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特定の思想・宗教へのアンチテーゼは宗教でない、とするなら、たとえばキリスト教だって、ユダヤ教へのある種のアンチテーゼとして成立した部分はあるし(パロディってことはないと思うが、ユダヤ教への風刺的な側面は成立時にあった可能性は検討に値する筈だ)科学的云々に関して言うなら、そもそも当時と現代の科学技術のレベルが違いすぎて比較にならん
となるとキリスト教は宗教なのか?と異議を差し挟むことも可能になってしまうんだよなぁ
何をもって宗教とするのか明文化されているなら兎も角、そうでないのに裁判所が宗教なのかそうでないのかを判断するのは不味いのではないだろうか少なくとも宗教じゃないと主張しているものを宗教扱いするのは兎も角、逆は「FSMを宗教として信仰する」自由を奪いにかかってるわけだよな
まあ「信仰の自由」みたいな概念も日本とアメリカでは違うだろうから日本人の感覚で云々すべきことではないだろうが、どうにも違和感を覚える
なぜってスパゲティ教徒は何も信じていないから。信じていないものを他社を嘲笑するために宗教儀式と称して行っているに過ぎない。アンチリリジョン教に改名して教義をあらゆる宗教の打倒に変更。信者は他宗教の信者と接触した場合彼らを攻撃しなければならない。位にすれば宗教として認められる。
>信じていないものを他社を嘲笑するために宗教儀式と称して行っているに過ぎない
他者の信じるものに対する矮小化こそあらゆる宗教の信者が異教徒に対して行ってきたことだよねFSM教徒が他者を嘲笑するために活動してるなんて悪意に満ちた偏見じゃない?インテリジェントデザイン公教育にねじ込もうとしている政治家が欧米にいくらもいるけれども、ある宗教の教義を正当化するための理論を政治の力で子どもに押し付けるって、いってみれば洗脳教育なわけで大きな物語が失われた現代で洗脳まがいの強引な手段を用いてまで既存宗教に都合の良い思想教育をしようとす
逆に、「FSM教が素晴らしい教えだと認めるから、ぜひID論教育の普及に協力してくれ」と言われたら、FSM信仰の為にID論教育を認めるの?本当にそれでいいの…?FSM教作戦が通用するのは、相手が「偶像崇拝を認めない排他的キリスト教徒」の場合で、相手が仮に「キリスト教だろうと他の宗教だろうと、信教の正しさ・価値は変わらないし、あなたがFSM教を信仰したいならそれで正しい。むしろ科学の方こそ、何で『正しい教え』を1つに限定しようとするの?」などと考えている人だと通用しない。むしろ、ID論にリベラル的な善い教義・価値観を与える宗教を、信教の自由の権利で「現実化」してしまうことにより、将来逆にID論に普及の足掛かりを与えてしまう危険性も孕んでいるのではないかと思う…。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
フレームの元かもしれんけど (スコア:0)
特定の思想・宗教へのアンチテーゼは宗教でない、とするなら、たとえばキリスト教だって、ユダヤ教へのある種のアンチテーゼとして成立した部分はあるし(パロディってことはないと思うが、ユダヤ教への風刺的な側面は成立時にあった可能性は検討に値する筈だ)
科学的云々に関して言うなら、そもそも当時と現代の科学技術のレベルが違いすぎて比較にならん
となるとキリスト教は宗教なのか?と異議を差し挟むことも可能になってしまうんだよなぁ
何をもって宗教とするのか明文化されているなら兎も角、そうでないのに裁判所が宗教なのかそうでないのかを判断するのは不味いのではないだろうか
少なくとも宗教じゃないと主張しているものを宗教扱いするのは兎も角、逆は「FSMを宗教として信仰する」自由を奪いにかかってるわけだよな
まあ「信仰の自由」みたいな概念も日本とアメリカでは違うだろうから日本人の感覚で云々すべきことではないだろうが、どうにも違和感を覚える
Re: (スコア:0)
なぜってスパゲティ教徒は何も信じていないから。信じていないものを他社を嘲笑するために宗教儀式と称して行っているに過ぎない。
アンチリリジョン教に改名して教義をあらゆる宗教の打倒に変更。信者は他宗教の信者と接触した場合彼らを攻撃しなければならない。
位にすれば宗教として認められる。
Re: (スコア:2, 興味深い)
>信じていないものを他社を嘲笑するために宗教儀式と称して行っているに過ぎない
他者の信じるものに対する矮小化こそあらゆる宗教の信者が異教徒に対して行ってきたことだよね
FSM教徒が他者を嘲笑するために活動してるなんて悪意に満ちた偏見じゃない?
インテリジェントデザイン公教育にねじ込もうとしている政治家が欧米にいくらもいるけれども、ある宗教の教義を正当化するための理論を政治の力で子どもに押し付けるって、いってみれば洗脳教育なわけで
大きな物語が失われた現代で洗脳まがいの強引な手段を用いてまで既存宗教に都合の良い思想教育をしようとす
F・ベーコン「偶像(イデア)殺すべき慈悲は無い」 (スコア:0)
逆に、「FSM教が素晴らしい教えだと認めるから、ぜひID論教育の普及に協力してくれ」と言われたら、FSM信仰の為にID論教育を認めるの?本当にそれでいいの…?
FSM教作戦が通用するのは、相手が「偶像崇拝を認めない排他的キリスト教徒」の場合で、相手が仮に「キリスト教だろうと他の宗教だろうと、信教の正しさ・価値は変わらないし、あなたがFSM教を信仰したいならそれで正しい。むしろ科学の方こそ、何で『正しい教え』を1つに限定しようとするの?」などと考えている人だと通用しない。むしろ、ID論にリベラル的な善い教義・価値観を与える宗教を、信教の自由の権利で「現実化」してしまうことにより、将来逆にID論に普及の足掛かりを与えてしまう危険性も孕んでいるのではないかと思う…。