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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
verifiability, not truth (スコア:5, すばらしい洞察)
>ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。
ウィキペディアでは、このようにそもそも「真実は何か」という、しばしば泥沼にはまりやすい議論から距離を置いたスタンスを取ることで、実利的に「使い物になる」ことを目指しておりこそすれ、「真実の意味」を変えようなどとはしていないのだが。
#集合知ということからは、現代哲学的な「真理」の捉え方の一つと無関係ではないのだろうけど、少なくともその考えを積極的に啓蒙しようというスタンスではない。
#ウィキペディアが認知されることで、このような「真理」に対する考え方が(対話主義的に)世界中に広まりつつある、という主旨ならば、まぁそう言えなくはないかも。
そもそもウィキペディアでは「真実」とは何か、なんてものを追求しようとはしていない。ある分野での「真実」の探求は、その道の専門家がするべき仕事であって、百科事典編纂者の仕事ではない。「どちらが真実か」で紛糾するようなケースでは、その分野内で結着を付けてくれることが望ましい(その結着が公表され検証可能になったところで掲載する)し、分野内で結着が付いていないのであれば「両論並記」にする。並記されたうちの片方は「真実でないこと」かもしれないが、「両論があり、結着していない」という、その時点での事実を記載することで、「百科事典としての実用性」を優先する、というスタンスを取っている。
「検証可能」なものを読んで、それを「真実」だと誤解するのは読者の自由だが、だからと言って「真実が書かれてない!」と騒ぐのは馬鹿げてるし、得てして、そういう馬鹿げた主張をするヤツが認識してる「真実」とやらが、本当に「真実」とは限らないのだが。