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Project Gutenberg [promo.net]とかもそうなんだけど、文章だけで本を再現したような気になっているのが自分には妙に見えます。分野にも依るでしょうが、fairy taleなどでは特に挿絵と文章のバランスがうまくとれていないと作品としては完結しません。実際、読んでみたい海外の作品があったのでProject Gutenbergに頼ってみたところ、文章中に挿絵を参照している部分があるにもかかわらず、挿絵がなかったがゆえに楽しく読めなかったという経験をしたことがあります。
文章だけで本を再現したような気になっているのが自分には妙に見えます。 そんな風に思ってるんですかね? どっかに書いてあります?
文章だけで本を再現したような気になっているのが自分には妙に見えます。
という姿勢を見れば、青空文庫やProject Gutenbergは「本 == 文章」としか考えていないと捉える人が出てきても仕方ないでしょう。おそらく、プロジェクトの立ち上げに関わった人達は、仕掛け絵本など遊びの要素を持った本に触れたことがないのではないでしょうか。
昔は、挿絵と文章の内容やレイアウトなどについて、かなり厳しく見ていた作者もいたんですけどね... 例えば、Charles Dodgsonは文章にピッタリの挿絵が自分で描けなかったため、一時はAlice's Adventures in Wonderlandの出版を断念しようかと思っていたそうです。
断言できます。富田が語っているのはあくまで技術の進化だけであり、これが現場での文学活動に及ぼした、富田とは全く面識がない人物の手になる具体的な例を全く示していません。また、「本が消える日」で紙を道具として遊ぶことを忘れている点からは、想像力や創作能力の欠如、物理的なモノを手にして遊んだ経験の不足が垣間見られます。そして何より、電子本にのめり込んだ理由はもっぱら「読者に文章をスムーズかつ誤差なく読ませる」ことにほかならなかったのですから。映画のSFXと同じで、一見すると本がリアルな(ie 実世界であるかの)ように見えてしまうので、本当に描かれていることや自分なりの解釈を考えさせる機会はどんどん失われてしまうのです。
まぁ、ここでは技術文書など堅いものを読み書きしている方が多いので、実用一点張りという点からは全く同意できなくても構いませんが。ただし、それが世の中に完全無欠をもたらすようなものではないのも間違いありません。
こういう理屈で、他人(/.Jの読み手)を説得できると思っているのか…おめでたいなあ。
色々ならべている割に、結局自分の思い込みを投影しているだけじゃん。公に語られている部分だけが全てでもないだろうに、思い込みと推測だけを根拠に > 文章だけで本を再現したような気になっているのが [srad.jp] と言い切る世間しらずっぷりは失笑ものだな。世間を勝手に自分の基準で矮小化して批判するのは、己の矮小さを投影しているだけにしか見えんね。吐いた唾飲むのがいやなら、最初から推測は推測として述べとけよ。それとも、検証可能な現象と主観を区別できないレベルの人なの?
そもそも、
そもそも、単純に、「電子メディアの限界を弁えた上での取捨選択の結果」という推測を採らなかった理由は?
意味がよくわからんのだけど、メディアの表現能力の限界範囲内でしか事物を表現してはいけないから青空文庫やProject Gutenbergはテキスト(あるいはこれに準ずるもの)だけで十分だってこと? そうだとしたら、今ネットやってる人間は恐ろしく発想力や創造力が貧困になってしまっています。紙を単に活字を打つための素材と見るか、切り貼り糊付けによって文字では書けないものを作る材料と考えるかの差。あなたも含めて、こういう遊びができない人が先達を担ってしまっていては、将来に取り返しのつかない不幸をもたらしてしまいます。
特に、電子メディアは形式化の要求が従来のメディアよりも強くなっています。なので、なおさら立ち上げ時に用途や遊びのための自由度を準備しなければなりません。しかるに、青空文庫などの立ち上げに関わった人達は、たまたま本にしたかった作品が電子メディアの素性に偶然に合致したに過ぎないにもかかわらず、その偶然を自分たちや電子メディアの実力だと勘違いしているのです。おそらく、苦手な分野は「工作員がいないから」「フォーマットを変えるのが面倒だから」といって逃げるでしょう。決して、自分たちの枠組みで本質的に扱えないことを認めようとはしません。だからこそ、先のような揚足取りの反論が出てくるわけです。
おいおい、自己弁護も満足にできないのか? 語るほどボロだしてどうするよ。
すっごい長文になっちまったけど、どうせ当事者以外読みもしねぇだろうってところで甘えさせて貰うか。
あ、おいら#587251 [srad.jp]のACな。
まずは > 意味がよくわからんのだけど、 [srad.jp] という指摘はもっともだ。だが、冒頭にそう書いておきながら > あなたも含めて、こういう遊びができない人 [srad.jp] という決め付けは頂けんな。「意味がよくわからんのだけど」、おいらが「こういう遊びができない人」だとは判る、と。愉快な話だな。まさに思い込み投影の面目躍如といったところか。
本論に戻って、おいらの > 「電子メディアの [srad.jp]
うわ、勿体ねぇよ。そういう [srad.jp]価値の高い情報は、こんな荒れたスレッドの尻尾じゃなくって、もっと目立つ所に投稿しましょうや。結局その後、他の投稿もないまま/.Jのトップページからも流れちゃったし。
おいらの文章みたいな荒れるだけの挑発文はともかく、いい情報は早期に、目立つ場所に出してもらえると、より価値が高まると思うんだが。それにおいらも一応、このストーリーが「古いストーリー」に移るまでは、罵倒を我慢して静観して気をつかったつもりなんだがな。
とりあえずは一応マジレス。
> 「どうせ当事者以外読みもしねぇだろう」って思う根拠は?w [srad.jp]
主観に根拠なんかねぇよ。「だろう」ってのは結局主
アーカイブ行になる前に。それから、文章の一部を引用するのは曲解をしている動かぬ証拠。文章を書き慣れていないのがよく分かります。それから、ACなのにわざわざコメント番号で自分に名前をつけるとはおめでたい。匿名性なんてあったもんじゃないね。その点IDと変わらない。
なぜ関係者の「取捨選択の結果」「意図してそうした」と推測しなかったのか、ということだ。もちろん、おまいさんの思い込み以外の根拠、他人が検証できるレベルの根拠を求めているということを忘れずにな。
少なくとも、青空文庫やGutenberg Projectの関係者については、「たまたま」と「取捨選択」はきちんと因果関係があります。例えば、絵本が含まれていないこと。君は「文字以外を表現するのは難しいから敢えて捨てた」と「取捨選択」で説明するでしょう。ところが、関係者は大人ばかり。しかも青空文庫などを始めたきっかけは、あくまで「たまたま」自分が読みたかったから。もしプロジェクトが成功すれば、今まで考えもしなかった表現を用いた本に対する需要も間違いなく出てきます。然るに、それに対する準備は全くできていない。例えば「自分の子どもにせがまれて、こんな絵本をwebに載せたくなった」というような発想には、文字中心のプロジェクトでは応えることができません。少なくとも、青空文庫については、呼びかけ人である富田の手記 [neophilia.co.jp]を読む限り、あくまで自分だけが読む発想から始まっていることがハッキリ書かれています。自分が読まなさそうな本、取っつきにくかった本にまで電子書籍の可能性を試そうとした努力の跡は全く見られません。この時点で、作品の選択は「たまたま」になってしまいます。君も含めて、それに気づかない人達は、文学に対する知見が狭いと見られても仕方ありません。そういう人達が先駆的な仕事をしていると、成功するものも成功しなくなってしまいます(分かる人にしか失敗が分からないのがガンだが。その意味では関係者の能力を矮小化せざるを得ない、事実がそうなのだから)。
ついでながら、特にクラシックな文学の知識が青空文庫の関係者の頭に存在しないことについての問題は、山形浩生も触れています [genpaku.org]。私とは趣味の違いこそあれ、現代の生活や文学にまで影響を残しているものを読むべきという考えは間違いないでしょう。文学へ影響を残した作品に絞れば、アラビア文学やアンデルセンも候補に入ります。
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
挿絵がないのが... (スコア:1)
Project Gutenberg [promo.net]とかもそうなんだけど、文章だけで本を再現したような気になっているのが自分には妙に見えます。分野にも依るでしょうが、fairy taleなどでは特に挿絵と文章のバランスがうまくとれていないと作品としては完結しません。実際、読んでみたい海外の作品があったのでProject Gutenbergに頼ってみたところ、文章中に挿絵を参照している部分があるにもかかわらず、挿絵がなかったがゆえに楽しく読めなかったという経験をしたことがあります。
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
そんな風に思ってるんですかね?
どっかに書いてあります?
まあ実際の本を再現したというためにはフォントとか装丁とかそんなところまで考えないといけないでしょう。
あんまり多くを求めすぎても酷だと思いますよ。
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
という姿勢を見れば、青空文庫やProject Gutenbergは「本 == 文章」としか考えていないと捉える人が出てきても仕方ないでしょう。おそらく、プロジェクトの立ち上げに関わった人達は、仕掛け絵本など遊びの要素を持った本に触れたことがないのではないでしょうか。
昔は、挿絵と文章の内容やレイアウトなどについて、かなり厳しく見ていた作者もいたんですけどね... 例えば、Charles Dodgsonは文章にピッタリの挿絵が自分で描けなかったため、一時はAlice's Adventures in Wonderlandの出版を断念しようかと思っていたそうです。
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
装丁についても語っています.
これを読んでも『「本 == 文章」としか考えていない』と言えますか?
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
断言できます。富田が語っているのはあくまで技術の進化だけであり、これが現場での文学活動に及ぼした、富田とは全く面識がない人物の手になる具体的な例を全く示していません。また、「本が消える日」で紙を道具として遊ぶことを忘れている点からは、想像力や創作能力の欠如、物理的なモノを手にして遊んだ経験の不足が垣間見られます。そして何より、電子本にのめり込んだ理由はもっぱら「読者に文章をスムーズかつ誤差なく読ませる」ことにほかならなかったのですから。映画のSFXと同じで、一見すると本がリアルな(ie 実世界であるかの)ように見えてしまうので、本当に描かれていることや自分なりの解釈を考えさせる機会はどんどん失われてしまうのです。
まぁ、ここでは技術文書など堅いものを読み書きしている方が多いので、実用一点張りという点からは全く同意できなくても構いませんが。ただし、それが世の中に完全無欠をもたらすようなものではないのも間違いありません。
Re:挿絵がないのが... (スコア:0)
こういう理屈で、他人(/.Jの読み手)を説得できると思っているのか…おめでたいなあ。
色々ならべている割に、結局自分の思い込みを投影しているだけじゃん。公に語られている部分だけが全てでもないだろうに、思い込みと推測だけを根拠に
> 文章だけで本を再現したような気になっているのが [srad.jp]
と言い切る世間しらずっぷりは失笑ものだな。世間を勝手に自分の基準で矮小化して批判するのは、己の矮小さを投影しているだけにしか見えんね。吐いた唾飲むのがいやなら、最初から推測は推測として述べとけよ。それとも、検証可能な現象と主観を区別できないレベルの人なの?
そもそも、
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
意味がよくわからんのだけど、メディアの表現能力の限界範囲内でしか事物を表現してはいけないから青空文庫やProject Gutenbergはテキスト(あるいはこれに準ずるもの)だけで十分だってこと? そうだとしたら、今ネットやってる人間は恐ろしく発想力や創造力が貧困になってしまっています。紙を単に活字を打つための素材と見るか、切り貼り糊付けによって文字では書けないものを作る材料と考えるかの差。あなたも含めて、こういう遊びができない人が先達を担ってしまっていては、将来に取り返しのつかない不幸をもたらしてしまいます。
特に、電子メディアは形式化の要求が従来のメディアよりも強くなっています。なので、なおさら立ち上げ時に用途や遊びのための自由度を準備しなければなりません。しかるに、青空文庫などの立ち上げに関わった人達は、たまたま本にしたかった作品が電子メディアの素性に偶然に合致したに過ぎないにもかかわらず、その偶然を自分たちや電子メディアの実力だと勘違いしているのです。おそらく、苦手な分野は「工作員がいないから」「フォーマットを変えるのが面倒だから」といって逃げるでしょう。決して、自分たちの枠組みで本質的に扱えないことを認めようとはしません。だからこそ、先のような揚足取りの反論が出てくるわけです。
Re:根拠がないのが... (スコア:0)
おいおい、自己弁護も満足にできないのか? 語るほどボロだしてどうするよ。
すっごい長文になっちまったけど、どうせ当事者以外読みもしねぇだろうってところで甘えさせて貰うか。
あ、おいら#587251 [srad.jp]のACな。
まずは
> 意味がよくわからんのだけど、 [srad.jp]
という指摘はもっともだ。だが、冒頭にそう書いておきながら
> あなたも含めて、こういう遊びができない人 [srad.jp]
という決め付けは頂けんな。「意味がよくわからんのだけど」、おいらが「こういう遊びができない人」だとは判る、と。愉快な話だな。まさに思い込み投影の面目躍如といったところか。
本論に戻って、おいらの
> 「電子メディアの [srad.jp]
Re:根拠がないのが... (スコア:1)
悪い冗談はともかく、ちょっと議論から引かせてもらって、特に青空文庫に限ってということで事実の参照やら体験談やらを投稿します。
青空文庫で挿絵が出てくる代表的なものは与謝野晶子の「私の生い立ち」です。
そのときのそらもよう [aozora.gr.jp]によると、テキストを入力した者(≠世話役)が竹久夢二の挿絵を、エキスパンドブック版作成のときに使用しています。
挿絵に関するファイル作成上の扱いを記述しているものに、「工作員作業マニュアル」 [aozora.gr.jp]があって、黒丸の7と8番目がそれです。
「●内容の理解を図っていく上で写真や挿し絵がぜひとも必要という場合には、別途ご連絡ください。その上で、著作権の扱いや入力の処理についてご相談したいと思います。」
とあります。
次に経験談ですが、入力や校正をしていると、どうしても入力対象となる底本の、元となった親本に当たる必要が出てくることがあります。
図書館等でこの親本を見ていると、入力対象としている底本、特に文庫本では挿絵や挿画等が変更されていることがわかります。この前に入力したものは題字が作者自身のものでしたが、それは省略されていました。
親本の文章以外の情報の豊かさに比べると、文庫本もテキストファイルもどちらも貧しく感じてしまうのはしかたがないことだと思います。
いい情報が勿体ねぇよ (スコア:0)
うわ、勿体ねぇよ。そういう [srad.jp]価値の高い情報は、こんな荒れたスレッドの尻尾じゃなくって、もっと目立つ所に投稿しましょうや。結局その後、他の投稿もないまま/.Jのトップページからも流れちゃったし。
おいらの文章みたいな荒れるだけの挑発文はともかく、いい情報は早期に、目立つ場所に出してもらえると、より価値が高まると思うんだが。それにおいらも一応、このストーリーが「古いストーリー」に移るまでは、罵倒を我慢して静観して気をつかったつもりなんだがな。
とりあえずは一応マジレス。
> 「どうせ当事者以外読みもしねぇだろう」って思う根拠は?w [srad.jp]
主観に根拠なんかねぇよ。「だろう」ってのは結局主
Re:知見がないのが... (スコア:1)
アーカイブ行になる前に。それから、文章の一部を引用するのは曲解をしている動かぬ証拠。文章を書き慣れていないのがよく分かります。それから、ACなのにわざわざコメント番号で自分に名前をつけるとはおめでたい。匿名性なんてあったもんじゃないね。その点IDと変わらない。
少なくとも、青空文庫やGutenberg Projectの関係者については、「たまたま」と「取捨選択」はきちんと因果関係があります。例えば、絵本が含まれていないこと。君は「文字以外を表現するのは難しいから敢えて捨てた」と「取捨選択」で説明するでしょう。ところが、関係者は大人ばかり。しかも青空文庫などを始めたきっかけは、あくまで「たまたま」自分が読みたかったから。もしプロジェクトが成功すれば、今まで考えもしなかった表現を用いた本に対する需要も間違いなく出てきます。然るに、それに対する準備は全くできていない。例えば「自分の子どもにせがまれて、こんな絵本をwebに載せたくなった」というような発想には、文字中心のプロジェクトでは応えることができません。少なくとも、青空文庫については、呼びかけ人である富田の手記 [neophilia.co.jp]を読む限り、あくまで自分だけが読む発想から始まっていることがハッキリ書かれています。自分が読まなさそうな本、取っつきにくかった本にまで電子書籍の可能性を試そうとした努力の跡は全く見られません。この時点で、作品の選択は「たまたま」になってしまいます。君も含めて、それに気づかない人達は、文学に対する知見が狭いと見られても仕方ありません。そういう人達が先駆的な仕事をしていると、成功するものも成功しなくなってしまいます(分かる人にしか失敗が分からないのがガンだが。その意味では関係者の能力を矮小化せざるを得ない、事実がそうなのだから)。
ついでながら、特にクラシックな文学の知識が青空文庫の関係者の頭に存在しないことについての問題は、山形浩生も触れています [genpaku.org]。私とは趣味の違いこそあれ、現代の生活や文学にまで影響を残しているものを読むべきという考えは間違いないでしょう。文学へ影響を残した作品に絞れば、アラビア文学やアンデルセンも候補に入ります。
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
Copyright (c) 2001-2014 Parsley, All rights reserved.
Re:挿絵がないのが... (スコア:0)
取り込む事が可能になったら
「私は初版本のあの××が書いた挿絵が良い!」
「いや、あの全集に入ってた時のでないと認めない!」
みたいな事になりそ
Re:挿絵がないのが... (スコア:1)
文章の著作権者とまた別に交渉が必要な場合が多いでしょうし、レイアウトや挿絵を考慮したフォーマットを考える必要があるでしょうから、まあいろいろ手間はかかるでしょうね。
Re:挿絵がないのが... (スコア:0)
日本語ではないですが挿絵もがんばって載せているサイトが
ありますからご紹介します:
http://home.freeuk.com/russica2/
Russian Books Translated 1の最初には挿絵入り「ネズナイカ」などが
あります。