アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
最初のバージョンは常に打ち捨てられる。
ガダームヲータきんもーっ☆ (スコア:-1, フレームのもと)
どうでもいいす
Re:ガダームヲータきんもーっ☆ (スコア:1, すばらしい洞察)
セナが死んだとき
フグが死んだとき
橋本が死んだとき
に比べると個人的には衝撃は少ない。
人の死を悼むのは当然ではあるが、見ず知らずのおじいちゃんが交通事故でお亡くなりになったという、「今日の死亡欄」を見ても、さすがに自分は悲しみには浸れないので。
そのあたりは、自分にどれだけ関わりがあるのか無いのかの違いだと思う。まぁ、悲しみに浸っている人のまわりでお祭り騒ぎをする人もおかしいとは思うけど、実際この書き込みでも、本気で死を悼むというよりは、半分はお祭りじゃない?
一声優が亡くなったことに対して、人生の損失というくらい大げさに死を悼む。お祭りをするというのを、関係ない第三者が見て、滑稽に見えるというのはよくわかる話だと思う。
だから、キモーイ
って思うのは、それほどおかしくもない。
思うのと書き込むのはまた別の問題だが、たとえばキモーイの発言は別として、ここの書き込み全体が本当に死を悼んでいるのか?というのもまた別。先にも書いたが半分はみんなお祭りの口実。半分は残念に思っているくらいだと思う。
死を悼むっていうのは、いろいろと段階と程度の違いがある。肉親を亡くした経験があると、自分にとっての死の悲しみの基準を得ることになると思うのだが、そういうのと比べると、正直「残念でした」程度だとは思う。はっきり言って見ず知らずの他人の死を本気で悼むことは出来ない。
実際問題「自分にとって不利」というのが本音。かの声が無くなると「困る」からね。それを形を変えて訂正を整えているだけ。
まぁ、でも「残念」であるのは事実。自分の見てきたアニメの「歴史」の幕が下りていくのを感じる。悲しいと言うよりは「寂寞」たる思いの方が強いかな。