アカウント名:
パスワード:
Stroustrup氏というと、インタビュー形式のジョーク文書を思い出す。http://hp.vector.co.jp/authors/VA000092/jokes/strup.html [vector.co.jp]
あの文書から20年経ってもC++がなくなる形跡がまったくないというのは喜んでいいのやら、恐怖した方がいいのやら。
……と書いてからよく考えてみたら、20年前はよく使われていたけど今は衰退した言語ってperlとVisual Basicくらいしかない気がする。
# 最初の職場ではまさにperlとVB6のコーディングでお給料を貰っていたのでAC。
「形跡」とは過ぎ去ってしまったものが残した跡を表す言葉ですよ。あなたの文の意図する所を考えると、適切ではない使い方でしょう。シンプルに「様子」でいいんでは?
「なくなる○○がない」という言い回しなら、一番妥当なのは「気配」ではないかと。あとは「兆し」とか。(要するに、「結果を暗示するような兆候」に類する言葉)あまり「様子」は適切ではないと思います。
「気配」というのは直接観察できないものの様を感じ取るときに使われる言葉で、それが普通というならちょっと感覚がおかしいとしかwC++が使われている様は隠されていて見えないようなものではないのだから、「様子」でいいんだよ。
だからそれがコロケーションなのです服をときたら着る、ないときたら気配
「ないときたら気配」そんなコロケーションはねぇwww国語不得意だったでしょw
気配が感じられてゐたが, 気配が感じられていたが, 気配がした, 気配がしたので, 気配がして, 気配がするので, 気配がする, 気配がうかがわれたからであった, 気配が見えました, 気配がありません, 気配がいつもあった, 気配が私には感じられる, 気配がしない, 気配が中廊下へ出てきた, 気配が移った, 気配が身にせまっている, 気配がしだした, 気配が通じてゐて, 気配が見えませんでした, 気配が私にも感じられて, 気配が聞えた, 気配がしたの, 気配がしはじめたが, 気配があ
ああ、基地外の方ですか?w
ちょっとググってみなさいな。「様子がない」「気配がない」はどちらとも普通に使われる言い回しで、ケースによって使い分けるもの。容易に様子が観察できるものに対しては「様子がない」が普通は使われ、観察が難しいものに対しては「気配がない」が使われる。
中には文章をあまり読まなくてそこら辺の感覚が身についてない(君のような)人もいて、そういう人は使分けできずに、全部「気配がない」でいいと思い込んでいたりするようだけどwあるいは「形跡がない」など、もっと遠い世界へ行ってしまう人もいる。
お前は本当にバカだなつっこまれている点をまるで理解していない
さんざん怒られたのに彼は堪えた様子もない、は気配にはできないが、気配> 1 はっきりとは見えないが、漠然と感じられるようす。「秋の気配」「好転の気配がみえる」→けわい様子> 4 物事の起きそうなけはい。兆候。「帰る―もない」だからどっちでもいい場合もあるしどっちもよく使うのだ(#3430250)がどう考えているかなんてわからんのに勝手に片方だと決めつけてはいけないもっとも形跡は明らかにおかしい
いやいや、話を逸らすなよwww バカはあんただろうw
「『ないときたら気配』というコロケーションがあるんだ」、という主張に「おまえはあほか」と突っ込んでいるんだよw
だが彼が言いたかったのはC++がなくなる形跡がまったくなかったということなのかもしれないのだこの場合は形跡が正しい
なくなりそうになった形跡、だすまない
> この場合は形跡が正しい
いや、全然w
いいか、「形跡」ってのは何かが去ってしまった後に残った「跡」なんだよ。「なくなる形跡」ってなんだよwまだなくなってないものなら跡も何も、そのものがまだそこにあるじゃないか。
みんな勝手に(#3430250)の意図を推測しているから、単に「ない」と「気配」「様子」がコロケートする、と書いたのだが、こう書いても意味がわかりませんか?
わたしの理解ではコロケーションとは、言葉がよく一緒に出てくることです(間違っていたら教えてください)「気配」なら「ある」とコロケートしますが、同じような意味の「存在する」とは(あまり)コロケートしない「様子」と「ある」はコロケートするけど、「様子」と「存在する」はコロケートしない(不思議なことに観察が難しい「気配が存在する」よりも観察が容易な「様子が存在する」のほうが違和感があります)だから> 「『ないときたら気配』というコロケーションがあるんだ」、という主張にこれの意味がさっぱりわからないのです
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
Bjarne Stroustrup インタビュー (スコア:3, 参考になる)
Stroustrup氏というと、インタビュー形式のジョーク文書を思い出す。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA000092/jokes/strup.html [vector.co.jp]
Re: (スコア:0)
あの文書から20年経ってもC++がなくなる形跡がまったくないというのは喜んでいいのやら、恐怖した方がいいのやら。
……と書いてからよく考えてみたら、20年前はよく使われていたけど今は衰退した言語ってperlとVisual Basicくらいしかない気がする。
# 最初の職場ではまさにperlとVB6のコーディングでお給料を貰っていたのでAC。
Re: (スコア:0)
「形跡」とは過ぎ去ってしまったものが残した跡を表す言葉ですよ。
あなたの文の意図する所を考えると、適切ではない使い方でしょう。
シンプルに「様子」でいいんでは?
Re: (スコア:0)
「なくなる○○がない」という言い回しなら、一番妥当なのは「気配」ではないかと。あとは「兆し」とか。
(要するに、「結果を暗示するような兆候」に類する言葉)
あまり「様子」は適切ではないと思います。
Re: (スコア:0)
「気配」というのは直接観察できないものの様を感じ取るときに使われる言葉で、
それが普通というならちょっと感覚がおかしいとしかw
C++が使われている様は隠されていて見えないようなものではないのだから、「様子」でいいんだよ。
Re: (スコア:0)
だからそれがコロケーションなのです
服をときたら着る、ないときたら気配
Re: (スコア:0)
「ないときたら気配」
そんなコロケーションはねぇwww
国語不得意だったでしょw
Re: (スコア:-1)
気配が感じられてゐたが, 気配が感じられていたが, 気配がした, 気配がしたので, 気配がして, 気配がするので, 気配がする, 気配がうかがわれたからであった, 気配が見えました, 気配がありません, 気配がいつもあった, 気配が私には感じられる, 気配がしない, 気配が中廊下へ出てきた, 気配が移った, 気配が身にせまっている, 気配がしだした, 気配が通じてゐて, 気配が見えませんでした, 気配が私にも感じられて, 気配が聞えた, 気配がしたの, 気配がしはじめたが, 気配があ
Re: (スコア:0)
ああ、基地外の方ですか?w
ちょっとググってみなさいな。「様子がない」「気配がない」はどちらとも普通に使われる言い回しで、
ケースによって使い分けるもの。容易に様子が観察できるものに対しては「様子がない」が普通は使われ、
観察が難しいものに対しては「気配がない」が使われる。
中には文章をあまり読まなくてそこら辺の感覚が身についてない(君のような)人もいて、
そういう人は使分けできずに、全部「気配がない」でいいと思い込んでいたりするようだけどw
あるいは「形跡がない」など、もっと遠い世界へ行ってしまう人もいる。
Re:Bjarne Stroustrup インタビュー (スコア:0)
お前は本当にバカだな
つっこまれている点をまるで理解していない
さんざん怒られたのに彼は堪えた様子もない、は気配にはできないが、
気配
> 1 はっきりとは見えないが、漠然と感じられるようす。「秋の気配」「好転の気配がみえる」→けわい
様子
> 4 物事の起きそうなけはい。兆候。「帰る―もない」
だからどっちでもいい場合もあるしどっちもよく使うのだ
(#3430250)がどう考えているかなんてわからんのに勝手に片方だと決めつけてはいけない
もっとも形跡は明らかにおかしい
Re: (スコア:0)
いやいや、話を逸らすなよwww バカはあんただろうw
「『ないときたら気配』というコロケーションがあるんだ」、という主張に
「おまえはあほか」と突っ込んでいるんだよw
Re: (スコア:0)
だが彼が言いたかったのは
C++がなくなる形跡がまったくなかった
ということなのかもしれないのだ
この場合は形跡が正しい
Re: (スコア:0)
なくなりそうになった形跡、だ
すまない
Re: (スコア:0)
> この場合は形跡が正しい
いや、全然w
いいか、「形跡」ってのは何かが去ってしまった後に残った「跡」なんだよ。
「なくなる形跡」ってなんだよw
まだなくなってないものなら跡も何も、そのものがまだそこにあるじゃないか。
Re: (スコア:0)
みんな勝手に(#3430250)の意図を推測しているから、単に「ない」と「気配」「様子」がコロケートする、と書いたのだが、こう書いても意味がわかりませんか?
Re: (スコア:0)
わたしの理解ではコロケーションとは、言葉がよく一緒に出てくることです(間違っていたら教えてください)
「気配」なら「ある」とコロケートしますが、同じような意味の「存在する」とは(あまり)コロケートしない
「様子」と「ある」はコロケートするけど、「様子」と「存在する」はコロケートしない
(不思議なことに観察が難しい「気配が存在する」よりも観察が容易な「様子が存在する」のほうが違和感があります)
だから
> 「『ないときたら気配』というコロケーションがあるんだ」、という主張に
これの意味がさっぱりわからないのです