<このサイトからの引用>
# Lisa = Star[ソフト](デスクトップメタファー、アイコン、タイトルバー、スクロールバー)+Smalltalk(オーバーラップウインドウ、メニューセレクション、マウスオペレーション)+α(メニューバーとプルダウンメニュー、ゴミ箱?)。ただしあくまで見た目の問題で、実装方法(内部構造)は、St
御意。真似というにはお粗末すぎます(笑)。もっとお粗末なのは Smalltalk 環境(つまり暫定 Dynabook 環境)のなんたるかも知らずに、15年ほど前に Mac 賛美を Apple のプロパガンダに乗せられてさかんに書き立てた Mac 系ライターですね(笑)。あ、俺もか(^_^;)。実際、著名な Mac 系ライターに Dynabook は何か?と尋ねても、Smalltalk 環境と絡めて具体的なところを即答できる人は皆無に近いと思います。それは、Mac 業界において Squeak 環境の取り上げられかたが薄いのと同じ理由です。
Apple がオリジナルと称するものの多くは、そもそもそれが作られた背景(あるいは作らざるを得なかった事情)なくして成立っていたか否かについて疑わしいものが多々あります。Finder のデスクトップメタファ(ゴミ箱)にしても、ファイルやボリュームのアイコン表示、ウインドウに組み込まれた各種機能(タイトルバーによるドラッグ、クローズボックス、サイズボックスなど、スクロールバーを除くすべて)、メニューバー、プルダウンメニューなどにしても、すでに“悪しき”ファイルシステムから隔離された世界を作り上げていた Smalltalk 環境からの後退(つまりファイルシステムの要素を GUI とマッチさせるための方便)、3ボタンの役割りを1ボタンに集約するための苦肉の策(つまり中ボタン=今の右ボタン、右ボタン=ウインドウ操作専用の廃止を埋めるためのアイデア)ととることも可能です。
Mac にもすばらしい部分が多々あります。しかし、暫定 Dynabook 環境を知らずにそれを語ろうとすることはMac を知らずに Windows 賛美をするのと同等かそれ以上に非常に危険な行為であることを Mac ファン、Apple ファンは認識すべきだと Squeak をいじりはじめて思うようになりました。
余談ですが、Mac ユーザーは Windows をよく真似だといいますが、ゲイツも実は Smalltalk 環境大好き人間で(笑)、よく研究しているのですよ。右ボタンメニューは、Mac の頭越しに Smalltalk 環境(ここでは中ボタン)から採用した有益な機能のひとつでしょう。また同時に Microsoft は“Mac らしさ”についても、Apple を越える理解を示すことがあって驚かされることがありました。タイトルバーのダブルクリックによるウインドウのズームは、初期の Microsoft の Mac 向け製品に備えられた機能です。「なぜ Apple はこの機能を最初から入れなかったのか?」と当時、とても不思議に思った記憶がいまも鮮明に残っています。いずれの機能も、後に、Apple は呼称や形をかえて Mac OS に取り込んでいます。
Smalltalk 環境が単なるプログラミング環境とかたづけられてしまう傾向は、XEROX の都合で汎用環境としての Dynabook 色を払拭し、いち開発環境としてのデビューを余儀なくされたその歴史を知らずとも、現在のコンピュータ環境の高機能さからすればはるかに見劣りする現状を鑑みて、仕方のないことかもしれません。実際、ぱっと見での Squeak 環境に備えられたツール群の少なさは、初代 Mac の頃の閑散とした状況を彷彿とさせます。
しかし今後、良質なオブジェクト(クラス)、つまり Mac でいうところのアプリが提供され充実するようになれば、我々エンドユーザーがクラス設計などに頭を悩ます必要もなくなるでしょう。文字通り HyperCard のボタンやフィールド感覚で、データやアプリ、そしてシステムそれ自身すらもハンドリングできるようになるはずです。善し悪しは別にして、ワードやエクセル、フォトショやイラレのようなツールも、マシンパワーのさらなる向上を見るようになれば、登場するかもしれません。
そしてもうひとつ非常に重要なことは、複雑なことも知りたいと思ったときに知ることができて、クラス設計(新しいオブジェクトの創造)やプログラミングも必要だと感じたときに簡単にできる、ということだと思います。暗にご指摘のとおり、それをしなければまともに使えない環境では困りますが、欲したときにできるようにしておくことはとても大切です。逆に Mac で課せられたこうしたことができないという制約は、ジョブズ的世界の善意の住人でいる限り、なかなか気付きにくいことだと思います。
しかし結局、HyperCard が廃れてしまった理由や、Apple が未だにユーザースクリプティング環境構築や恒久的なデベロッパ不足に四苦八苦している元凶はそうした“扉”を閉ざしてしまいがちな Apple の従来の姿勢にあるように思えてなりません。Smalltalk から改めて多くを学びその要素を取り入れた OS X では、同じ過ちを繰り返さないで欲しいと思います。
忘れないで・・・ (スコア:1)
#WinはMacの真似だ!と言われたら、MacはAltoの真似だと言い返すのでID
AMIGA4000T(60/50)使い
Re:忘れないで・・・ (スコア:1)
WindowsはMacを模倣しました。
"Bad artists copy. Good artists steal."
Pablo Picasso
[udon]
Re:忘れないで・・・ (スコア:1, 参考になる)
http://sumim.no-ip.com:8080/collab/19
<このサイトからの引用>
# Lisa = Star[ソフト](デスクトップメタファー、アイコン、タイトルバー、スクロールバー)+Smalltalk(オーバーラップウインドウ、メニューセレクション、マウスオペレーション)+α(メニューバーとプルダウンメニュー、ゴミ箱?)。ただしあくまで見た目の問題で、実装方法(内部構造)は、St
Re:忘れないで・・・ (スコア:2, 参考になる)
御意。真似というにはお粗末すぎます(笑)。もっとお粗末なのは Smalltalk 環境(つまり暫定 Dynabook 環境)のなんたるかも知らずに、15年ほど前に Mac 賛美を Apple のプロパガンダに乗せられてさかんに書き立てた Mac 系ライターですね(笑)。あ、俺もか(^_^;)。実際、著名な Mac 系ライターに Dynabook は何か?と尋ねても、Smalltalk 環境と絡めて具体的なところを即答できる人は皆無に近いと思います。それは、Mac 業界において Squeak 環境の取り上げられかたが薄いのと同じ理由です。
Apple がオリジナルと称するものの多くは、そもそもそれが作られた背景(あるいは作らざるを得なかった事情)なくして成立っていたか否かについて疑わしいものが多々あります。Finder のデスクトップメタファ(ゴミ箱)にしても、ファイルやボリュームのアイコン表示、ウインドウに組み込まれた各種機能(タイトルバーによるドラッグ、クローズボックス、サイズボックスなど、スクロールバーを除くすべて)、メニューバー、プルダウンメニューなどにしても、すでに“悪しき”ファイルシステムから隔離された世界を作り上げていた Smalltalk 環境からの後退(つまりファイルシステムの要素を GUI とマッチさせるための方便)、3ボタンの役割りを1ボタンに集約するための苦肉の策(つまり中ボタン=今の右ボタン、右ボタン=ウインドウ操作専用の廃止を埋めるためのアイデア)ととることも可能です。
Mac にもすばらしい部分が多々あります。しかし、暫定 Dynabook 環境を知らずにそれを語ろうとすることはMac を知らずに Windows 賛美をするのと同等かそれ以上に非常に危険な行為であることを Mac ファン、Apple ファンは認識すべきだと Squeak をいじりはじめて思うようになりました。
余談ですが、Mac ユーザーは Windows をよく真似だといいますが、ゲイツも実は Smalltalk 環境大好き人間で(笑)、よく研究しているのですよ。右ボタンメニューは、Mac の頭越しに Smalltalk 環境(ここでは中ボタン)から採用した有益な機能のひとつでしょう。また同時に Microsoft は“Mac らしさ”についても、Apple を越える理解を示すことがあって驚かされることがありました。タイトルバーのダブルクリックによるウインドウのズームは、初期の Microsoft の Mac 向け製品に備えられた機能です。「なぜ Apple はこの機能を最初から入れなかったのか?」と当時、とても不思議に思った記憶がいまも鮮明に残っています。いずれの機能も、後に、Apple は呼称や形をかえて Mac OS に取り込んでいます。
Re:忘れないで・・・ (スコア:1)
とっつきやすくて、プログラムに可能なことをさせるのに要する学習を最小限に抑えられるという点で、Macは最初の完成形だと思います。MacやLisaがSmallTalk、あるいはそれの持つポテンシャルと同等のものをインプリメントせず、違った方向で洗練させた事は事実ですが、それがMacなのだという気がします。
そういうことを考えてみると、HyperCardはSmallTalkの向いていた方向に近いものを感じます。その上で、Mac的なとっつきやすさをベースにして、複雑な部分を見せない、いいバランスだったなあ。クラスを設計すると言う難しさを省いたオブジェクト指向っていうか、簡易的なものですが、ポテンシャルは高かった。いかんせん時代に取り残されてしまいましたが。
Re:忘れないで・・・ (スコア:1)
さて、オブジェクト指向だの、Smalltalk だのいうとついついクラス設計がどうの、プログラミングがどうの…と難しいことになりがちですが、それらは重要ではあるものの(我々がプロのプログラマというのでなければ)本質ではありません。大切なのはオブジェクトたちに(と)どうやってコミュニケーションをさせるか(するか)、その結果、自分たちのしたいことをいかにスマートかつスムーズに彼らに具現化してもらうか、という姿勢を我々が持てるか、それをサポートするインフラが整備されているか、ということだと思います。
また、難しいことを隠すのはオブジェクト指向の基本で、Smalltalk の十八番と言えるでしょう。とかく世の中は(とくにメディアや専門家は(^_^;)) Smalltalk 環境を近寄りがたい崇高で仰々しいものとして捉えたがる傾向にあるようですが、本来は子供でも使える(これはこれで誤解を産みがちなのですが「子供でも使える」ことと「子供向き」とは同義ではありません)人に優しい、身近な環境なのです。
したがって Smalltalk 環境も Mac も、前者では内部構造が、後者では UI デザインが洗練され統一されていることを除けば(これらはそれぞれのユーザーにとっては宗教じみるほど欠くことのできない要素であることをあえて無視すれば(^_^;))、両者になんら使用目的に変わるところはありません。マシンパワーの制約から Smalltalk の(開発環境ではなく)暫定 Dynabook 環境としてのメジャーデビューが、Mac から 15 年ほど遅れをとったことで、ユーザーのニーズやコンピュータにできることが多様化したこと、Squeak における子供向けプログラミング機構「SqueakToys」の過剰なフィーチャーのおかげで、分かりづらくはなっていますが…。
Smalltalk 環境が単なるプログラミング環境とかたづけられてしまう傾向は、XEROX の都合で汎用環境としての Dynabook 色を払拭し、いち開発環境としてのデビューを余儀なくされたその歴史を知らずとも、現在のコンピュータ環境の高機能さからすればはるかに見劣りする現状を鑑みて、仕方のないことかもしれません。実際、ぱっと見での Squeak 環境に備えられたツール群の少なさは、初代 Mac の頃の閑散とした状況を彷彿とさせます。
しかし今後、良質なオブジェクト(クラス)、つまり Mac でいうところのアプリが提供され充実するようになれば、我々エンドユーザーがクラス設計などに頭を悩ます必要もなくなるでしょう。文字通り HyperCard のボタンやフィールド感覚で、データやアプリ、そしてシステムそれ自身すらもハンドリングできるようになるはずです。善し悪しは別にして、ワードやエクセル、フォトショやイラレのようなツールも、マシンパワーのさらなる向上を見るようになれば、登場するかもしれません。
そしてもうひとつ非常に重要なことは、複雑なことも知りたいと思ったときに知ることができて、クラス設計(新しいオブジェクトの創造)やプログラミングも必要だと感じたときに簡単にできる、ということだと思います。暗にご指摘のとおり、それをしなければまともに使えない環境では困りますが、欲したときにできるようにしておくことはとても大切です。逆に Mac で課せられたこうしたことができないという制約は、ジョブズ的世界の善意の住人でいる限り、なかなか気付きにくいことだと思います。
しかし結局、HyperCard が廃れてしまった理由や、Apple が未だにユーザースクリプティング環境構築や恒久的なデベロッパ不足に四苦八苦している元凶はそうした“扉”を閉ざしてしまいがちな Apple の従来の姿勢にあるように思えてなりません。Smalltalk から改めて多くを学びその要素を取り入れた OS X では、同じ過ちを繰り返さないで欲しいと思います。