アカウント名:
パスワード:
私はキーボード推進派です。なぜなら、欧米、特に米国では、タイプライターの普及により、数十年前に同じ事が起こりましたが、現在、それは少しも社会問題になっていないからです。
タイプライターの普及により、アメリカ人の字は劇的に汚くなりました。また、筆記体を使う習慣も大部分なくなりました。急いで大量に書く時はタイプライターを使うので、手書きは少量をゆっくり書くときだけです。だったら読みやすいブロック体のほうがいい。そして実際そうなって、誰も困っていません。
同じことが既に日本でも進行していることは、皆さんもお気
失礼ですが、典型的な誤解をなさっておられます。書かなければ漢字は覚えられないというのは間違いです。また、表音文字と表意文字の文化の違いというのも間違いです。
まず、読める漢字と書ける漢字を比べると、読める漢字のほうが誰でも圧倒的に多いのです。それは、漢字を読むことは前後の文脈からいつのまにか身につく技能ですが、書くことは意図的に練習しなければ身につかないからです。つまり、書かなければ漢字を覚えられないというのは事実ではありません。
逆に問いましょう。あなたが普段、ワープロで書いておられる漢字の全てを、あなたは書けますか?書けませんよね。それはワープロのせいで忘れただけではありません。もともと書けない漢字を、ワープロのおかげで普段から書くようになった部分が大きいのです。ワープロを使い始めた人が、つい漢字が多すぎる文を書いてしまうことも思い出してください。
ということで、小学校の時点からワープロが普及しても、日本語からは漢字は消えません。これは空論ではありません。ある事情により、私の知り合いには、小学校にほとんど通わなかった子が何人かいます。彼らは手書きでは漢字をほとんど書けませんが、電子メールでは見事な漢字かな混じり文を送ってきます。驚いたことに、普段の生活で彼らが困ることは別にないそうです。唯一困るのが「学校にいく時」だとか。
次に表音文字の問題です。欧米には漢字の書き取りはありませんが、スペリングは存在します。欧米でのワープロの普及により、彼らのスペリング能力は劇的に下がりました。スペルコレクタがあるからです。もちろん当初これは問題視されましたが、今では誰も問題にしていません。結局、便利さと引き換えにしなければならないほどの実害は存在しなかったからです。この辺りの事情は、日本での漢字の問題と全く同じです。
ただし、この様に理屈と実例で示しても、多くの方は納得されないでしょう。それこそがまさに「古い良識」へのニーズなのです。そのニーズを満たすために、公教育は時代遅れになります。いや、むしろ積極的に時代遅れでなければならないのです。何しろ、公教育に金を出すのは、当事者である子どもではなくて、その親なのですから。
これは蛇足ですが、私は年賀状に添えられた手書きのメッセージに、何の感慨も持ちません。むしろ余計なものに見えます。どうせ虚礼に過ぎないことは双方承知のことなのですから。私のほうが多数派だと言うつもりはありませんが、文化が時と場所を越えて続くものではないし、続く必要もないことの実例ではあります。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
blogでなく (スコア:2, すばらしい洞察)
webじゃなく紙の日記書かせるべきでしょうに。
#親が読むことも義務づければなおよし。
火、つけられます? (スコア:4, すばらしい洞察)
二種類の考え方があると思います。
A.手で文字を書く能力は必須であるので肉体に内蔵すべきだ。
B.文字を書く能力はIT機器に任せることができるのでそんな野蛮なことを覚える時間でほかの事を学ばせるべきだ。
たとえば火をおこすことを考えてみると、我々の多くは自然にあるものだけで火をおこすことはできませんよね。
木をこすったりして着火させる技術というのはあまり一般の人は持っていません。
学校や家庭でそんな技術を訓練したりもしません。マッチやライターで代替できるからです。
それを
私はキーボード推進派 (スコア:1, すばらしい洞察)
私はキーボード推進派です。なぜなら、欧米、特に米国では、タイプライターの普及により、数十年前に同じ事が起こりましたが、現在、それは少しも社会問題になっていないからです。
タイプライターの普及により、アメリカ人の字は劇的に汚くなりました。また、筆記体を使う習慣も大部分なくなりました。急いで大量に書く時はタイプライターを使うので、手書きは少量をゆっくり書くときだけです。だったら読みやすいブロック体のほうがいい。そして実際そうなって、誰も困っていません。
同じことが既に日本でも進行していることは、皆さんもお気
文化の違いですよ (スコア:1)
英語圏はA-zの羅列で表現できるけれども
表意文字はそうでは無いっていう所が問題になっていると思う
字が綺麗汚ないではなく、漢字は使わない&書かないと覚えられないし
平仮名ばかりで書かれた文は、誰も読みたくない、正常に意味が伝わるかどうかも不明
ここからは私の個人的感情だけれども
年賀葉書を貰った
文化の違いではありません (スコア:0)
失礼ですが、典型的な誤解をなさっておられます。書かなければ漢字は覚えられないというのは間違いです。また、表音文字と表意文字の文化の違いというのも間違いです。
まず、読める漢字と書ける漢字を比べると、読める漢字のほうが誰でも圧倒的に多いのです。それは、漢字を読むことは前後の文脈からいつのまにか身につく技能ですが、書くことは意図的に練習しなければ身につかないからです。つまり、書かなければ漢字を覚えられないというのは事実ではありません。
逆に問いましょう。あなたが普段、ワープロで書いておられる漢字の全てを、あなたは書けますか?書けませんよね。それはワープロのせいで忘れただけではありません。もともと書けない漢字を、ワープロのおかげで普段から書くようになった部分が大きいのです。ワープロを使い始めた人が、つい漢字が多すぎる文を書いてしまうことも思い出してください。
ということで、小学校の時点からワープロが普及しても、日本語からは漢字は消えません。これは空論ではありません。ある事情により、私の知り合いには、小学校にほとんど通わなかった子が何人かいます。彼らは手書きでは漢字をほとんど書けませんが、電子メールでは見事な漢字かな混じり文を送ってきます。驚いたことに、普段の生活で彼らが困ることは別にないそうです。唯一困るのが「学校にいく時」だとか。
次に表音文字の問題です。欧米には漢字の書き取りはありませんが、スペリングは存在します。欧米でのワープロの普及により、彼らのスペリング能力は劇的に下がりました。スペルコレクタがあるからです。もちろん当初これは問題視されましたが、今では誰も問題にしていません。結局、便利さと引き換えにしなければならないほどの実害は存在しなかったからです。この辺りの事情は、日本での漢字の問題と全く同じです。
ただし、この様に理屈と実例で示しても、多くの方は納得されないでしょう。それこそがまさに「古い良識」へのニーズなのです。そのニーズを満たすために、公教育は時代遅れになります。いや、むしろ積極的に時代遅れでなければならないのです。何しろ、公教育に金を出すのは、当事者である子どもではなくて、その親なのですから。
これは蛇足ですが、私は年賀状に添えられた手書きのメッセージに、何の感慨も持ちません。むしろ余計なものに見えます。どうせ虚礼に過ぎないことは双方承知のことなのですから。私のほうが多数派だと言うつもりはありませんが、文化が時と場所を越えて続くものではないし、続く必要もないことの実例ではあります。
Re:文化の違いではありません (スコア:0)
そこの書かれた手書きのメッセージに何かを感じる時点であんたも時代遅れなんだろ?
五十歩百歩/目くそ鼻くそ。