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首相の参拝は毎度毎度のことではありませんでした。だからあれだけ問題になったわけで。
「靖国」だとそのまますぎるし、「心情論」とかかな。いまホットな話題なら「常識」とか。なんでこ
「公人として」→政教分離に反する。 国民の代表として参拝するってことでしょう。 たとえ日本人の大部分が宗教として靖国教を信じていたとしても、 参拝してはいけない。 こんなこと言うと、「参拝しないことを強制するのか」 とかいうかもしれないけど、 公人は宗教活動をしてはいけないのはあたりまえのことだし、 宗教という、多数決にはなじまない (多数決で「全体の宗教」 を決める必要なんて全然ないし、多数な宗教が少数な宗教より 正しいわけではなくみんな対等) ことについては、 公人は「すべての宗教の行為 (参拝など) をする」という形で 公平を保つのは無理だから、「どの宗教の行為もしない」 という形でしか公平を保つことはできない。 各有権者がそれぞれ「首相にはこれこれの宗教の行為をしてほしい」 と思っていたとしても、首相はそのぜんぶを聞き入れることは できないでしょう。そうだとしたら、そのなかのひとつだけを 特別扱いして聞き入れることをしちゃいけない、ってこと。
だから、前者については「意見の相違」だけど、 後者については、憲法違反。 だから、「私人」「公人」の区別が重要なんです。 「この区別には意味がない」と考える小泉首相もどうかしてる。 ほんとにわかってないんだろうか。それとも、 なにか効果をねらってるんだろうか。
ちなみに、上記の説明は、「私人」「公人」の区別の説明であって、 ぼくがなぜ靖国参拝に反対するかという説明ではない。 そっちは、何度も書くのは面倒だから、日記を参照してください。 たとえばこれ。
世の中には自分と違う意見の人もいるということは、知っておいて損はないですよ。もし「目からウロコ」が単なる言葉のアヤではなくて本心なら、ちょっと想像力が不足しているのではないかと思います。
母親の葬式ですか。よもやだれも、母親の葬式に公人として参加しようなどとは思わないし、たとえそうだとしてもそれが政治的な意図に結びつく危険がないからではないですか。一方、靖国は、公人として参拝したいと考えている人が現にいる/いたし、参拝することの政治的な意味あいが全然ちがうでしょ。もし、小泉首相の母親の葬式に公人として参列し、そのことを政治的に利用しようという人や勢力が現れたら、それも問題になるのでしょうが。本当にそれが問題になるケースは、ちょっと想像できません。
創価学会については、グレーだし、問題になってもいいとは思いますが、現状のところ、かれらが政治力を使ってなにかいけないこと (たとえば、国民に特定の宗教を信じるように仕向けるとか) をしたという話を聞かないので、とりたててさわぐほどのことではないと思います。公明党との関係をどう処理しているのか、興味はありますね。ただ、公明党と創価学会は別組織なのに対し、ヨーロッパなどの宗教政党のほうがもろ政教分離違反な感じがします。でもまあ、監視は必要でしょうね。もし、なにかあれば、ただちに問題にすべきでしょう。ただ、世の中には、いろんな問題があります。そのなかで、最も重要な問題のみが扱うに値する、なんてことはありません。ですので、ある問題を議論しているとき、他の問題のほうが重要だ、と主張することによって、もとの問題の重要性を否定しようとするのは間違った方法です。
リンク切れは失礼しました。Gony さんは興味ないかもしれませんが、もし興味がある人がいるといけないので、もう一度リンクを掲載しておきます。ここです。
国民全員靖国参拝を強制され
首相の公式参拝は、まさしくこれだと思いますが。だって、首相が公式に、ということは、国民を代表して、ってことでしょ。国民全員が、首相を代理人として靖国に参拝したのと同じことじゃないですか。
靖国には前科がある、というか、靖国神社自体がもとから(ふつうの神道ではなくて)国家神道のための施設として創立されたという歴史があるし。警戒する人がいるのは自然なことだと思いますよ。
問題ない、とか、報道するべきではない、とかいうふうにお考えの割には、妙にからんできますね。報道すべきでないくらいどうでもいい問題だと思うなら、ほっといたらいいじゃないですか。首相が参拝しようがしまいが、どっちでもいいんでしょ? (だからこそ、報道がいらないと思ってるんですよね?) ぼくは、どうでもいいとは思わないから、報道してほしい。それとも、この問題には関心があり、首相には参拝してほしい、というふうにお考えなのでしたら、報道はいらない、という考えには至らないと思うのですが。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
後半に偏りすぎだろ (スコア:2)
ほぼ間違いなく後半の事件に偏りますな。
例外的に1995年は大事件が前半に2つもありましたが。
そんなわけで前半を軽く振り返ったら、
「教科書問題」
なんて入ってもよさそうなものだが。
毎日毎日新聞の一面で騒いでたのにね>アサヒ新聞さま
Re:後半に偏りすぎだろ (スコア:1)
よっぽどの事件でなければ風化してしまうのは致し方ないですが、年末の調査だけでは正しい値じゃないですよね。
やっぱり毎日のアンケートでしょうが、2ch経由とかで大量に人が流れ込んでくると処理
//
wai2pulser
靖国 (スコア:1)
首相の参拝は毎度毎度のことではありませんでした。だからあれだけ問題になったわけで。
「靖国」だとそのまますぎるし、「心情論」とかかな。いまホットな話題なら「常識」とか。なんでこ
Re:靖国 (スコア:2)
アサヒ新聞としては毎回なんだよねぇ。
首相が交代するたびに就任記者会見で、
「靖国の公式参拝は、、、」
って。
いいかげんにしろよと言いたい。
参考:ここだけの話の5月8日参照
それはおたがいさま (スコア:1)
Re:それはおたがいさま (スコア:1)
閣僚にも参拝する権利があるんですってば。
アサヒさんも公人なのか私人なのかと意味の無い区別にうるさいけど、
公職者が神社にいけないんじゃ、公務員は皆クリスマスケーキを買うことすら
かないませんな(ぷ
ごにい(ろぐいんするのなんかげつぶりだろう)
公人・私人の区別 (スコア:1)
「公人として」→政教分離に反する。 国民の代表として参拝するってことでしょう。 たとえ日本人の大部分が宗教として靖国教を信じていたとしても、 参拝してはいけない。 こんなこと言うと、「参拝しないことを強制するのか」 とかいうかもしれないけど、 公人は宗教活動をしてはいけないのはあたりまえのことだし、 宗教という、多数決にはなじまない (多数決で「全体の宗教」 を決める必要なんて全然ないし、多数な宗教が少数な宗教より 正しいわけではなくみんな対等) ことについては、 公人は「すべての宗教の行為 (参拝など) をする」という形で 公平を保つのは無理だから、「どの宗教の行為もしない」 という形でしか公平を保つことはできない。 各有権者がそれぞれ「首相にはこれこれの宗教の行為をしてほしい」 と思っていたとしても、首相はそのぜんぶを聞き入れることは できないでしょう。そうだとしたら、そのなかのひとつだけを 特別扱いして聞き入れることをしちゃいけない、ってこと。
だから、前者については「意見の相違」だけど、 後者については、憲法違反。 だから、「私人」「公人」の区別が重要なんです。 「この区別には意味がない」と考える小泉首相もどうかしてる。 ほんとにわかってないんだろうか。それとも、 なにか効果をねらってるんだろうか。
ちなみに、上記の説明は、「私人」「公人」の区別の説明であって、 ぼくがなぜ靖国参拝に反対するかという説明ではない。 そっちは、何度も書くのは面倒だから、日記を参照してください。 たとえばこれ。
Re:公人・私人の区別 (スコア:1)
アサヒも需要があるからああいうニュースを供給してるんですね、目からウロコです(お
でも、さすがのアサヒも小泉首相の母親の葬儀の場で
「この葬儀には公人として参加してますか、私人として参加してますか?」とは
聞かないでしょうね。
そんなに政教分離を問題にするなら、公職者が「公人として参拝した」と
明言したら違反になるかもしれない(いや、アサヒはこのセリフが
聞きたくて誘導尋問的に質問を浴びせてるに違いない)程度のこの件より、
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」に
あからさまに違反してる創価学会の方が遥かに問題だと思いますが。
いや問題ですけど。
「これ」が正しくリンクされていないみたいですけど、もともとあなたの意見に
ついてとやかく申し上げるつもりはございませんので。
ごにい(ろぐいんするのなんかげつぶりだろう)
Re:公人・私人の区別 (スコア:1)
hokusin
Re:公人・私人の区別 (スコア:1)
世の中には自分と違う意見の人もいるということは、知っておいて損はないですよ。もし「目からウロコ」が単なる言葉のアヤではなくて本心なら、ちょっと想像力が不足しているのではないかと思います。
母親の葬式ですか。よもやだれも、母親の葬式に公人として参加しようなどとは思わないし、たとえそうだとしてもそれが政治的な意図に結びつく危険がないからではないですか。一方、靖国は、公人として参拝したいと考えている人が現にいる/いたし、参拝することの政治的な意味あいが全然ちがうでしょ。もし、小泉首相の母親の葬式に公人として参列し、そのことを政治的に利用しようという人や勢力が現れたら、それも問題になるのでしょうが。本当にそれが問題になるケースは、ちょっと想像できません。
創価学会については、グレーだし、問題になってもいいとは思いますが、現状のところ、かれらが政治力を使ってなにかいけないこと (たとえば、国民に特定の宗教を信じるように仕向けるとか) をしたという話を聞かないので、とりたててさわぐほどのことではないと思います。公明党との関係をどう処理しているのか、興味はありますね。ただ、公明党と創価学会は別組織なのに対し、ヨーロッパなどの宗教政党のほうがもろ政教分離違反な感じがします。でもまあ、監視は必要でしょうね。もし、なにかあれば、ただちに問題にすべきでしょう。ただ、世の中には、いろんな問題があります。そのなかで、最も重要な問題のみが扱うに値する、なんてことはありません。ですので、ある問題を議論しているとき、他の問題のほうが重要だ、と主張することによって、もとの問題の重要性を否定しようとするのは間違った方法です。
リンク切れは失礼しました。Gony さんは興味ないかもしれませんが、もし興味がある人がいるといけないので、もう一度リンクを掲載しておきます。ここです。
Re:公人・私人の区別 (スコア:1)
公人として参列することが問題になることが想像できないのはもちろんですが、
仮に靖国公式参拝が実現したとして、それを問題にするのは、
それを「阻止すること自体が目的である」人達位のような気もするのですが、
それもぼくの想像力不足によるものなのでしょうか。
もしかしてこのままいくと神道が国教化されて国民全員靖国参拝を
強制され、国民の信教の自由が侵されるとお考えなのでしょうか、
ぼくにはそれも想定できませんので想像力不足は相当深刻なのかも
しれません。困ったものです。
そんなわけでぼくにとっては国庫からの玉串料の支出などもない以上
靖国参拝など「問題ではない」ので、(ま、国家機関と靖国神社が利益関係を
結ぶようになればべつでしょうけど、それも想像できないです)、
創価学会の下部組織が政権を握っている問題を取り上げたわけですが、
問題のすり替えだと思われてしまったようです。
まあ、ここまで考えが異なればしょうがないですかね。
ごにい(ろぐいんするのなんかげつぶりだろう)
Re:公人・私人の区別 (スコア:1)
首相の公式参拝は、まさしくこれだと思いますが。だって、首相が公式に、ということは、国民を代表して、ってことでしょ。国民全員が、首相を代理人として靖国に参拝したのと同じことじゃないですか。
靖国には前科がある、というか、靖国神社自体がもとから(ふつうの神道ではなくて)国家神道のための施設として創立されたという歴史があるし。警戒する人がいるのは自然なことだと思いますよ。
問題ない、とか、報道するべきではない、とかいうふうにお考えの割には、妙にからんできますね。報道すべきでないくらいどうでもいい問題だと思うなら、ほっといたらいいじゃないですか。首相が参拝しようがしまいが、どっちでもいいんでしょ? (だからこそ、報道がいらないと思ってるんですよね?) ぼくは、どうでもいいとは思わないから、報道してほしい。それとも、この問題には関心があり、首相には参拝してほしい、というふうにお考えなのでしたら、報道はいらない、という考えには至らないと思うのですが。