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国外の問題について: 日本のアニメ・漫画のエロ描写が外国人から見て未成年者にしか見えないなら、 それはその国の国内問題。その国が輸入規制するなり、 販売規制するなりすれば良い話だと思います。(日本が輸出規制に 協力するのも、悪くはないです。) 何も、外国人様に日本人の文化と認知・認識を修正して頂く必要は無いはず。 他国の文化と言論・表現への過剰な干渉だと思うのですが。 それとも麻薬と同じような、原産地から抹殺せねばならない『人類共通の敵』だ
この問題は、純粋な議論・論理の世界ではなく、 実際の政治的規制圧力が来ているわけですから、政治の文脈で考える べきだと思います。ゆえに、論理的妥当性の前に、 『相手には、自分達日本の主権者に規制を強要する資格があるか?』 『その意見をそもそも聞くべきか否か』 という外交的要素を考慮する必要がある、そう思います。
更にこの場合、『外圧を利用して国内の規制を強化しよう』 という勢力がいる、 そういう文脈も含めてこの問題をとらえるべきだと私は思います。 こういう視点で考えれば、まず最初に不自然な外圧を排除する必要が あると、私は考えます。
さらに、後々に別の問題で同様の外圧が起らぬように、 外圧を加える側の文化的無神経さにも牽制をしておく必要があります。 私が何かの本 (おそらくは美少女漫画雑誌のコラム) で読んだ話では、 日本の成人女性の登場する実写ポルノも海外では問題とされる、という話 があったように思います。 『被害者の有無』という論理は、成人女性の登場する実写ポルノに対しては 適用できません。向うではそれが『未成年に見える』わけですから。
まぁ、実写ポルノに関してはあんまり擁護する意欲が湧かないのですが、 重要なことは、相手がそのような文化的無神経に基づく攻撃を仕掛けて きたときに、ちゃんと文化の違いを指摘しておくことではないかと思うのです。 そうしていかないと、大げさにいえば、日本国民全体の地位は徐々に 低下していくのではないか、そう私は思うのです。
この問題を『国外の』連中とまじめに議論すること自体、 相手の術中にはまっているように思えます。 国外に対しては、 『被害者もいないのに、外国に口出しされる筋合いは無い』と 言うのが適切だと思います。
-- hkoba@兵頭二十八ファン
>そこを批判してるんですよ。言葉が足りませんでしたか?
ふむ、なるほど、ようやく貴公の立場が見えてきました。 つまり、こういうことでしょうか?
…でもそれじゃぁ、私としては『貴公はヒ〇ラーの尻尾だ(笑)』とでも 言いたくなっちゃいます。『人は、みんな違って当たり前』でしょう。 特に国が違えば。国を越えて同意を得られる道徳なんて、 『みだりに殺すな』とか、『他人を奴隷扱いするな』とか、 ほんの少々なんでは? (もちろん、時代によって変わります。昔は奴隷も許されていた。)
ちなみに私としては、事の政治的性質を無視できない以上、 『誰と何を議論をするべきか、するべきでないか』 を議論しているつもりです。議論になっていませんか?
政治的文脈で物事を考えるべき時に、そうすることは成人の義務だと考えてお ります。納税者として、有権者として、そして国政の結果の最終責任を負う 主権者の一人として。
-- h小林@この国の未来は、この土地に生きる者たちの手に委ねられるべきです。
これがもし、『絵としての幼児ポルノは道徳的に認められるか?』 という記事だったなら、道徳の問題であって政治の問題ではありません。 でもご自身で書かれたように、『規制すべきか?』でしょう? 法的規制は政治の一部です。∴元記事には政治的性質があります。
できれば貴君が『政治的性質がない』と考える根拠を示して頂けると 理解が深まるのですが… あるいは、もしや、『政治的性質』という言葉の指す内容が私と異なる のでしょうか?
ついでに伺いたいのですが…
# 結局、弱ければ、踏み躙られることを阻めない。 # だから、民主主義には、抗う生き方には、武装市民が不可欠。
-- h小林@エロマンガ描きの嫁さんが欲しいなぁ… (↑お馬鹿)
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
規制に関しては国内/国外を分けて議論するべき (スコア:2, 興味深い)
国外の問題について:
日本のアニメ・漫画のエロ描写が外国人から見て未成年者にしか見えないなら、 それはその国の国内問題。その国が輸入規制するなり、 販売規制するなりすれば良い話だと思います。(日本が輸出規制に 協力するのも、悪くはないです。) 何も、外国人様に日本人の文化と認知・認識を修正して頂く必要は無いはず。 他国の文化と言論・表現への過剰な干渉だと思うのですが。
それとも麻薬と同じような、原産地から抹殺せねばならない『人類共通の敵』だ
国内と国外を分けて議論するのは無意味 (スコア:2)
分ける意味は政治的文脈に有り (スコア:1)
『被害者の有無』で論破するのは、もちろん論理の上に限れば 一番明快でしょう。 ですが、やはり物には順序というものがあります。
この問題は、純粋な議論・論理の世界ではなく、 実際の政治的規制圧力が来ているわけですから、政治の文脈で考える べきだと思います。ゆえに、論理的妥当性の前に、 『相手には、自分達日本の主権者に規制を強要する資格があるか?』 『その意見をそもそも聞くべきか否か』 という外交的要素を考慮する必要がある、そう思います。
更にこの場合、『外圧を利用して国内の規制を強化しよう』 という勢力がいる、 そういう文脈も含めてこの問題をとらえるべきだと私は思います。 こういう視点で考えれば、まず最初に不自然な外圧を排除する必要が あると、私は考えます。
さらに、後々に別の問題で同様の外圧が起らぬように、 外圧を加える側の文化的無神経さにも牽制をしておく必要があります。
私が何かの本 (おそらくは美少女漫画雑誌のコラム) で読んだ話では、 日本の成人女性の登場する実写ポルノも海外では問題とされる、という話 があったように思います。 『被害者の有無』という論理は、成人女性の登場する実写ポルノに対しては 適用できません。向うではそれが『未成年に見える』わけですから。
まぁ、実写ポルノに関してはあんまり擁護する意欲が湧かないのですが、 重要なことは、相手がそのような文化的無神経に基づく攻撃を仕掛けて きたときに、ちゃんと文化の違いを指摘しておくことではないかと思うのです。 そうしていかないと、大げさにいえば、日本国民全体の地位は徐々に 低下していくのではないか、そう私は思うのです。
この問題を『国外の』連中とまじめに議論すること自体、 相手の術中にはまっているように思えます。
国外に対しては、 『被害者もいないのに、外国に口出しされる筋合いは無い』と 言うのが適切だと思います。
--
hkoba@兵頭二十八ファン
Re:分ける意味は政治的文脈に有り (スコア:2)
そこを批判してるんですよ。言葉が足りませんでしたか?
思えます、そういう勢力がいます、術中にはまってますよ、とかってすっごくくだらないなぁ。議論になってないですよ?
も、もしや世界統一的な人権概念を仮定してますか? (スコア:1)
>>この問題は、純粋な議論・論理の世界ではなく、実際の政治的規制圧力が来て
>>いるわけですから、政治の文脈で考えるべきだと思います。ゆえに、
>>論理的妥当性の前に、『相手には、自分達日本の主権者に規制を
>>強要する資格があるか?』 『その意見をそもそも聞くべきか否か』という
>>外交的要素を考慮する必要がある、そう思います。
>そこを批判してるんですよ。言葉が足りませんでしたか?
ふむ、なるほど、ようやく貴公の立場が見えてきました。 つまり、こういうことでしょうか?
折角の会議の意味がなくなってしまう。
>思えます、そういう勢力がいます、術中にはまってますよ、
なるほど、確かに貴公の望むであろう議論には、なってませんね。>とかってすっごくくだらないなぁ。議論になってないですよ?
最初の『国内と国外を分けて議論するのは無意味』という発言の真意も、 なるほど理解できます。確かに、『折角の会議の意味』が無くなってしまう、 わけでしょうから。
…でもそれじゃぁ、私としては『貴公はヒ〇ラーの尻尾だ(笑)』とでも 言いたくなっちゃいます。『人は、みんな違って当たり前』でしょう。 特に国が違えば。国を越えて同意を得られる道徳なんて、 『みだりに殺すな』とか、『他人を奴隷扱いするな』とか、 ほんの少々なんでは? (もちろん、時代によって変わります。昔は奴隷も許されていた。)
ちなみに私としては、事の政治的性質を無視できない以上、 『誰と何を議論をするべきか、するべきでないか』 を議論しているつもりです。議論になっていませんか?
政治的文脈で物事を考えるべき時に、そうすることは成人の義務だと考えてお ります。納税者として、有権者として、そして国政の結果の最終責任を負う 主権者の一人として。
--
h小林@この国の未来は、この土地に生きる者たちの手に委ねられるべきです。
Re:も、もしや世界統一的な人権概念を仮定してますか (スコア:2)
>この会議は、全世界的に児童ポルノ撲滅運動を前進させる良い機会である。
というのは当ってますが
>その大事な機会であるにも関わらず、国の枠組みとか政治的な筋道論なんか持ち出して国外の意見を排除したのでは、折角の会議の意味がなくなってしまう
ってのがどこからどう出てくるのか不明。
この際だから自分の立場を明確にすると、僕自身は幼児ポルノ規制には賛成だが、「搾取の対象者」が存在しない絵については規制には反対です。そもそもの反幼児ポルノ法制の趣旨に合致しませんし、憲法21条の侵害だと思います。ただし、暴力表現や過剰な性表現に関しては、入手に際して何らかの規制の必要ではないかと思っています。まぁ後者は国際的な幼児ポルノ規制の話とは少し離れますが。
で、そもそも噛み付いたのは、論点として「絵としての幼児ポルノを帰省すべきか?」という元記事とかけ離れすぎてるのではないか、と言ってるんですケド。幼児ポルノ規制自体に反対というならば別ですが。
>私としては、事の政治的性質を無視できない以上
んでは、その政治的性質とやらを指摘してくださいよ。どういう政治的背景があるんですか? 具体的かつ個別的に、客観的なものを見せろとは言いませんから
>特に国が違えば。国を越えて同意を得られる道徳なんて、『みだりに殺すな』とか、『他人を奴隷扱いするな』とか、ほんの少々なんでは?
むしろボクはこっちの発言の方に脅威を感じますね。長い間かけて一つずつ勝ち取ってきた人権を相対化したアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンと同じ論法じゃないですか?
では元記事との関係を説明しましょう (スコア:1)
>元記事と掛け離れすぎているのではないか?
この件については…>「絵としての幼児ポルノを規制すべきか?」という元記事
規制すべき範囲・許される範囲は国によって違うでしょう? という前提が私にはあります。(特に、表現は規制せずとも、販売の規制が適用されるべき範囲は 国ごとに大いに異なるはず)
にもかかわらず、/.J では 『外国で問題が起きていることを無視してはいけない』 [srad.jp] 的な意見があった。 そこで、国別に議論を分けることで、それぞれの国の人にとっての 最大多数の幸福を実現するべきではないか? と提案したわけです。
この件でもし世界統一的な解決を目指したら、個々の国に住む人の 『好き嫌いに関する社会的・文化的同意事項』 と対立する結論になりかねない、そういう考えです。
>『政治的性質とやらを指摘してくださいよ』
元記事の話題には政治的性質は無い、という意味ですね? 既に隣のスレッドで Artane. さんが書いて [srad.jp]おられますが、 もう一度、私の認識で書き直しましょう。これがもし、『絵としての幼児ポルノは道徳的に認められるか?』 という記事だったなら、道徳の問題であって政治の問題ではありません。 でもご自身で書かれたように、『規制すべきか?』でしょう?
法的規制は政治の一部です。∴元記事には政治的性質があります。
できれば貴君が『政治的性質がない』と考える根拠を示して頂けると 理解が深まるのですが…
あるいは、もしや、『政治的性質』という言葉の指す内容が私と異なる のでしょうか?
ついでに伺いたいのですが…
> 長い間かけて一つずつ勝ち取ってきた人権…
主語がありませんが、おそらく、その主語は『人類が』、ですよね? つまり人類普遍の人権を設定しておられるわけですね?おそらくその『人類普遍』なる考え方こそが、 米国とそれ以外の国との間で摩擦を引き起こしている『グローバリズム』 という考え方そのものなんではないかと思います。
>人権を相対化したアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンと
相対化自体が問題かのような書き方をしておられますが、 実際問題、その文明の期待する人権が、時の政権によって順守されるか否かは 単に政権と市民の間で暴力の均衡が達成できるか否かの問題だと思います。 人権の相対化は、時の政権が独裁を敷くための、 まぁ必用条件かもしれませんが(ちょっと疑わしい。 ポルポトはやったのかしら? 金日成は?)、 十分条件ではないでしょう。意見そのものを危険視する貴君の態度も、 全体主義的だと私は感じるんですが?>同じ論法じゃないですか?
# 結局、弱ければ、踏み躙られることを阻めない。
# だから、民主主義には、抗う生き方には、武装市民が不可欠。
--
h小林@エロマンガ描きの嫁さんが欲しいなぁ…
(↑お馬鹿)
ちょっと整理 (スコア:2)
2、幼児ポルノの中でも暴力表現や性的な表現があればすべて規制すべき
3、絵、マンガ、アニメなど表現方法に関わらず幼児に対する搾取を想起させるものは、すべて規制すべき
のどの立場から、
>規制すべき範囲・許される範囲は国によって違うでしょう
ということなんでしょうか?
表現の規制と販売の規制 (スコア:1)
搾取の対象が存在する幼児ポルノは、表現も販売も規制するのは当然。
という前提の元で、(元記事も、それが前提ですよね?)対象が存在しないものは、国ごとに自国の文化に合わせて販売を規制すればよい
という立場・主張です。伝わっていなかったなら、私の書き方が まずいですね。申し訳ない…それでも、やっぱり意味不明だ (スコア:2)
で、ボクの疑問なところを挙げてみると
#48244
この問題は、純粋な議論・論理の世界ではなく、実際の政治的規制圧力が来ているわけですから、政治の文脈で考えるべきだと思います
政治的議論であれば純粋な議論・理論が成り立たない、というのは全く理解できない論法です。この種の議論について、あなたと議論してはいけないんですか?
#48244
更にこの場合、『外圧を利用して国内の規制を強化しよう』という勢力がいる、そういう文脈も含めてこの問題をとらえるべきだと私は思います。こういう視点で考えれば、まず最初に不自然な外圧を排除する必要があると、私は考えます。
問題の捉え方、考え方は人それぞれでしょう。特定の問題について、議論を行う場合に、論拠もなく規制をかけられるいわれはないと思いますが。
#48244
さらに、後々に別の問題で同様の外圧が起らぬように、外圧を加える側の文化的無神経さにも牽制をしておく必要があります。
ということは、日本の文化については外国の批判は許さないが、「日本の文化にとって無神経に思える外国の」文化は、いくらでも批判できるんですね。わけわからん
#48672
内容がないので割愛します。
#48974
できれば貴君が『政治的性質がない』と考える根拠を示して頂けると理解が深まるのですが
またこれだ。勝手にボクの思ってることを決め付けないで下さい。実に腹立たしい
#48974
おそらく、その主語は『人類が』、ですよね?つまり人類普遍の人権を設定しておられるわけですね?
人権概念が普遍的なのは当たり前でしょう? 今さら何言ってるんですか?