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> 人間が24fps以上のフレームレートを見ることができると言い切っても差し支えないと思われるが
フリッカースレッショルドで検索すると60-70あたりが見える上限らしいんだが1963年以降日本のテレビアニメは8fpsと決まってる
テレビアニメの場合は生産上限的な面もあったが、昨今ではCGアニメでリミテッドなコマ数の問題は解決した…のに、わざわざフレームレート落として手作業でコマを抜いて作ってるというアホみたいな状況…。
一度底辺に慣らされてしまうと上質なものがわっかんねぇんだね。
3DCG/VFX部分以外もフレームレート上げられるのであればいいですがそうではありませんから。CG部分を手書き部分に合わせる(なじませる)ために、わざとフレームレートを落として組み込んでいるのですよ。CGが解決したのはあくまでメカや群衆の作画の大変さであり、フレームレートではありません。その辺り勘違いをしているようですね。
日本のアニメはあの低フレームレートが独特の雰囲気を出しているというところもありますので、それは完全な思い違いですね。日本のアニメが独特なのは、その絵柄だけではないのですよ。
> 日本のアニメはあの低フレームレートが独特の雰囲気を出しているというところもありますので、それは完全な思い違いですね。というのは、ハイフレームレートが商業的・技術的両面で選択可能な手段であって、かつ、クリエータがハイフレームレートの効果を見切ったうえで現在のフレームレート構造を選択した、ということであれば説得力がありますが、ちょっとまだその前提条件すら怪しいので、少し言い過ぎではないでしょうか。たとえば、現在、写真作品で、あえてモノクロで撮る、という話ならそういうあえてテクノロジーを選択したという言い分も理解もできるのですが、ハイフレームレートについては「総天然色」以前(ここぞというシーンだけカラー、あとは白黒)の段階ですから。
日本でのリミテッドアニメ導入の経緯は予算的な制約だったし、今でもその要素があるのは否定できないわけですが、コマ落しの映像効果というのも実際にあるわけで、そちらを完全に否定するのも、また間違いかと。
たとえば、以下の対談を読んでください。
http://solution.too.com/digitalmedia/case-studies/retsuden02-01.html [too.com]> 松浦 それで、そのキッズ企画はセルルックに加えてリミテッドアニメ的な表現に挑戦したわけです。>> 鈴木 このとき初めてフルコマをやめて、2コマベースの「コマ落とし」を使ってみました。グッとセルアニメに近づいたので驚くと同時に、「これならがんばればアニメをつくれるぞ」思ったんです。
これってまさに作り手の意識が
こうなってしまっている事なんじゃないかなぁ?
> これってまさに作り手の意識が>> 一度底辺に慣らされてしまうと上質なものがわっかんねぇんだね。> こうなってしまっている事なんじゃないかなぁ?
そうじゃないんですよ。
たとえば、 http://bokuen.net/interviews/yahi.html [bokuen.net] http://t0mo.org/iblog/C678236308/E1322418773/ [t0mo.org] http://togetter.com/li/220234 [togetter.com] とかで、コマ落しに関する記述を読んでみてください。
それなりにアニメに興味があるのであれば、こういった記述を、何度も
実際のところ原作がマンガならその1コマ、ノベルならその場面描写の1行を描いた部分を長見せしたいだけじゃないのかな?原作なしでも絵コンテがあれば同じ。途中のコマがなくても話はわかる、動きのあるコマで繋がれた紙芝居って感じ。そこから離れない限り3コマ止まってる手法は有効でしょうな。見る側もマンガのコマや文章に逆変換しながら見てるんじゃないかと思うくらい。記号化というのも逆変換する視聴者にとって好都合なんだろうなと。
でも、アニメ好きでない人から見て映像作品に見えるかというとどうだろう?きっと映像作品として評価できるのはコマ落としなんかしてない作品じゃないかな?リンク先にある「アニメは音が8割」というのも紙芝居なのを肯定してるよね。
底辺というより長年やってきた手法から変われないという感じか。
コマ落としをすることによって生まれる動きの表現があるって話なんだけど、読んでも理解できない人がいるってことは良くわかりました。
アニメーターが感覚でしゃべってる部分だから分かりづらいかもしれないが、でもねえ。
#フルアニメ至上のヒトに反論するつもりではないのでここに下げよう。8コマとかリミテッドアニメの特徴は、もしかすると「ぎりぎり動いてる画のコマを『画』として認識可能な閾値」なのかもしれない。動いて見えないと困るけど、中割りを画として認識できなければそれを愛でることも出来ない、というジレンマの妥協点なのではないだろうか。24コマで動いてしまうと中割りは、一時停止でもしない限り「動いている途中の画」として通り過ぎる存在しかなくなってしまう。
> コマ落としをすることによって生まれる動きの表現があるって話なんだけど、> 読んでも理解できない人がいるってことは良くわかりました。
コマ落としという表現方法は、本当に「漫画と映画をつなぐ中間の表現存在」なんじゃないかなぁ。
たとえば人間が絶対に知覚できない1000fpsで作られた映画なりアニメが普通にある状態で、エフェクトのフィルタとして、部分的に12~24fpsに落とす効果のものを適用すれば、見かけがぐっと変わるだろうってのはわかりますかね?見え方が異なるんですよ。作り手としては可能な範囲内で必要な映像効果を取りたいわけです。だから常に最大フレームレートを選ぶはずだってことにはならないんですよ。
ちなみに映画も24pと60pで見え方が違うから云々、ってのがあるんですよーあとコマ撮り映画ってのもあるんですが・・・映像作品に見えませんかねぇ?
まぁ1000fpsは例として不適切なんで外すとして、ゲーム論争でよく言われる60fpsと30fpsの争いなんかが分りやすいんじゃないかな。制作側がゲーム性を考慮して30fpsに落としたゲームって必ず批判されてるでしょう。フレームレートが高い映像はリッチだって事に消費者が気付いてしまっているんですよ。比較映像なんかも簡単に作れる時代ですしね…。その中で低フレームレートにこだわるのは貧乏人の感覚ではないでしょうか。
だいぶ見当はずれのことを言っているようなそれだと「よく言われている映画のフィルム論争がわかりやすいんじゃないかな。制作側が60fpsの映画を作ってもフィルムらしさがないって必ず批判されるでしょう? フレームレートが高ければ美しく感じるわけじゃないってことに消費者も気づいてしまっているんですよ」なんて作文ができてしまう
ほかのの突っ込みどころとしては貧乏人ほどスペックにこだわるが富裕層はどちらかというと美的感覚を重んじる傾向にある表現技術にこだわるか表現手法にこだわるかの違いと書いたらわかりやすいかな絵画や古美術なんてのはそれこそ表現技術としては猛烈に古いものなのだけど貧乏人の感覚とは程遠いよねピカピカ新品最高性能だけがすべてじゃないんだよ
カメラが動きまくる映像は、モーションブラーに頼らずきっちりした画のままフレームレートを高くしたほうがきれいに見える例) いわゆる「板野サーカス」のようなやつ・プリキュアのエンディングダンス・ラブライブ2期の屋上ライブなど
カメラのあまり動かない、舞台を少し遠くから眺めているような映像は、フレームレートの高いきっちりした画よりは、リミッテッドアニメにしてモーションブラーで補完した画のほうがダイナミックに動いて気持ちよく見える例)Wake Up, Girls! 1話のライブシーンなど
という感じを受けています。あくまで個人の感想ですが。
最高の品質でつくっても最高の体験が得られるとは限らないんだよ。レートを落とすことが妥協や低予算の産物だという固定観念をいっかいクリアして読みなおして欲しい。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
100fpsあれば充分か (スコア:1)
> 人間が24fps以上のフレームレートを見ることができると言い切っても差し支えないと思われるが
フリッカースレッショルドで検索すると60-70あたりが見える上限らしいんだが
1963年以降日本のテレビアニメは8fpsと決まってる
Re: (スコア:1)
テレビアニメの場合は生産上限的な面もあったが、昨今ではCGアニメでリミテッドなコマ数の問題は解決した…のに、わざわざフレームレート落として手作業でコマを抜いて作ってるというアホみたいな状況…。
一度底辺に慣らされてしまうと上質なものがわっかんねぇんだね。
Re: (スコア:1)
3DCG/VFX部分以外もフレームレート上げられるのであればいいですがそうではありませんから。CG部分を手書き部分に合わせる(なじませる)ために、わざとフレームレートを落として組み込んでいるのですよ。CGが解決したのはあくまでメカや群衆の作画の大変さであり、フレームレートではありません。その辺り勘違いをしているようですね。
日本のアニメはあの低フレームレートが独特の雰囲気を出しているというところもありますので、それは完全な思い違いですね。日本のアニメが独特なのは、その絵柄だけではないのですよ。
Re: (スコア:1)
> 日本のアニメはあの低フレームレートが独特の雰囲気を出しているというところもありますので、それは完全な思い違いですね。
というのは、ハイフレームレートが商業的・技術的両面で選択可能な手段であって、かつ、クリエータがハイフレームレートの効果を見切ったうえで現在のフレームレート構造を選択した、ということであれば説得力がありますが、ちょっとまだその前提条件すら怪しいので、少し言い過ぎではないでしょうか。たとえば、現在、写真作品で、あえてモノクロで撮る、という話ならそういうあえてテクノロジーを選択したという言い分も理解もできるのですが、ハイフレームレートについては「総天然色」以前(ここぞというシーンだけカラー、あとは白黒)の段階ですから。
Re: (スコア:2, 参考になる)
日本でのリミテッドアニメ導入の経緯は予算的な制約だったし、
今でもその要素があるのは否定できないわけですが、コマ落しの
映像効果というのも実際にあるわけで、そちらを完全に否定する
のも、また間違いかと。
たとえば、以下の対談を読んでください。
http://solution.too.com/digitalmedia/case-studies/retsuden02-01.html [too.com]
> 松浦 それで、そのキッズ企画はセルルックに加えてリミテッドアニメ的な表現に挑戦したわけです。
>
> 鈴木 このとき初めてフルコマをやめて、2コマベースの「コマ落とし」を使ってみました。グッとセルアニメに近づいたので驚くと同時に、「これならがんばればアニメをつくれるぞ」思ったんです。
Re: (スコア:0)
これってまさに作り手の意識が
一度底辺に慣らされてしまうと上質なものがわっかんねぇんだね。
こうなってしまっている事なんじゃないかなぁ?
Re: (スコア:3, 参考になる)
> これってまさに作り手の意識が
>> 一度底辺に慣らされてしまうと上質なものがわっかんねぇんだね。
> こうなってしまっている事なんじゃないかなぁ?
そうじゃないんですよ。
たとえば、
http://bokuen.net/interviews/yahi.html [bokuen.net]
http://t0mo.org/iblog/C678236308/E1322418773/ [t0mo.org]
http://togetter.com/li/220234 [togetter.com]
とかで、コマ落しに関する記述を読んでみてください。
それなりにアニメに興味があるのであれば、こういった記述を、
何度も
Re:100fpsあれば充分か (スコア:0)
実際のところ原作がマンガならその1コマ、ノベルならその場面描写の1行を描いた部分を長見せしたいだけじゃないのかな?
原作なしでも絵コンテがあれば同じ。
途中のコマがなくても話はわかる、動きのあるコマで繋がれた紙芝居って感じ。
そこから離れない限り3コマ止まってる手法は有効でしょうな。
見る側もマンガのコマや文章に逆変換しながら見てるんじゃないかと思うくらい。
記号化というのも逆変換する視聴者にとって好都合なんだろうなと。
でも、アニメ好きでない人から見て映像作品に見えるかというとどうだろう?
きっと映像作品として評価できるのはコマ落としなんかしてない作品じゃないかな?
リンク先にある「アニメは音が8割」というのも紙芝居なのを肯定してるよね。
底辺というより長年やってきた手法から変われないという感じか。
Re: (スコア:0)
コマ落としをすることによって生まれる動きの表現があるって話なんだけど、
読んでも理解できない人がいるってことは良くわかりました。
アニメーターが感覚でしゃべってる部分だから分かりづらいかもしれないが、
でもねえ。
Re: (スコア:0)
#フルアニメ至上のヒトに反論するつもりではないのでここに下げよう。
8コマとかリミテッドアニメの特徴は、もしかすると「ぎりぎり動いてる画のコマを『画』として認識可能な閾値」なのかもしれない。
動いて見えないと困るけど、中割りを画として認識できなければそれを愛でることも出来ない、というジレンマの妥協点なのではないだろうか。
24コマで動いてしまうと中割りは、一時停止でもしない限り「動いている途中の画」として通り過ぎる存在しかなくなってしまう。
> コマ落としをすることによって生まれる動きの表現があるって話なんだけど、
> 読んでも理解できない人がいるってことは良くわかりました。
コマ落としという表現方法は、本当に「漫画と映画をつなぐ中間の表現存在」なんじゃないかなぁ。
Re: (スコア:0)
たとえば人間が絶対に知覚できない1000fpsで作られた映画なりアニメが普通にある状態で、
エフェクトのフィルタとして、部分的に12~24fpsに落とす効果のものを適用すれば、見かけがぐっと変わるだろうってのはわかりますかね?
見え方が異なるんですよ。
作り手としては可能な範囲内で必要な映像効果を取りたいわけです。だから常に最大フレームレートを選ぶはずだってことにはならないんですよ。
ちなみに映画も24pと60pで見え方が違うから云々、ってのがあるんですよー
あとコマ撮り映画ってのもあるんですが・・・映像作品に見えませんかねぇ?
Re: (スコア:0)
まぁ1000fpsは例として不適切なんで外すとして、ゲーム論争でよく言われる60fpsと30fpsの争いなんかが分りやすいんじゃないかな。
制作側がゲーム性を考慮して30fpsに落としたゲームって必ず批判されてるでしょう。
フレームレートが高い映像はリッチだって事に消費者が気付いてしまっているんですよ。
比較映像なんかも簡単に作れる時代ですしね…。
その中で低フレームレートにこだわるのは貧乏人の感覚ではないでしょうか。
Re: (スコア:0)
だいぶ見当はずれのことを言っているような
それだと
「よく言われている映画のフィルム論争がわかりやすいんじゃないかな。制作側が60fpsの映画を作ってもフィルムらしさがないって必ず批判されるでしょう? フレームレートが高ければ美しく感じるわけじゃないってことに消費者も気づいてしまっているんですよ」
なんて作文ができてしまう
ほかのの突っ込みどころとしては
貧乏人ほどスペックにこだわるが富裕層はどちらかというと美的感覚を重んじる傾向にある
表現技術にこだわるか表現手法にこだわるかの違いと書いたらわかりやすいかな
絵画や古美術なんてのはそれこそ表現技術としては猛烈に古いものなのだけど貧乏人の感覚とは程遠いよね
ピカピカ新品最高性能だけがすべてじゃないんだよ
Re: (スコア:0)
カメラが動きまくる映像は、モーションブラーに頼らずきっちりした画のままフレームレートを高くしたほうがきれいに見える
例) いわゆる「板野サーカス」のようなやつ・プリキュアのエンディングダンス・ラブライブ2期の屋上ライブなど
カメラのあまり動かない、舞台を少し遠くから眺めているような映像は、フレームレートの高いきっちりした画よりは、リミッテッドアニメにしてモーションブラーで補完した画のほうがダイナミックに動いて気持ちよく見える
例)Wake Up, Girls! 1話のライブシーンなど
という感じを受けています。あくまで個人の感想ですが。
Re: (スコア:0)
最高の品質でつくっても最高の体験が得られるとは限らないんだよ。
レートを落とすことが妥協や低予算の産物だという固定観念をいっかいクリアして読みなおして欲しい。