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「x日、○○海岸にクジラの死骸が漂着しました」 ←○○海岸へ行けば誰でも確認できる=掲載OK「x日、クジラの死骸が焼却処分されました」 ←検証できない。↑も確認できなくなった=両方掲載NG
「検証可能な事実」といえば聞こえはいいけど、「現在」検証できる事実以外のものを信用しないと成り立たない。指摘のし易いメディアというだけになりそう。
嘘を書くよりはってことですね。例えば、橋下元大阪市長は生徒への体罰容認発言をして、桑田と話してから否定論者に変わったわけですよ。だから、「橋下徹は体罰を容認している」っていうのは間違ってるけど検証可能ではあるわけ。正しくは「橋下徹は○○の時点で体罰を容認する発言をした」ってことだけど。
政治家や有名人は影響力が大きいので、最後に改心して死んだら善人になる、とはいかないのが難しいところではあると思いますけどね。体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
> 体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
そもそも誰かが「~発言をした」ってのは評価の対象外なんだけどね。政治家の評価は常に実績で行うべきで、クチで何を言ったかなんてのは本当は意味のないこと。
ある行政の長が体罰容認の「発言をしたこと」と実際に行政として「体罰を容認し助長させたか、あるいは取り締まり抑えたか」っていう事実は、結局は別物なわけだよ。
何の実績もない新人の政治家候補を選挙で選ばなくちゃいけないときなんかは思想を計るために発言履歴も判断材料とせざるをえないけれどその場合は過去の発言の断片的な積み重ねより、最新の本人の思想や発言こそが重要だから時間積分ってのはあんまり意味がないと思うよ。
つまり、誰かの「実績」という「やった行為」について評価したいときは「検証可能な事実」が重要になってくるので、この Tribune とかいうやつもそこで意味を持つんだよ。
そもそも誰それはなになにだ!というのが客観性に欠けるんだよ!お前あいつの何知ってるんだ!ってなるだろ?マルクスが自分はマルクス主義者じゃない!と言ったのは有名な話だから個々の発言、確認の取れるものだけを解釈抜きに並べれば客観的事実先のマルクスの例だと、文献学的に裏が取れるでもだからといってマルクスがマルクス主義者だったかどうかわからないましてや「実はマルクスはウヨだった!」と言うのは論外!ザスーリチへの手紙のようにそれまでのマルクス解釈をひっくり返すような発見もあるけど事実に誠実に余計な解釈は避けるべき
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
検証可能な事実ねぇ (スコア:0)
「x日、○○海岸にクジラの死骸が漂着しました」 ←○○海岸へ行けば誰でも確認できる=掲載OK
「x日、クジラの死骸が焼却処分されました」 ←検証できない。↑も確認できなくなった=両方掲載NG
「検証可能な事実」といえば聞こえはいいけど、「現在」検証できる事実以外のものを信用しないと成り立たない。指摘のし易いメディアというだけになりそう。
Re:検証可能な事実ねぇ (スコア:0)
嘘を書くよりはってことですね。例えば、橋下元大阪市長は生徒への体罰容認発言をして、桑田と話してから否定論者に変わったわけですよ。だから、「橋下徹は体罰を容認している」っていうのは間違ってるけど検証可能ではあるわけ。正しくは「橋下徹は○○の時点で体罰を容認する発言をした」ってことだけど。
政治家や有名人は影響力が大きいので、最後に改心して死んだら善人になる、とはいかないのが難しいところではあると思いますけどね。体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
Re: (スコア:0)
> 体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
そもそも誰かが「~発言をした」ってのは評価の対象外なんだけどね。
政治家の評価は常に実績で行うべきで、クチで何を言ったかなんてのは本当は意味のないこと。
ある行政の長が体罰容認の「発言をしたこと」と
実際に行政として「体罰を容認し助長させたか、あるいは取り締まり抑えたか」って
いう事実は、結局は別物なわけだよ。
何の実績もない新人の政治家候補を選挙で選ばなくちゃいけないときなんかは
思想を計るために発言履歴も判断材料とせざるをえないけれど
その場合は過去の発言の断片的な積み重ねより、最新の本人の思想や発言こそが重要だから
時間積分ってのはあんまり意味がないと思うよ。
つまり、誰かの「実績」という「やった行為」について評価したいときは
「検証可能な事実」が重要になってくるので、この Tribune とかいうやつもそこで意味を持つんだよ。
Re: (スコア:0)
そもそも
誰それはなになにだ!
というのが客観性に欠けるんだよ!
お前あいつの何知ってるんだ!ってなるだろ?
マルクスが自分はマルクス主義者じゃない!と言ったのは有名な話
だから
個々の発言、確認の取れるものだけを解釈抜きに並べれば客観的事実
先のマルクスの例だと、文献学的に裏が取れる
でもだからといってマルクスがマルクス主義者だったかどうかわからない
ましてや「実はマルクスはウヨだった!」と言うのは論外!
ザスーリチへの手紙のようにそれまでのマルクス解釈をひっくり返すような発見もあるけど
事実に誠実に余計な解釈は避けるべき