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人が、聴いていいと感じるコード進行やメロディラインなんてそうそう多くはないし、そもそも何かしら共感できる部分(=何かしら自分に似ている部分)があるから人はその曲をいいと思うわけで。その共感できる部分が曲調だったり歌詞だったりするわけだけど、それらをすべて、今までの作品と違うものにするのはまず無理と言っていいのでは?
# そもそも今の音楽がほぼループ前提で成り立っている以上、曲の中・外問わず「同じ」部分をもつ曲というのは当たり前な気が。冗談じゃなく判決次第で音楽の在り方そのものが変わってしまうかも
音楽を聴いて「いいな、すばらしいな、自分も歌ってみたいな」と思うのは、文化的な土台に基づいたある種の根源的な欲求で、だから商業的な音楽は儲かる。つまり、だからこそ、音楽の権利についてはもっと慎重になるべきなんだよね。
個人的に、「きらきら星」は学校の音楽の授業で教えるのを禁止すべきだと思う。だって、訳詞の著作権が切れてないから。商業的に成功して儲かるのはわかるが、義務教育で刷り込んでおいて「成功した」から著作権使用料を要求するのはおかしい。NHKの「みんなのうた」だって、現行の番組はそのまま続けてもらって一向にかまわないが、できたら、著作権のことを完全に気にしなくてもよい、どこで歌っても、替え歌を作っても、誰にも咎められない古典的なマスターピースを公共放送の役割としてもっと放映してもらいたい。NHKの仕事は商業的洗脳じゃないんだから。
で、上のコメの仮定のような「似た部分」があっても、それより先行事例としてリスペクトした作品があれば、当然違法にはならないなんだから、あえて古典作品の派生作品をつくれば何の問題もない。無理に新曲と言い張るより、よっぽど安全だ。
NHKの「みんなのうた」だって、現行の番組はそのまま続けてもらって一向にかまわないが、できたら、著作権のことを完全に気にしなくてもよい、どこで歌っても、替え歌を作っても、誰にも咎められない古典的なマスターピースを公共放送の役割としてもっと放映してもらいたい。
つまり全て平沢進の楽曲にしろ、というのか。とんだ馬の骨だぜ
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
だって音楽って似るものだしなぁ…… (スコア:0)
人が、聴いていいと感じるコード進行やメロディラインなんてそうそう多くはないし、そもそも何かしら共感できる部分(=何かしら自分に似ている部分)があるから人はその曲をいいと思うわけで。その共感できる部分が曲調だったり歌詞だったりするわけだけど、それらをすべて、今までの作品と違うものにするのはまず無理と言っていいのでは?
# そもそも今の音楽がほぼループ前提で成り立っている以上、曲の中・外問わず「同じ」部分をもつ曲というのは当たり前な気が。冗談じゃなく判決次第で音楽の在り方そのものが変わってしまうかも
Re: (スコア:0)
音楽を聴いて「いいな、すばらしいな、自分も歌ってみたいな」と思うのは、文化的な土台に基づいたある種の根源的な欲求で、だから商業的な音楽は儲かる。つまり、だからこそ、音楽の権利についてはもっと慎重になるべきなんだよね。
個人的に、「きらきら星」は学校の音楽の授業で教えるのを禁止すべきだと思う。だって、訳詞の著作権が切れてないから。商業的に成功して儲かるのはわかるが、義務教育で刷り込んでおいて「成功した」から著作権使用料を要求するのはおかしい。NHKの「みんなのうた」だって、現行の番組はそのまま続けてもらって一向にかまわないが、できたら、著作権のことを完全に気にしなくてもよい、どこで歌っても、替え歌を作っても、誰にも咎められない古典的なマスターピースを公共放送の役割としてもっと放映してもらいたい。NHKの仕事は商業的洗脳じゃないんだから。
で、上のコメの仮定のような「似た部分」があっても、それより先行事例としてリスペクトした作品があれば、当然違法にはならないなんだから、あえて古典作品の派生作品をつくれば何の問題もない。無理に新曲と言い張るより、よっぽど安全だ。
Re:だって音楽って似るものだしなぁ…… (スコア:0)
つまり全て平沢進の楽曲にしろ、というのか。とんだ馬の骨だぜ