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偏見に満ちたコメントですね。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:0)
生とはなにか?
宗教学者と話そう・・・・・あったら怖い
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:2, 興味深い)
宗教学者と宗教者は違うんだけど、ご理解されていますか?
宗教学者とは、宗教学 [zatugaku.jp]を研究する人で、宗教学は、その研究者に信仰を要求しません。
宗教の本質は狂信
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:0)
偏見に満ちたコメントですね。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
狂信とも反社会性とも関係ないようなものは、宗教でなく道徳・モラルと呼ぶべきでしょう。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
それは宗教の本質ではありません。
一方で、道徳・モラルを教え、広める事は宗教の本質の一つです。
道徳、モラルの本質が宗教とは言って無いので、誤解しないように。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
ならば、道徳・モラルと宗教を分かつものは何ですか?
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
そして、個々の道徳・モラルの考え方も各々の宗教の『教え』の影響を色濃く受ける。
だから、宗教と道徳・モラルは切っても切り離せ無い関係にあるのもまた事実。
しかし、宗教と、モラル・道徳の関係は、イコールの関係ではない。
分かつわけでも、イコールでもない。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
> 分かつわけでも、イコールでもない。
と言い張られましても、その説明だけでは、「殆ど等しい」という表現が適切かと思われます。
何がどう違うのか、説明してもらえませんかね。
あなたの言う「教
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
これは成り立つでしょう。
宗教は、道徳的な事柄を教え広める以外に含むモノ(当然悪い事柄を多く含む)がある。
そして、道徳は宗教の影響を色濃く受けるが、宗教そのものではないし、宗教的な事柄だけで成り立つモノでもない。
たとえば、日本においての『道徳』は、儒教、仏教、神道の影響を色濃く受けるが、儒教、仏教、神道そのものではない。
孔子や彼の弟子が残した書物には道徳的な教えが多々あるが、それが全てではない。
仏教で言う説法とは道徳的な内容が多々含まれるが、それが全てではない。
神道の八百万
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
誰かそのような主張をした者がおりましたでしょうか?
> 当然、狂信と宗教は関係が深いものですが、本質ではありません。
論理がありません。「イコールでは無いから本質ではない」は、説明になっていません。対象とその本質を問題にするときには、本質で無いものも想定されています。対象は、本質と本質でないものに二分(できるかどうかは別として)されていますから、当然、対象と本質はイコールではありません。つまり、対象とイコールでないことは、それが本質かどうかとは無関係です。
dekiさんが宗教の本質だと
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
まず、『本質』の言葉の定義をハッキリさせる必要がありそうです。
goo辞書より本質 [goo.ne.jp]
物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。(辞書より抜粋)
>仏教と言うのは、出家する宗教です。出家するためには親子兄弟を含むすべての関係を断ち切ることもあります。
お坊さんであっても、
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
> お坊さんであっても、家族を持ち、髪を剃らない。そのような教義の仏教も存在します。
そんなものは、仏教の中では傍流に過ぎませんね。むしろ、仏教系の新興宗教と言ったほうが良いかもしれません。
それはもかく、浄土宗や浄土真宗にだって狂信は内在されています。ただ、通常はそれが表に出てこないというだけです。
もし、狂信とも反社会性ともまったく関係のない宗教があるとすれば、それは道徳・モラルと呼ばれるか、儀式のための
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
私は反社会性が宗教の本質とは思っていませんので。
>それはもかく、浄土宗や浄土真宗にだって狂信は内在されています。
確かに宗教に狂信や反社会性は内在はしています。
浄土真宗は戦国時代、武装宗教集団「本願寺家」や、一向一揆で有名な「一向宗」でしたし。
しかし、それが宗教の本質、反社会性が無くては宗教として成り立たないモノなのでしょうか?
>もし、狂信とも反社会性ともまったく関係のない宗教があるとすれば、それは道徳・モラルと呼ばれるか、儀式のための礼儀作法である
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
誰かそんなことを言いましたか?
私は、単なる「儀式の為の礼儀作法」だけならば、それは宗教ではない、とは言いましたが。
日本の仏教は、よく「葬式仏教」と批判されます。「儀式の為の礼儀作法」が宗教の本質であれば、そんな批判はありえないでしょう。
> 『道徳・モラル』を含む『教え』が宗教の本質の一つである。とは言っていますが
「教え」は信じなければ何にもならないものですね。「信じること」、すなわち「狂信」です。まあ、「信仰」と言い直しても良いですが、「信じるこ
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
葬式は仏教の本質ではない。これは確かです。
しかし、葬式自体、非常に宗教的な意味が強い事柄ではありませんか?
宗教は葬式ではないが、葬式は宗教(の一部)ですよね?
>「教え」は信じなければ何にもならないものですね。
このあたりで異なるようです。
『教え』と『信仰』は対義語ではありません。
それに、先のあなたの『宗教学者』の否定につながりませんか?
信仰 [goo.ne.jp]
>その根拠が、「俺様がそう思うからそうなんだ」では、議論にならんわけです。
単純に、今回の議論はこの話に過ぎませんよね?
宗教の成立には狂信が必要不可欠というあなたの持論と
宗教の成立には狂信は必ずしも必要でない。という私の持論と
今回、互いに根拠を省略してしまう例が多々あり、たとえば今回ですと、
>「教え」は信じなければ何にもならないものですね。
このあたりの観点が大きく異なるようですが、根拠を述べるのは難しいですよね。
>迷惑だからやめてください(笑)。私は宗教者ではありませんので、「教え」は説きません。
大丈夫です。私はあなたを崇めるつもりも、信じ敬うつもりもありませんので。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
誰か儀礼は宗教の一部ではない、という主張でもしましたか?
> 単純に、今回の議論はこの話に過ぎませんよね?
まったく違います。
> >「教え」は信じなければ何にもならないものですね。
> このあたりの観点が大きく異なるようですが、根拠を述べるのは難しいですよね。
いいえ。単に教え(と儀礼や道徳)だけがあり、誰も信じないものは、宗教とは呼ばれません。例えば、dekiさんが「教え」を創作しても、それを信じる人が誰も居ないうちは、dekiさんの「妄想」に過ぎないわけです。なんせ、その根拠は、「俺様がそう思うからそうなんだ」なんですから。
逆に聞きたいのですが、dekiさんは、そういう「妄想」まで宗教と認める立場なのですか?
念のため釘を刺しておきます。dekiさんは、私が提示した重要な問いかけをことごとく無視しています。私の発した問いかけにきちんと答えください。そうしていれば、もっと議論は速く進んでいるはずです。今までの私からの問いかけにすべて答えて欲しいです。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
では、いったい何が論点ですか?
宗教には必ず反社会性が無ければそれが存在し得ないとは思えません。
宗教は狂信や反社会性と関係ない、とは言いませんが、それは宗教の本質ではありません。
と、私はずっとその論点で述べているわけですが
>いいえ。単に教え(と儀礼や道徳)だけがあり、誰も信じないものは、宗教とは呼ばれません。
ええと、私は『狂信』は宗教の本質ではない。といっていますが、
信仰が宗教の本質ではない。とは一度も言っていません。
ただ、信仰と狂信は異なるという点では一致した意見のようですね。
>例えば、dekiさんが「教え」を創作しても、それを信じる人が誰も居ないうちは、dekiさんの「妄想」に過ぎないわけです。
そもそも『妄想』 [goo.ne.jp]とは?
精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断。
根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。
『ドグマ』 [goo.ne.jp]に対し、『信仰』が伴えば『教え』、伴わなければ『妄想』とはならないわけです。
>dekiさんは、そういう「妄想」まで宗教と認める立場なのですか?
宗教的な信念・行動・儀式は信仰するしないに関わらず、宗教の一部たりえます。
>dekiさんは、私が提示した重要な問いかけをことごとく無視しています。私の発した問いかけにきちんと答えください。
>今までの私からの問いかけにすべて答えて欲しいです。
具体的にはどれの事ですか?
Ryo.Fさんが以下のような意見や問いを無視して自らの意見のみを述べるから長くなるのでは?
>『教え』と『信仰』は対義語ではありません。
>先のあなたの『宗教学者』の否定につながりませんか?
>それが宗教の本質、反社会性が無くては宗教として成り立たないモノなのでしょうか?
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
「宗教的な○○は…宗教の一部」というような、トリビアルな主張をする相手とは、議論できません。
> 具体的にはどれの事ですか?
そんなことも判らないんですか?私以外のACにも指摘されているというのに。そんな相手とはまともな議論はできません。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
たとえば、『女性的な行動は女性の一部』足り得ないわけでして、宗教的な行為だからといって、必ずしも宗教である。とはいえないわけです。
ですから、私は『足り得る』という表現をしているわけで
>そんなことも判らないんですか?
Ryo.Fさんの主張は非常に発散的な点があり、何を柱に主張したいのか?がハッキリとは示されていません。
ACさんの問い [srad.jp]にある『宗教の教え』と道徳との違いですが、
>当然悪い事柄を多く含む
>宗教は道義的な内容ばかりでは無いことは明白です。
>儒教ですと、たとえば極端な男尊女卑と言われ、
等々、宗教の教えは道徳的な事ばかりでは無いことを、さまざまな点を挙げ説明しています。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
話をずらしてもらっては困りますね。誰が宗教的な行為を「宗教である」と主張しましたか?「宗教の一部である」と主張した人は居たようですが。意図的にやってますか?
もちろん、宗教的な行為は、宗教の一部に違いないでしょう。そういうものを「宗教的な行為」と呼んだのでしょう(違うなら、定義を添えて反論すべし)から。実にトリビアルです。
> Ryo.Fさんの主張は非常に発散的な点があり、
私がdekiさんに発した問いかけは、明示的であり、私の主張が「非常に発散的」であろうとなかろうと、それらが問いかけであることは明白です。そんな言い訳にもならないような言い訳はやめてください。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
ええと、元の論議は
単に教え(と儀礼や道徳)だけがあり、誰も信じないものは、宗教とは呼ばれません。例えば、dekiさんが「教え」を創作しても、それを信じる人が誰も居ないうちは、dekiさんの「妄想」に過ぎないわけです。
という事ですよね。
たとえば具体的に、『仏教式の葬式』は参列者が一人も仏を『信仰』しなくても宗教の一部ですよね?
『経典』は『宗教学者』が仏を『信仰』しなくても宗教の一部ですよね?
この事から、儀式や教え等は信仰を伴わなくても宗教の一部である事は明白で、
>単に教え(と儀礼や道徳)だけがあり、誰も信じないものは、宗教とは呼ばれません。
とはならないわけです。
そしてこれらを、単に信仰を伴わない教えや行為と主張するならば、
>単に教え(と儀礼や道徳)だけがあり、誰も信じないものは、宗教とは呼ばれません。
たとえ信仰を伴わない教え(や儀礼や道徳)だけであっても、宗教の一部である。
となってしまいます。ですから、
宗教的な信念・行動・儀式は信仰するしないに関わらず、宗教の一部たりえます。
としましたが、読み取れなかったようですね。
それから、『宗教的な●●は必ずしも宗教たり得ない』事ですが、
先の『いただきます』の例はどうでしょう?
宗教『的』ですが、宗教ですか?明確に宗教の一部ですか?
>別に無視しちゃいませんよ。ちゃんと読んでますし。dekiさんの意見を読んだ上で「問いかけ」てるんですが、それにdekiさんが答えようとしないようなので。
>私がdekiさんに発した問いかけは、明示的であり、私の主張が「非常に発散的」であろうとなかろうと、それらが問いかけであることは明白です。そんな言い訳にもならないような言い訳はやめてください。
本当に明示的で、明白ですか?本当に問いに答えてませんか?
本当に私の意見や問いを無視していませんか?
たとえば、
>> それと、信仰と狂信はイコールではありません。
>誰かそのような主張をした者がおりましたでしょうか?
こんな質問に本当にいちいち答えてほしいのですか?
ちなみに、この問いですが、
>>「狂信」が気に入らなければ「信じること」でもいいですよ。
> それと、信仰と狂信はイコールではありません。
誰かそのような主張をした者がおりましたでしょうか?
このように並べないと分かりませんかね?
イコールという表記はしていませんが、信仰と狂信を置き換え可能な、同じものとして扱われていますね。
>>>> 具体的にはどれの事ですか?
>>>そんなことも判らないんですか?私以外のACにも指摘されているというのに。そんな相手とはまともな議論はできません。
>>Ryo.Fさんの主張は非常に発散的な点があり、何を柱に主張したいのか?がハッキリとは示されていません。
>私がdekiさんに発した問いかけは、明示的であり、私の主張が「非常に発散的」であろうとなかろうと、それらが問いかけであることは明白です。そんな言い訳にもならないような言い訳はやめてください。
では、議論にならないわけで。本当に問いたいのですか?
私は、明示的に示されたAC氏の問いにはちゃんと答えている事を示しましたよね?
そして、下記はどうなりました?
>Ryo.Fさんが以下のような意見や問いを無視して自らの意見のみを述べるから長くなるのでは?
>>『教え』と『信仰』は対義語ではありません。
>>先のあなたの『宗教学者』の否定につながりませんか?
>>それが宗教の本質、反社会性が無くては宗教として成り立たないモノなのでしょうか?
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
> >単に教え(と儀礼や道徳)だけがあり、誰も信じないものは、宗教とは呼ばれません。
> とはならないわけです。
「AがBの一部である」と言うことと、「AはBである」と言うこととは違います。
「AがBの一部である」と言うことは、「AはBではない」を必ずしも否定しません。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
辞書が全てとは言いませんし、別の定義を当てはめている人がいてもおかしくないですが、
たとえばgoo辞書では、宗教 [goo.ne.jp]
(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
この接続詞の“また” [goo.ne.jp]は
(2)あるいは。または。
の“また”ですよね。
というような、他の定義がある事も認めるべきです。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
「AがBの一部である」と言うことと、「AはBである」と言うことを混同するような相手とは、
定義を共有することはできません。
議論の途中で突然話題を変えるような相手とも、定義の共有は不可能です。
基本的な論理を共有できない相手と、定義を共有するのは無理です。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
これは“集合”のお話ですね。
たとえば、
『R氏は学生の一人である』という事をもってして、『R氏は学生である』と言い換えても良いわけで。
これが成り立つ為には、「AがBの一部である」の文中のBが集合である事が必要です。
先ほど [srad.jp]goo辞書の宗教 [goo.ne.jp]から、
宗教は心のはたらき又は教え、あるいは体系といった、概念の集合である事が読み取れます。
「AがBの一部である」と言うことと、「AはBである」と言うこととは違います。
「AがBの一部である」と言うことは、「AはBではない」を必ずしも否定しません。
これは“集合”に当てはまるとどうなりますか?本当にAはBの一部なのですか?
>議論の途中で突然話題を変えるような相手とも、定義の共有は不可能です。
議論は宗教の本質は狂信で、反社会性
じゃないのですか?
>基本的な論理を共有できない相手と
“集合論”の論理を理解されなくても私は別に構いませんが…
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
> これが成り立つ為には、「AがBの一部である」の文中のBが集合である事が必要です。
まず、集合の要素と部分集合の混同が見られますね。集合論の基礎からやり直しましょう。
「これが成り立つ為には」前後の論理も不明です。
もう一度書き直し。
> “集合論”の論理を理解されなくても私は別に構いませんが…
少なくとも私は、中学生レベルの論理が共有できない人とは、まともな議論はできません。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
ええと、AがBの集合の要素である時、Aは一点集合であり、AはBの部分集合でもありますよね?
『集合の要素は元の集合の部分集合である』という集合論の基礎はどうされましたか?
>「これが成り立つ為には」前後の論理も不明です。
これは蛇足でしたね。
宗教が概念という要素の集合である事は別記にて説明した通りですから。
#蛇足の話ではなく、宗教の本質の話を進めませんか?
宗教にとって狂信や反社会性が必須なのか必須ではないのか?
狂信や反社会性が無ければ宗教とはいえないのか?
そもそも、宗教の定義とは一体なんなのか?
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
いつ「AがBの集合の要素である」なんて前提をつけたんですか?
そういう後だしジャンケンのようなことは止めましょう。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
私もどうしてあなたが要素なんて出したのか不思議だったのですよ。
>まず、集合の要素と部分集合の混同が見られますね。集合論の基礎からやり直しましょう。
どこから要素がでてきたのか説明してもらえますか?
それ以前は
>>「AがBの一部である」と言うことと、「AはBである」と言うこととは違います。
>>「AがBの一部である」と言うことは、「AはBではない」を必ずしも否定しません。
>これは“集合”に当てはまるとどうなりますか?本当にAはBの一部なのですか?
このように、包含関係の話ですし、
それに、
>>まず、集合の要素と部分集合の混同が見られますね。集合論の基礎からやり直しましょう。
>ええと、AがBの集合の要素である時、Aは一点集合であり、AはBの部分集合でもありますよね?
>『集合の要素は元の集合の部分集合である』という集合論の基礎はどうされましたか?
から、Aは要素であっても部分集合であっても関係ないという主張でしょ。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
ご自分の書かれたR氏の例 [srad.jp]をお忘れのようですね。この例は、集合の要素の話です。
そんなことも解らない(もしくは、憶えていられない)、と言うのでは、お話になりません。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
>>「AがBの一部である」と言うことは、「AはBではない」を必ずしも否定しません。
>これは“集合”に当てはまるとどうなりますか?本当にAはBの一部なのですか?
何度も指摘していますが、これをベン図で考えたらどうなりますか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E5%9B%B3
>『R氏は学生の一人である』という事をもってして、『R氏は学生である』と言い換えても良いわけで。
R氏の例はこの典型的な包含関係を示す話ではないのですか?
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
少なくとも、「典型的」ではありません。
包含関係でなく、所属関係なら話は別ですが。
この違いが解っていないと、規則もしくは属性の集合を議論するのは無理です。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
包括 [goo.ne.jp]と所属 [goo.ne.jp]の関係は理解されていますか?
>ええと、AがBの集合の要素である時、Aは一点集合であり、AはBの部分集合でもありますよね?
というのは理解されましたか?
R氏が一人だから要素だ。というなら、O氏とY氏も加えましょうか?
その学生の一部であるその三人の集団は学生では無くなるのですか?
オイラー図で良く考えてみてください。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
はい。
それを混同して説明した人は居ましたが、それは私ではありません。
議論すべきは、概念の集合です。概念とは属性(あるいは性質)の集合です。要素と部分集合、所属と包含を区別しない人とは、議論できません。
以上の意味が解らないようなら、なおさら議論は無理です。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
> 包括と所属の関係は理解されていますか?
普通、集合論では「包含」という術語を使うのが普通です。
「包括」を使う作法を私は知らないのですが、どの辺りで使われている作法なんですか?
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:0)
とは断言できないでしょ。deki氏も書いてる通り、R氏単独の集合である可能性もある訳で。集合の基礎ができてないRyo.Fが、思い込みで間違いをしただけだね。
Re:宗教者と話そう「宗教の祭典」 (スコア:1)
> オイラー図で良く考えてみてください。
なんで「ベン図」ではなく「オイラー図」なんです?間違っちゃいませんが、普通に集合論を習った人なら「ベン図」という術語を使うと思うんですが。相手がどんな背景を持っているか判らない場合は、一般的な術語を使うものだと思うんですが。
dekiさんの「一点集合」の扱いにしても、そんなに一般的なものではありませんよね。一般には、「以後、要素を一点集合として扱う」という但し書きをした後でなければ、dekiさんのようには使わないと思います。ただ、そんな扱いをしたところで、ほとんど得はしませんから、そういうことも少ないと思います。
逆に、ただ一つの要素しか含まない集合を扱う場合に、説明的に「一点集合」という表現をすることはあると思います。でもdekiさんの作法は、このケースには当てはまりません。
「包括」にしても然り、です。
私もそれほど学のある方ではないんですが、dekiさんの作法は、私には変わったものに見えます。一体、どういう学問的背景がある人なんでしょう。