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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
「表現」と「個」と「同人誌」 (スコア:1, 余計なもの)
小学校高学年の頃からアニメ関係の同人世界に身を投じたという猛者がいてな、
そのくせ生計はドカチンのバイトで稼いでるという関係上
体はムッキムキ。ノリは常に体育会。そんな彼がコミケットで撮ってきたコスプレ女の写真を
嬉しそうに見せびらかしながら太い声で解説する光景っちゅうのは
1、2の三四郎の寅吉もかくや、と思わせるものがあったのだよ。
オレなどは「表現は人間味を打ち出して行くもの」という古い考えの人間だから
そいつには、おまえのようなおもしろい奴は同人誌なんてやってちゃいけない、もっと別な
Re:「表現」と「個」と「同人誌」 (スコア:0)
岩田氏が指している同人は、それが好きでのめり込んでいるけれども個を忘れない、
むしろ個の強い人たちの集まりだった頃のことを指していると思います。
今のような、作品の形骸先行、ファッション先行の状況は当の岩田氏が一番嘆いていた
所でもありましたし。
私の知り合いにも同人で濃い人はいくらもいましたが、それだけにのめり込んでいるのではなく
むしろ当人のバックグラウンドにはそれぞれのスペシャルな世界を持ちつつ、
同人への造詣も深い人が多かったです。
かつてのオタクという指示語はむしろ尊敬に値するような表現だった感じがします。
それのために何かを捨て去っているのではなく、一般的な社会のベースは普通に
持っている上で何かのスペシャリスト、という感じの。
現代の所謂研究者も以前に比べそれだけができればいい的な人が増えているように思える
ことから見ても、社会全体が急いで何かを追いすぎているのかもしれません。