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類似性があったら、責任能力がないことにはならないと思うのだが。類似性があっても、放火していいことにもならないし。
単に心理作戦なんだろうか。被告は類似性があるということを心の拠り所にしているので、それを粉砕して自暴自棄にさせて、一気に畳かかけるとか?
責任能力があったら死刑、そうでなければ、一度は断られた生活保護が手に入る、と。普通なら一生精神病院だろうけど、自分では歩けもしないのだと、再犯も難しいだろうしなあ。
壮大な誘導尋問じゃないかと思ってる。
歴史的には、放火の場合、たとえ相手への殺意が全くなくても未必の故意+死者数で死刑になってきた。ただ、昨今では「さすがに殺意は要るんじゃないか」派が台頭してきているのも事実。
この事件の場合、故意に放火したこと明らか。その結果誰かが死んでもいいと思っていたのも、おそらく認められる。しかし、具体的に誰かを狙って殺そうとしていた証拠がない。これを殺意として認定していいのかは裁判でかなり踏み込んだ議論をしないといけない。裁判員裁判では不安要素になる。
一方で、被告は動機の部分にこだわりがあってたくさん喋ってくれそうだし、もしかしたら殺意に結び付くような証言を引き出せるかもしれない。殺意があるとなれば、放火かどうかは関係なく殺人罪だけで死刑だから話が早い。一方で、被告が自分の正当性を主張しなければ、おそらく取り調べと矛盾して狡猾な印象を与えるので、被告はあまり大胆なウソが付けない。そういう意味で、個人的にはこの裁判の一番重要なポイントだと思う。
なるほどね。被告は「まさかこんなにたくさんの人が亡くなるとは…」と言ってるので、大量殺人は意図していなかったかもしれない。となると弁護側は、大量殺人は結果であって意図はなかった。無期刑が妥当というのを争点にしたほうがいい気がするな。
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類似性が重要なんだろうか (スコア:0)
類似性があったら、責任能力がないことにはならないと思うのだが。
類似性があっても、放火していいことにもならないし。
単に心理作戦なんだろうか。
被告は類似性があるということを心の拠り所にしているので、それを粉砕して自暴自棄にさせて、一気に畳かかけるとか?
責任能力があったら死刑、そうでなければ、一度は断られた生活保護が手に入る、と。
普通なら一生精神病院だろうけど、自分では歩けもしないのだと、再犯も難しいだろうしなあ。
Re: (スコア:0)
壮大な誘導尋問じゃないかと思ってる。
歴史的には、放火の場合、たとえ相手への殺意が全くなくても未必の故意+死者数で死刑になってきた。ただ、昨今では「さすがに殺意は要るんじゃないか」派が台頭してきているのも事実。
この事件の場合、故意に放火したこと明らか。その結果誰かが死んでもいいと思っていたのも、おそらく認められる。しかし、具体的に誰かを狙って殺そうとしていた証拠がない。これを殺意として認定していいのかは裁判でかなり踏み込んだ議論をしないといけない。裁判員裁判では不安要素になる。
一方で、被告は動機の部分にこだわりがあってたくさん喋ってくれそうだし、もしかしたら殺意に結び付くような証言を引き出せるかもしれない。殺意があるとなれば、放火かどうかは関係なく殺人罪だけで死刑だから話が早い。一方で、被告が自分の正当性を主張しなければ、おそらく取り調べと矛盾して狡猾な印象を与えるので、被告はあまり大胆なウソが付けない。そういう意味で、個人的にはこの裁判の一番重要なポイントだと思う。
Re:類似性が重要なんだろうか (スコア:0)
なるほどね。
被告は「まさかこんなにたくさんの人が亡くなるとは…」と言ってるので、大量殺人は意図していなかったかもしれない。
となると弁護側は、大量殺人は結果であって意図はなかった。無期刑が妥当というのを争点にしたほうがいい気がするな。