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その手の言い回しって「誰がそう思ってるんだよ(考えてるんだよ)!」といつも突っ込みたくなりますわたくし。責任回避表現の王道というか。
自発の受け身ですから、「誰がどう考えてもおのずからそのように考える(はずだ)」と解釈するべきでしょうね。つまり、「私にはそう思えるし、あなたにもそう思えるし、他の人にもそう思える(はずだ)」となる訳で、それは個々人がどのような主観的判断に帰結するかが、確実に一つになると判断できるから使える表現なのです。またそうであるからこそ、「私が」という情報を余計なものとして省くことができるのです。
要するに「…と考えられる(=誰もがそう判断するだろう)」と、「…と私は考える(が、他の人はそうとは限らない)」とは全然意味が違うんですよ。
もちろん、前者の表現において勝手にそう考えているのは「私」なんですが、「…と考えられると私は考える」なんていちいち断る文章なんて普通書きませんし、ましてやそれを「…だ」と断定するとまた別の意味になってしまいますから。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
主観表現 (スコア:2)
ある事象について、
「・・・である」「・・・と思われる」「・・・と考えられる」「・・・としている」
のどれを使うかとか、発言の後に、(笑)を付けるのかどうかも議論になりましたね。
Re: (スコア:0)
その手の言い回しって「誰がそう思ってるんだよ(考えてるんだよ)!」といつも突っ込みたくなりますわたくし。責任回避表現の王道というか。
Re:主観表現 (スコア:0)
自発の受け身ですから、「誰がどう考えてもおのずからそのように考える(はずだ)」と解釈するべきでしょうね。
つまり、「私にはそう思えるし、あなたにもそう思えるし、他の人にもそう思える(はずだ)」となる訳で、
それは個々人がどのような主観的判断に帰結するかが、確実に一つになると判断できるから使える表現なのです。
またそうであるからこそ、「私が」という情報を余計なものとして省くことができるのです。
要するに「…と考えられる(=誰もがそう判断するだろう)」と、「…と私は考える(が、他の人はそうとは限らない)」とは
全然意味が違うんですよ。
もちろん、前者の表現において勝手にそう考えているのは「私」なんですが、「…と考えられると私は考える」なんて
いちいち断る文章なんて普通書きませんし、ましてやそれを「…だ」と断定するとまた別の意味になってしまいますから。