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目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
人は世につれ世は人につれ (スコア:1)
そもそも常識なんてものは場所につれ時につれどんどん移り変わるものであって不磨の大典的なものとはまったく違うし、
タレこんだAC氏が非常識だと感じている「以下のリンクは固くお断りいたします。(中略)ハンドルネーム等により運営されているサイト」
にしたってそれがスタンダードになればそれはそれでそれなりに矛盾のない常識の体系が出来ようというものだと思うのだが。
だって2本の平行線がどこかで交わったり1+1は2じゃない、というような体系だって矛盾なく構築するんだし、数学の世界だと。
そういう常識が広まるとオレは困る、だから何とかしなきゃ、といって色々活動するのは自由だし勝手だけど、
「それはオレらの常識とは違う! だからおかしいから直せ!!」というのはおこがましいし、そういうものを直したいなら
「それはキミらにもこういう不都合があるし、オレらも困るから直した方がお互いイイよね」という方向に持っていかないとさ。
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:5, 参考になる)
インターネット上で公開した時点で「リンク禁止」と矛盾するんですが。
/.Jでも何度も出てきましたね。 奥村先生のページ [mie-u.ac.jp]にどんどん溜まっていってます。 私が見た中では、リンクについての琵琶湖博物 [lbm.go.jp]
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:-1, フレームのもと)
しません。
逆に聞きますが、なせ矛盾するのですか? 過去に何人かに聞きましたがまともな回答はありませんでしたよ。
>リンクについての琵琶湖博物館の考え方
思想的の強化を行うために、かなり偏った認識や考え方に立ったことがかかれているページですよね。
そのページを書いている人がどこでどんな問題を起こしているか知らないのでしょう。
>私は日本のインターネットが鎖国化されていくことに狭苦しさを感じています。
過剰反応です。
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:1)
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:-1, フレームのもと)
なお、あなたは公開の意味を取り違えている可能性が高いです。
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:1)
何らのアクセス制御機構も用意せずにWebにコンテンツをアップロードした場合、「Web技術の特性上その時点で」、コンテンツの全てが公表状態になります。その状態では、もはや公表権は行使できません。一度全てを取り下げ、自分の望む公表方法のみ許すようなアクセス制御機構を実装した新しい著作物を作って再公開すれば、その新しい著作物上のコンテンツについては公表権の及んだ状態にはな
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:1)
違います。
法律には関係無いのに法律っぽい話題に捻じ曲げようとしているACがいますが、法律は関係ありません。
なので、言論統制等の話にはなりません。(言論統制に行き着くまでの論理も変です。関係無い話なので詳しくは言及はしませんけど。)
> 「公開した人が、あるルートでのアクセスを望めばそれが根拠」という話ではなく
いいえその話です。
> 「なんか法的権原も効果も不明な利用制限を公共を名乗る機関のサイトが後出しで出してきたけどなんじゃこりゃ」という雑談以外の何者でもありません。
少なくともmewさんは公共を名乗る人の態度に問題があるとの意見ですが、一般的な話としてWEBにリンク禁止を掲示することに異論は無い訳ですね。
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:1)
Webサイト制作者もしくは管理者が、自分の制作した、もしくは自分の管理するWebサイトに「リンク禁止」と掲示することには、別に異論はありません。好きにすればいいと思います。
ただ私はかなり旧い考え方の持ち主ですので、そういう掲示を見た場合、「なら初めからWebに上げるなよ…」とは思いますね。
リンクひとつでネット上のあらゆる情報を自由に取り出すことが出来たら、俺も幸せだし、みんなも幸せになれるよね、というのがWebの基本概念だと私は思っています。Webという仕組みを利用させてもらってそこでコンテンツを公開する、ということは、その基本概念を支持するということだ、とも。コンテンツを公開する者がその基本概念を支持するとは、具体的にどうすることか、ということが次の問題となるのですが、私は、これは「リンクひとつでネット上のあらゆる情報を自由に取り出すことが出来」ることを、少なくとも妨げないことだと思うのですね。それがWebという仕組みを利用させてもらう側が、Webという仕組みとそれを作った人々への敬意を示すために、守るべき仁義だろうと。
コンテンツを利用する者が、コンテンツを創った者とコンテンツを利用するために世話になる仕組みに敬意を表するべきなのも仁義なら、コンテンツを創った者が、コンテンツを利用する者にそのコンテンツを利用してもらうために世話になる仕組みに敬意を表するのも仁義です。
そして、ここでフレームが生じます。何を仁義とみるか、どうなっていればその仁義を果たしたことになるのかで。
このスレッドが「フレームのもと」だらけなのは、結局のところ、そういうことだから、なのでしょう。端的に言えば、宗教戦争ですからね。
この件に関して私の持つ宗教は、上述のとおりです。
kfshさんは、おそらく違う教義の宗教をお持ちなのでしょう。
とすれば、これ以上は議論を続けるべきではありますまい。
Re:人は世につれ世は人につれ (スコア:1)
思うのは良いのですが、それならば最初から私が思うという内容にしてください。
> リンクひとつでネット上のあらゆる情報を自由に取り出すことが出来たら、俺も幸せだし、みんなも幸せになれるよね、というのがWebの基本概念だと私は思っています。
多少間違った意見ですが、私もほぼそう思っていますからそれは良いのですが、
> Webという仕組みを利用させてもらってそこでコンテンツを公開する、ということは、その基本概念を支持するということだ、とも。
この意見には強行に反対です。
道具を使ったら、特定の意見に賛同されたことにされるなんて真っ平ごめんです。
主体は常に人間側に在って、その人間の思想信条が何を支持するかを決めるのです。
> これは「リンクひとつでネット上のあらゆる情報を自由に取り出すことが出来」ることを、少なくとも妨げないことだと思うのですね。
だとすると、現在のWEBシステムは各種のアクセス制御をつけているから間違ったシステムと言う意見ですね。
> それがWebという仕組みを利用させてもらう側が、Webという仕組みとそれを作った人々への敬意を示すために、守るべき仁義だろうと。
はっきりいって卑下する意見ですね。
Webという仕組みとそれを作った人々がいつリンク禁止の掲示は自分達へ敬意を示していないと言ったのですか?
サイバー市民と同じ訳の判らないでっち上げではないのですか?
> とすれば、これ以上は議論を続けるべきではありますまい。
特徴だなぁ...