英語はSVOですが、主な興味の対象がOのときは受動態にします。A's BとB of Aの使い分けもおなじです。ただし代名詞は「軽い」ので、his penではpenが主な興味の対象になることが多いです。「彼」を強調したいときはhis own penです。「昨日は」を強調したいなら英語でもYesterday, it rainedといった感じです。 世の中にはVSOやOSV型の言語もありますが、わたしは知りません。SmalltalkはSVOだったりOVSだったりします。OVSになるのはobject print: console.といった場合で、英語なら受動態的です。
文学作品では (スコア:-1, 参考になる)
文学作品では語順が重要なので
は意味はおなじだがかなり異なるニュアンスを持ちます。それぞれ
です。なので
・昨日は花子さんは来なかった (スコア:1)
対比するなら
・昨日は花子さんが来た
ではなく、
・昨日は花子さんは来なかった
なのではないですか?
そうすると、(花子さんは病気したんだろうか)と同じニュアンスが感じられることも可能なので変えてしまったのでしょうか?
Re:・昨日は花子さんは来なかった (スコア:-1)
これらはすべて「昨日は」で始まるので、昨日の話だというニュアンスが共通します。
これらはすべて「人物のこと」で始まるので、人を話題にしているというニュアンスが共通します。
この二つでは、主な興味の対象が「昨日」か「人物」かという違いがあります。文法的な主語ではなく、文頭にくることばが「文脈」を作るという感じです。
昨日は誰も来なかった
「昨日は」につづけて「誰も」と聞いた時点で、「昨日は」のステートが変わったと考えられます。具体的に言えば、三段オチの「オチ」を期待するステートになります。したがって、「誰も」と「来なかった」のあいだに「忙しいのか、天気が悪いのか、たんに面倒だったのか」などと長々と記述すると聞く人は大変イライラし、小説や評論であれば独特の宙づり感を生むことができます。意外さを生む瞬間は三段オチの期待以外にはあまりありません。「誰も」はつぎに否定を期待させるので、「楽しそうにしていた」と肯定でつづけると意外さを与えることができます。
「花子さんは」で始めると、「忙しいのか、天気が悪いのか、たんに面倒だったのか」が一般論ではなく個人を責める文脈になります。
英語はSVOですが、主な興味の対象がOのときは受動態にします。A's BとB of Aの使い分けもおなじです。ただし代名詞は「軽い」ので、his penではpenが主な興味の対象になることが多いです。「彼」を強調したいときはhis own penです。「昨日は」を強調したいなら英語でもYesterday, it rainedといった感じです。
世の中にはVSOやOSV型の言語もありますが、わたしは知りません。SmalltalkはSVOだったりOVSだったりします。OVSになるのはobject print: console.といった場合で、英語なら受動態的です。
あくまで私見ですが、文法や意味を扱う脳と、ニュアンスやリズムを扱う脳は別の部分です。両方を同時に駆使したときにのみ、独特のリアリティが感じられます。それを生み出すのは定型詩や隠喩です。
Re:・昨日は花子さんは来なかった (スコア:1)
いや、文頭に重要度を付けるという主張をしているのは理解していますが、少なくとも日本語の場合はそんな単純なものではないと思いますよ。
・昨日は花子さんは来なかった
・花子さんは昨日は来なかった
この例は短文なので初めの主語が重要度が高い解釈が順当かもしれませんがもう少し長い文になると、日本語は文末の方で「来た」(肯定)か「来なかった」(否定)が決定する文法なので、最後のほうに来る主語が文末の動詞と強力に結びつく解釈がしっくりとくる気がします。
Re:・昨日は花子さんは来なかった (スコア:1)
ええ、意味とニュアンスは区別していますよ。
私は日本語はあなたの主張するような単純なニュアンスではないといっています。
日本語はあなたの主張するような単純なニュアンスではないと私はいっています。
あなたはこのニュアンスがわかりますか?