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社会全体でのコスト負担が、この国家財政危機で認められないか?それでは、出生前検査で判明した異常胎児だけでなく、後天的に障害者になった人をも例外なく間引くと?
社会全体でのコスト負担が、この国家財政危機で認められないか?それでは、出生前検査で判明した異常胎児だけでなく、後天的に障害者になった人をも間引くと?
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
倫理観か現実か (スコア:5, 興味深い)
(「害」という表現がNGとかいう主張は、とても表層的な感じがして好きではありません)
この記事を読み、心の底から医学を進歩させてくれる方々に感謝しました。
異常を検知できたとしても、では中絶するのか?という話になると果たして
それが倫理的にどうなのかという議論が生まれるのでしょう。
或いは、倫理的にどうこうなんていうものを超えて、既にお腹で育ちつつある我が子に
対して芽生えた愛情によって悩まされるかもしれませんね。
では、異常を知りつつも「生命」を尊重して産んだとして、その子の「人生」はいかなるものか。
Re: (スコア:0, フレームのもと)
でも、ちょっと待ってください。障害者になるのは、何も染色体異常に限りません。不慮の事故ということもありますし、一部の病気でということもありえます。老齢に達したら、脳血管疾患が典型例だと思いますがそうなる確率は格段に高くなります。誰にとって
Re: (スコア:0)
言おうと思えば。
でも、いざ、あなたに子供が出来るという時になったとしてもそんなことが言っていられますか?
障害者が自分に出来たら一生涯にわたって子供に人生を振り回されるかもしれない。
でも、少しお金を払って検査をすればその可能性は0にはならないにしても抑えることが出来る。
そうなったとき、あなたは同じ主張を続けられるでしょうか?
Re: (スコア:0)
奇麗事じゃ済まないから、間引くことを自分で納得させるわけですよね。障害を持って生まれたなら、その育児に人的金銭的さまざまなコストが余計にかかるから。
それなら、社会全体でそのコストを引き受ければいい。現代日本では、コスト負担が事実上当事者家族のみに降りかかってくるから、負担しきれなくなって、間引きか子殺しか一家心中か、ということになる、と。
社会全体でのコスト負担が、この国家財政危機で認められないか?それでは、出生前検査で判明した異常胎児だけでなく、後天的に障害者になった人をも例外なく間引くと?
Re: (スコア:0)
よろしい、そういう社会システムを作るよう努力してください。
難しいかもしれないですし、私は手伝えないかもしれませんが、
応援くらいならできるかもしれません。
>現代日本では……間引きか子殺しか一家心中か、ということになる
現状では出生前検査は正当化される場合もあるとあなたも認めるのですね。
出生前検査は子殺しか一家心中と同程度に許せないとあなたは主張したいのかもしれないですが、
子殺しや一家心中よりはマシと考えている人たちは存在します。
>それで
Re:倫理観か現実か (スコア:-1, フレームのもと)
じゃあ、#1436116を言い換えてみましょう。
元コメ
書き換え後
私の言いたいことは、出生前診断で判明した異常を理由として間引く(それによって家族の過大な負担を避けることができる)ことが許されるなら、出生後に判明した、あるいは出生後に何らかの原因で障害者になった場合に、その家族は過大な負担を避けるために自らが世話をする障害者を間引くことは許されるのか?ということです。家族の負担という観点では、障害の判明が出生前にあるか出生後にあるかは関係ないでしょう。
私としては、これは公的社会福祉の充実でもって応えるしかないと思います。
一方で、国家財政危機の現実は、福祉の充実のブレーキになる。そこから考えを推し進めると、健常者に比べれば生存に人的金銭的もろもろのコスト負担が大きくなる障害者は、原因や判明時期を問わず間引くという議論に行き着いてしまうのではないか?「例外なく」という言葉を用いたのは、そのためです。
私としては、これは間違った推論だとは思う。間違っているとは思うが、納得いく説明ができないのです。
Re:倫理観か現実か (スコア:1)
> 出生後に判明した、あるいは出生後に何らかの原因で障害者になった場合に、その家族は過大な負担を避けるために自らが世話をする障害者を間引くことは許されるのか
出生前であれば、刑法的に人間ではないので、「間引く」ことは一定の条件の上で許容されています。
出生後であれば殺人罪です。
ですから、簡略化して言うと前者は許されて、後者は許されません。
「刑法のことを聞いているんじゃない、社会・人間のありかたを問うているんだ」
というなら、質問が誘導的すぎるか、簡略化されすぎています。
このサイトの参加者の個人的な気持ちを(アンケート的に)質問しているのなら、
私の答えは、「出生前なら許されるし、出生後なら許されない。ただし、出生後の養育を行う家族に
手厚い援助を行うか、家族が養育を放棄(行政が養育)できるようにすべき」です。
現在制度がそのようになっているのかはわかりません。これ(現状の制度)については、
もう少し他の方の考えを聞いてみたいと思います。
社会として、養育に大きなコストが必要な障害者にたいして、 出生前・出生後どのように対応すべきか
という議論であれば、そのコストや支援方法等について具体的な数字を念頭に置きながら議論すべきだと
思います。出生前診断に基づく中絶を禁止しつつ、家族に十分な支援を行うコストがそれほど大きいと
私は思いませんので、その道もあり得るとおもいますが、裏付けとして本当にそのコストが大きくないのか、
不正を十分に防げる制度設計は可能か等についてはもう少しいろんな方の意見を聞いてみたいと思います。
Re: (スコア:0)
間引く苦痛と予想される育てる苦痛、どちらがより幸せかを量ることができるのは本人たちだけ。
生かすなら、それも選択。その逆もまたしかり。
社会的背景が間引く苦痛を和らげることはある。
逆に福祉の充実で育てる苦痛を和らげることもある。
が、社会にできるのは苦痛を和らげることだけで、幸福の指向性を決定づけることはできないし許されない。
もっとも現実には強制しているし、幸福を追求する方向によっては殺人罪に問われるわけだが。
Re: (スコア:0)
それは社会的同意が何処まで得られるかって問題だと思う。日本ではレイプされて出産した子供を殺したら殺人に問われるけど、レイプされて妊娠したら中絶は許されるよね。
別に金勘定で間引くわけじゃない。大金持ちだって健康な子供が欲しいはずだよ。