…そうなの?
社会的損失というのもよくわかりません社会的に損だから差別はだめなの?個人の尊厳の問題だと思っていましたが
日本でも、生産性生産性って口尖らせて騒いでる(翻訳:生産性という雇用者尺度で賃金下げたい)のに、能力が高いか低いか(を評価すること)がどうでもいいこととは、よほど多様性が高くかつ生産性の高い職場で働いていらっしゃる。
このコメ読んで気がついたんだけど、個人の承認欲求なんてその人個人の話だからそんなに重要ではない。もちろんモチベーションに関わってくるから大事でないわけではないんだけど、個人の立場から離れた視点からすれば「能力のあるものが評価されない」というのは能力を旨く使えてないわけだから、それはつまり社会全体の損失である、というのが重要な視点なんじゃないかな?
でなきゃ個人的な価値観に左右される話になってしまって総意など得られないだろうね。与太話には問題ないけどあれこれ議論してもしょうが無い問題になってしまう。
うーん、じゃあ何らかの原因により、いくらかの差別があったほうが社会が活性化し全体として得だということが分かったとしたら、差別は容認されるの?
されますよ。身分制度だのスポーツの階級や男女別など。
差別と区別がそれぞれこの場合において何に当たるのか全く明らかではないので想像で書きますが
社会の得になろうが損になろうが差別はいけないというのなら(私はこれを支持しますが)、差別を語る時に社会の損得を持ち出すのは全くの見当違いということになります
それとももしかして、社会の得になるものは区別で社会の損になるものは差別だということでしょうか
たとえば、豊かな小国などでは貴族制のほうが共和政よりも社会全体のパフォーマンスが向上するかもしれませんそういう設定の小説もいくつか読んだこともあります
この場合、貴族と平民にあるのは身分差別ではなく身分区別なのでしょうかそれとも、この小国の身分差別はきれいな差別で、べつの国の奴隷制はきたない差別なんでしょうか
私は差別反対の立場から、この小国はただちに貴族制を廃し共和制に移行し、社会のパフォーマンスの低下を甘受すべしと考えますつまり、身分区別は存在しないし、あらゆる差別は「きたない」(むろん日本の天皇制も直ちに廃止するべきです)
ふーん。俺は差別はあって当然だしそれをなくそうとするやつは気持ち悪いと思うね。天皇制も貴族制も奴隷制もありだ。
どうでもいいけど、貴族制と共和制は排他じゃないよ。
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目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
女性の割合 (スコア:0, すばらしい洞察)
こういう時にこぞってマスコミやコメンテーターな人は女性の割合が少ないのが問題とか言い出す
なぜなのでしょうか…
確かに平等に能力を評価されていないとすれば問題ですけど、平等に評価した上で少ないのなら仕方がないかと思います。
評価に下駄を履かせて入社させてもついて来れないでしょうに。
それとも蝶よ花よとしなければならないのか気になります。
能力のある女性はそんなことしなくても上に登っていくでしょうし…
Re:女性の割合 (スコア:0)
俺はこの、能力を評価されるのがよいことだというところがピンとこない
他人から評価されたいとう欲求のこと?
俺は自分の能力は個人的なこと、あるいは慈善に使いたいと思っているので、そこを邪魔されると抵抗するけど
「能力を評価」と言われると押しつけがましく感じるし、社会全体がそういう論調になっているのは非常に気持ちが悪い
とくに、多様性を重視しているはずの人々がきわめて無頓着だったりするのは悲しいね
Re: (スコア:0)
能力を生かす場が与えられないってことにイラつくということではないでしょうか。
他から見た場合には有効に生かされておらず社会的に損失という観点で見ているのかもしれません。
Re: (スコア:0)
債権しかできない天才トレーダーみたいに、能力を生かす場が職場しかないのならそうなんでしょうけど…そうなの?
社会的損失というのもよくわかりません
社会的に損だから差別はだめなの?個人の尊厳の問題だと思っていましたが
Re: (スコア:0)
日本でも、生産性生産性って口尖らせて騒いでる
(翻訳:生産性という雇用者尺度で賃金下げたい)
のに、
能力が高いか低いか(を評価すること)がどうでもいいこととは、
よほど多様性が高くかつ生産性の高い職場で働いていらっしゃる。
Re: (スコア:0)
このコメ読んで気がついたんだけど、個人の承認欲求なんてその人個人の話だからそんなに重要ではない。
もちろんモチベーションに関わってくるから大事でないわけではないんだけど、個人の立場から離れた視点
からすれば「能力のあるものが評価されない」というのは能力を旨く使えてないわけだから、それはつまり
社会全体の損失である、というのが重要な視点なんじゃないかな?
でなきゃ個人的な価値観に左右される話になってしまって総意など得られないだろうね。与太話には問題ないけど
あれこれ議論してもしょうが無い問題になってしまう。
Re: (スコア:0)
うーん、じゃあ
何らかの原因により、いくらかの差別があったほうが社会が活性化し全体として得だということが分かったとしたら、
差別は容認されるの?
Re: (スコア:0)
されますよ。
身分制度だのスポーツの階級や男女別など。
Re: (スコア:0)
区別は容認されるが差別は容認されない。
Re: (スコア:0)
差別と区別がそれぞれこの場合において何に当たるのか全く明らかではないので想像で書きますが
社会の得になろうが損になろうが差別はいけないというのなら(私はこれを支持しますが)、
差別を語る時に社会の損得を持ち出すのは全くの見当違いということになります
それとももしかして、社会の得になるものは区別で社会の損になるものは差別だということでしょうか
Re: (スコア:0)
たとえば、豊かな小国などでは貴族制のほうが共和政よりも社会全体のパフォーマンスが向上するかもしれません
そういう設定の小説もいくつか読んだこともあります
この場合、貴族と平民にあるのは身分差別ではなく身分区別なのでしょうか
それとも、この小国の身分差別はきれいな差別で、べつの国の奴隷制はきたない差別なんでしょうか
私は差別反対の立場から、この小国はただちに貴族制を廃し共和制に移行し、社会のパフォーマンスの低下を甘受すべしと考えます
つまり、身分区別は存在しないし、あらゆる差別は「きたない」
(むろん日本の天皇制も直ちに廃止するべきです)
Re: (スコア:0)
ふーん。
俺は差別はあって当然だしそれをなくそうとするやつは気持ち悪いと思うね。
天皇制も貴族制も奴隷制もありだ。
どうでもいいけど、貴族制と共和制は排他じゃないよ。